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【三国志14】郭女王の武将能力値紹介

郭女王(カクジョウオウ) 統率22 武力6 知力70 政治64 魅力68 曹丕の皇后。郭永の娘。母は董氏。大変な美貌の持ち主。【演義】郭永が「娘は女の中の王だ」と自慢していたため「女王」と呼ばれた。曹丕が魏帝になると、貴妃として寵愛される。張韜と共謀して曹丕に甄氏を処刑させた後、皇后となった。子がなく、甄氏の子・曹叡を育てた。【正史】早くに両親を失い、身分を落としていたが、曹操に見出され、曹丕に仕えた。優れた知略で曹丕を助け、曹丕が後継者に選ばれるように尽力する。慎ましい性格で、後宮でも人望があったが、実母を殺された曹叡からは憎まれていた。曹叡の復讐で殺害されたという説もある。
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【三国志14】王祥の武将能力値紹介

王祥(オウショウ) 統率24 武力19 知力68 政治77 魅力85 魏の太尉。二十四孝の1人。臥氷求鯉の故事を遺す。【演義】鄧艾と鍾会が蜀討伐に出立するのを見送った1人。その際、劉寔[リュウショク]から鄧艾と鍾会は生きて戻れないだろうという予言を聞く。司馬昭が後継者選びに迷うと、長幼の序を乱さないように諭し、司馬炎を指名させた。【正史】後漢末の動乱を避け、母弟と共に廬江に移って三十余年隠棲した。母の死後、呂虔の要請を受けて出仕。曹髦の代に光禄勲、司空を歴任し、毌丘倹討伐の功で太常となる。晋の司馬炎の代には太保となった。
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【三国志14】郝昭の武将能力値紹介

郝昭(カクショウ) 統率87 武力79 知力78 政治62 魅力68 魏の武将。【演義】司馬懿の推挙で陳倉の守りにつく。諸葛亮の第2次北伐に抗戦し、諸葛亮が開発した兵器を焼き払って城を守り抜いた。王双が来援し、蜀軍が一度撤退した後、重病にかかる。再度来襲した蜀軍の攻撃で陳倉城に火の手が上がったと聞くと、病状が悪化し死亡した。【正史】曹叡の代に、西平で起きた麹英の反乱を鎮圧。諸葛亮から陳倉を防衛した功で列侯に叙せられ、間もなく病死した。諸葛亮が陳倉を再度襲撃したという記述も、それが原因で死んだという記述もない。
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【三国志14】王濬の武将能力値紹介

王濬(オウシュン) 統率81 武力73 知力78 政治71 魅力76 晋の益州刺史。【演義】陸抗の死後、呉討伐を奏上。279年に呉討伐戦が始まると龍驤将軍[リュウジョウショウグン]に任ぜられ、唐彬と共に益州から長江を下って侵攻した。呉の岑昏が晋軍の艦隊を防ぐため水中に設けた鉄錐を、いかだを用いて破壊。石頭城で張象を下し、孫晧を降伏させた。杜預、司馬伷らと合流して呉を完全に平定すると、その功績から輔国大将軍に任ぜられた。【正史】呉討伐戦では王渾と功績を争った。
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【三国志14】王粛の武将能力値紹介

王粛(オウシュク) 統率35 武力21 知力76 政治78 魅力74 王朗の子。王元姫の父。魏の黄門侍郎。【演義】230年、蜀を攻めた曹真と司馬懿が長雨で苦戦すると撤退を奏上。毌丘倹の反乱時、反乱軍の家族を厚遇して士気を緩める策(呂蒙が関羽討伐で採用)を司馬師に献じる。司馬師の死後、司馬昭に封爵を与えるよう曹髦に進言。娘は司馬昭の妻となり、司馬炎、司馬攸を生む。【正史】18歳で宋忠から「太玄経」を学んだ。広平太守、侍中、太常などを歴任。鄭玄[ジョウゲン]の学説に反対して「尚書」「詩経」などに注釈を加え、「孔子家語[コウシケゴ]」を偽作した。
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【三国志14】王戎の武将能力値紹介

王戎(オウジュウ) 統率57 武力36 知力72 政治55 魅力46 王渾(玄沖とは別人)の子。竹林の七賢の最年少者。【演義】晋の建威将軍。279年の呉討伐戦に参戦。武昌に進軍し、先に石頭城に入城していた王濬と合流した。【正史】幼少時から大人顔負けの聡明さを発揮。鍾会の推薦で司馬懿に取り立てられた。河東太守、荊州刺史などを歴任。晋の恵帝の時に司徒となった。しかし、政務には関心がなく、自己の利益に執心していた。
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【三国志14】王脩の武将能力値紹介

王脩(オウシュウ) 統率53 武力27 知力76 政治78 魅力64 袁家の臣。後に曹操に仕える。【演義】袁紹の死後、袁尚の暗殺を謀る袁譚をいさめ、職を解かれる。袁譚が曹操に討たれると、禁令を破って袁譚に弔意を示し、曹操から司金中郎将に任ぜられた。【正史】北海太守・孔融に仕えた後、袁紹、袁譚の臣となった。曹操に仕えた後は魏郡太守として功績を挙げた。魏建国後は大司農郎中令となり、在職中に死亡した。
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【三国志14】王子服の武将能力値紹介

王子服(オウシフク) 統率54 武力57 知力58 政治52 魅力65 後漢の臣。【演義】董承の無二の親友。曹操打倒の密勅を賜った董承に賛同し、呉子蘭、馬騰、劉備、吉平らと曹操暗殺計画を練る。しかし、董承の下僕に計画を暴露され、一族もろとも処刑された。【正史】演義と同様。「後漢書」では王服と記されている。
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【三国志14】王思の武将能力値紹介

王思(オウシ) 統率26 武力30 知力63 政治77 魅力28 魏の豫州刺史。【演義】記述なし。【正史】梁習と共に召し出された際、曹操に意見書を書いて逆鱗に触れたが、梁習が身代わりになって王思をかばい、王思もまた正直に名乗り出たことで曹操に感心され、二人揃って刺史に抜擢された。曹丕、曹叡の代にも高く評価され、曹芳の代には大司農に任ぜられた。細かいことにうるさい性格が老年になって悪化し、晩年は常にいらいらし、怒っていたという。
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【三国志14】王嗣の武将能力値紹介

王嗣(オウシ) 統率58 武力43 知力61 政治74 魅力81 蜀の官僚。【演義】記述なし。【正史】功徳が顕著ということで孝廉に推挙され、西安囲[セイアンイ]督、山[ブンサン]太守となり、安遠将軍の位を加えられた。羌族に対して恩愛と信義をもって接したため、羌族は蜀に帰服し、蜀の北方国境は安定した。このため、姜維が北伐を行うと、羌族は毛織物や穀物を出して蜀軍を援助した。のち王嗣が姜維の北伐に従軍して流れ矢に当たって死去すると、その葬儀には数千人の羌族が参列した。
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