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【三国志14】王双の武将能力値紹介

王双(オウソウ) 統率66 武力88 知力19 政治22 魅力25 魏の武将。身長9尺。60斤の大刀、鉄芯の入った弓、流星鎚を使う猛将。曹仁の濡須攻めに参加し、朱桓に大敗した王双とは別人。【演義】諸葛亮の第2次北伐で、曹真が曹叡に推薦して抜擢された。陳倉を包囲する蜀軍を攻め、謝雄、龔起を討ち取り、張嶷に重傷を負わせる。蜀軍が陳倉から撤退すると追撃したが、魏延に斬り殺された。【正史】諸葛亮の第2次北伐で、食糧が尽きて撤退する諸葛亮の軍を騎兵を率いて追撃し、戦死した。
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【三国志14】郭馬の武将能力値紹介

郭馬(カクバ) 統率68 武力71 知力47 政治21 魅力50 呉の合浦太守・脩允の私兵隊長。【演義】記述なし。【正史】脩允が桂林太守への転任を命じられると、先に赴任した。間もなく脩允が死に、私兵隊の分割を命じられるが拒否。孫晧が広州の戸籍調査に乗り出すと、民衆の不安をあおって反乱を起こし、広州の督・虞授[グジュ]を攻め殺した。呉が滅亡する時、南方で反乱が起きると予言されていた孫晧は、これで呉は滅びると嘆いた。陶濬、陶璜らが乱の鎮圧に向けられるが、直後に晋の呉討伐戦が始まり、呉は滅んだ。
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【三国志14】区星の武将能力値紹介

区星(オウセイ) 統率56 武力68 知力38 政治29 魅力53 後漢末、長沙で反乱を起こした賊。【演義】黄巾の乱が平定され、十常侍の悪政が極まった頃、長沙で挙兵。偽りの詔で十常侍から討伐を命じられた孫堅によって、50日もせずに鎮圧された。【正史】将軍を自称し、1万余の兵で長沙を包囲。長沙太守に任ぜられた孫堅によって、一月も経たないうちに鎮圧された。
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【三国志14】郭図の武将能力値紹介

郭図(カクト) 統率56 武力50 知力82 政治68 魅力40 袁紹の参謀。袁紹の死後は袁譚に仕える。【演義】官渡の戦いの前、袁紹が臣下に曹操との開戦の是非を問うた時、開戦を主張した。劉備が袁紹を頼ると殺すように勧める。烏巣の兵糧庫が襲撃された時、張郃と高覧に曹操の本陣を攻めさせるが失敗し、自らの責任を張郃らになすりつけたため、2人は曹操軍に寝返った。袁紹の死後、審配、逢紀と対立し、辛評と共に袁譚に仕える。一時的に曹操に降伏して袁尚を討とうとするが、結局は曹操に南皮城を包囲され、楽進に射殺された。【正史】献帝が長安を脱出した際、擁護するよう進言した。
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【三国志14】楽綝の武将能力値紹介

楽綝(ガクチン) 統率72 武力75 知力40 政治42 魅力55 魏の武将。楽進の子。【演義】曹真の副先鋒となり、先鋒の張虎と共に諸葛亮の北伐軍と戦う。祁山[キザン]の戦いでは諸葛亮の陣を破れずに捕らえられ、裸にされ顔に墨を塗られて帰された。諸葛亮の北伐が終わると、公孫淵の討伐戦に参加。その後、揚州刺史となる。反逆の疑いがある諸葛誕を除こうとする賈充からの密書を受け取るが諸葛誕に見つかり、先制攻撃を受けて殺された。【正史】父親譲りの剛毅な性格で、風貌も似ていた。死後、衛尉を追贈された。
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【三国志14】王沈の武将能力値紹介

王沈(オウシン) 統率18 武力14 知力66 政治70 魅力40 晋の武将。歴史家。「魏書」を編纂した。【演義】王経、王業と共に曹髦から司馬昭暗殺の計画を持ちかけられる。3人で司馬昭に通報しようとするが王経は従わず、王業と2人で出頭した。このため曹髦は討たれ、王経も刑死した。【正史】文才があり、曹髦に「文籍[ブンセキ]先生」と呼ばれた。「魏書」を編纂するが、時勢に配慮したため評判はよくなかった。王沈は曹髦の計画を密告したことで不忠であると批判されたが、司馬政権に尽くし、武将として呉との防衛戦で活躍した。
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【三国志14】郭石の武将能力値紹介

郭石(カクセキ) 統率58 武力62 知力43 政治32 魅力40 後漢末、荊州南部で反乱を起こした賊。【演義】記述なし。【正史】長沙での区星の反乱に呼応して、周朝と結んで零陵、桂陽郡で挙兵する。区星を破った長沙太守・孫堅に討たれ、荊州三郡の反乱は鎮圧された。
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【三国志14】王商の武将能力値紹介

王商(オウショウ) 統率18 武力21 知力74 政治75 魅力73 劉焉の参謀。蜀郡太守。王甫の従兄。【演義】記述なし。【正史】博識として知られ、益州牧・劉焉に招かれて治中従事となる。劉焉や子・劉璋をたびたび諫めては道を正した。人物評価で有名だった許靖に「王商が中原に生まれていれば、王朗だろうと上回ることはできないだろう」と評されている。蜀郡太守に任じられると、農業を広めるなど善政を敷いた。王商が死去すると許靖が後任を務めた。
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【三国志14】楽進の武将能力値紹介

楽進(ガクシン) 統率80 武力84 知力53 政治51 魅力65 曹操の武将。楽綝の父。【演義】曹操の挙兵から従軍し、各地で転戦する。袁家討伐戦では郭図を射殺し、李典らと共に高幹が守る壺関を攻め落とした。赤壁の戦いの後、李典と共に張遼の副将となり合肥を守る。逍遥津[ショウヨウシン]の戦いではわざと負けて孫権軍を誘い込み、張遼の奇襲を成功させた。直後の濡須口攻防で凌統と渡り合い、凌統を追いつめたところに甘寧の矢を受け帰陣した。【正史】小柄ながらも驍勇[ギョウユウ]果断。張遼、于禁、張郃、徐晃と並ぶ名将。官渡の戦いでは淳于瓊を斬った。
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【三国志14】応劭の武将能力値紹介

応劭(オウショウ) 統率68 武力46 知力73 政治67 魅力70 後漢の学者。「風俗通義」「漢官儀」などを著した。【演義】曹操に父・曹嵩を送迎するよう命令されるが、陶謙配下の裏切りで曹嵩を殺害してしまう。曹操に恨まれることを恐れて袁紹を頼って逃げた。【正史】泰山太守の時、黄巾賊の大軍に対して大勝を収める。袁紹の元にいる間に、文化や制度を後世に残すため「漢官儀」や「漢官礼儀故事」を著作。また、「漢書」の注釈も記している。鄴で没した。
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