三国志13

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【三国志13】楊阜 の武将能力値紹介

楊阜(ヨウフ) 統率67 武力50 知力83 政治78 涼州刺史・韋康の幕僚。後に魏に仕える。楊岳の従兄。【演義】213年、冀城が馬超に包囲されると、降伏しようとする韋康をいさめる。韋康が馬超に殺されると、馬超から義人と評され現職に留任した。その後、姜叙、尹奉、趙昂と結託し、歴城で馬超に反旗を翻す。兄弟7人が殺され、自らも負傷するが、夏侯淵の援軍によって馬超を追い払った。230年、蜀に攻め入った曹真と司馬懿が長雨に進軍を阻まれると、撤退を進言。少府となり、曹叡の宮殿造営をいさめた。【正史】張既に評価され、漢中平定後は武都太守となる。
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【三国志13】楊懐 の武将能力値紹介

楊懐(ヨウカイ) 統率62 武力68 知力68 政治62 劉璋の武将。白水の都督。【演義】張魯の侵攻を食い止めるため、劉備が益州に入った時、高沛と共に涪水関[フスイカン](白水関)の守りに就く。劉備から荊州防衛のため帰還すると伝えられると、高沛と共謀して劉備の暗殺を企み、見送りに出る。しかし、龐統に察知され、劉封と関平に処刑された。【正史】龐統からは劉璋軍の名将と評されている。劉備を支援しようとした張松が殺された後、劉璋から、劉備と関わりを持たないように通達される。これが劉備の怒りに触れ、呼び出されて斬られた。
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【三国志13】呂義 の武将能力値紹介

呂義(リョギ) 統率62 武力51 知力65 政治63 蜀の武将。正史での名は呂乂[リョガイ]。【演義】初め劉璋の配下だったが、劉備入蜀後は定遠将軍、漢中太守として蜀に仕える。のちに諸葛亮が起こした北伐軍に参加。後軍において李恢の副将を務めた。【正史】劉備の益州平定に際し、塩府校尉に任じられた王連に招聘されて典曹都尉として出仕。優れた政務が評価されて巴西、漢中、蜀郡の太守を歴任。のちに入朝し、董允の後任として尚書令となった。
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【三国志13】呂岱 の武将能力値紹介

呂岱(リョタイ) 統率75 武力71 知力70 政治75 呉の武将。【演義】大司馬。孫権の臨終の際、諸葛恪と共に枕元に呼ばれ、後事を託された。【正史】孫権が孫策の後を継いだ後、出仕して地方官を務めた。215年、呂蒙らと共に長沙、零陵、桂陽を攻略し、長沙に留まって鎮撫した。220年、歩騭の後を継いで交州刺史に就任。交趾[コウシ]太守・士燮[シショウ]の死後、士燮の息子の士徽[シキ]を討って交州を平定した。潘濬の死後、陸遜と共に武昌に入り、荊州を守る。陸遜の死後は上大将軍、孫亮の代には大司馬となる。
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【三国志13】劉繇 の武将能力値紹介

劉繇(リュウヨウ) 統率62 武力67 知力46 政治70 後漢の揚州刺史。劉岱の弟。前漢の斉の孝王の末裔。【演義】同郡の太史慈の武勇を聞き、配下に招く。しかし、孫策が江東に攻め寄せた時は太史慈の助言を聞き入れずに敗退。劉表を頼って落ち延びた。【正史】戦乱を避けて淮南に移った後、揚州刺史に任ぜられる。しかし、すでに淮南には袁術がいたため、任地の寿春には向かわず、曲阿に州都を置く。以後、呉景と孫賁[ソンホン]を追い出し、樊能、張英らに長江沿岸を守らせ、袁術の侵攻を防いだ。孫策に敗れた後は豫章に移り、反逆した笮融を討つが、間もなく病死した。
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【三国志13】劉劭 の武将能力値紹介

劉劭(リュウショウ) 統率68 武力53 知力74 政治79 魏の武将。【演義】234年、孫権が魏に攻め込んだ時、曹叡の命で江夏の防衛に向かい、陸遜の挟撃作戦を阻止した。【正史】詔勅に従い五経関連の書物を種類別にまとめた「皇覧」の編纂に参加。曹叡の即位後、魏の法令制定に着手し、「新律」十八篇をまとめると同時に、「律略論」を著す。他にも、官僚の勤務評定の基準「都官考課」を作り、詩や音楽にも通じるなど多才だった。233年、孫権が合肥[ガッピ]新城攻撃を企てると、わざと大軍であることを誇示して救援に向かい、戦わずに呉軍を退かせた。
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【三国志13】李厳 の武将能力値紹介

李厳(リゲン) 統率81 武力80 知力76 政治74 劉璋の武将。後に劉備に仕える。李平と改名。【演義】費観と共に綿竹関を守る。劉備軍が攻め寄せると防戦し、黄忠と互角に戦うが、諸葛亮に包囲され降伏。費観を説得して綿竹関を解放した。諸葛亮から「陸遜と互角の人物」と評され、劉備死後は白帝城で呉の動きに備える。諸葛亮の北伐では、食糧の輸送を担当。231年の第4次北伐で調達が間に合わず、呉軍来襲の偽情報を流して遠征軍を帰還させたため、官職を剥奪される。234年に諸葛亮が死に、復職の望みを絶たれると憤死した。【正史】劉表に仕えていた。曹操の荊州侵攻で蜀に逃れる。
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【三国志13】楊柏 の武将能力値紹介

楊柏(ヨウハク) 統率44 武力45 知力19 政治26 張魯の武将。正史では楊白。【演義】楊松の弟。曹操軍に敗れた馬超が張魯を頼った時、張魯が娘を馬超に嫁入りさせようとするのを阻止。馬超と反目する。劉璋への援軍として馬超が劉備との戦いに臨むと、目付として同行。魏延と打ち合い、敗れた。その後、劉備軍への帰属を決めた馬超に呼び出され、斬り殺された。【正史】馬超が張魯に帰属すると、馬超の能力を恐れ、殺害を謀る。察知した馬超は武都から氐[テイ]族の居住地に逃げ込み、劉備軍に降った。
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【三国志13】兪渉 の武将能力値紹介

兪渉(ユショウ) 統率62 武力79 知力24 政治23 袁術の武将。【演義】反董卓連合軍の一員として、董卓軍の華雄が守る汜水関を攻める。華雄が騎兵を率いて攻め寄せると、反董卓連合の盟主・袁紹の呼びかけに応じて出陣。しかし、3合もせずに華雄に討ち取られた。【正史】記述なし。
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【三国志13】劉璿 の武将能力値紹介

劉璿(リュウセン) 統率8 武力21 知力36 政治51 劉禅の長男。劉諶の兄。母は王氏。【演義】蜀が魏に降伏した後、成都で独立しようとした鍾会の反乱に巻き込まれ、魏の兵士に殺された。【正史】238年、15歳で皇太子となる。264年、鍾会の反乱に巻き込まれ、死亡。蜀降伏時に自害した劉諶を除き、他の兄弟は劉禅と共に洛陽に移り住んだ。
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