三国志13

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【三国志13】鄧忠 の武将能力値紹介

鄧忠(トウチュウ) 統率76 武力86 知力69 政治55 魏の武将。鄧艾の子。【演義】鄧艾に従い、姜維の北伐軍と戦う。258年、長城の戦いで姜維と一騎討ちし、互角に渡り合った。263年、鍾会と鄧艾が蜀討伐戦を起こすと、鄧艾の先鋒として陰平の山岳を踏破。江油城、涪城[フジョウ]を落とし、綿竹関で諸葛瞻を破る。間もなく蜀は降伏するが、戦後の統治策を巡り鍾会と鄧艾が対立。鍾会の計略で父ともども衛瓘に捕らえられる。その後、鍾会は自立を図って討たれるが、その混乱の最中、衛瓘、田続に殺された。【正史】洛陽にいた兄弟も処刑された。
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【三国志13】董允 の武将能力値紹介

董允(トウイン) 統率47 武力28 知力79 政治88 董和の子。諸葛亮、蒋琬、費禕と共に蜀の「四相」。【演義】諸葛亮が北伐中、郭攸之、費禕と共に留守を任される。諸葛亮の死後、魏延と楊儀が対立した時は楊儀を支持。魏延を説得しようと漢中に赴くが、到着した時にはすでに魏延は馬岱に討たれていた。【正史】劉備が劉禅を太子に立てた際、劉禅の教育を任される。諸葛亮の死後も劉禅を補佐し、黄皓ら悪臣の台頭を抑えた。輔国大将軍、侍中守尚書令などを歴任し、大将軍となった親友・費禕の次官として国政を担当。董允の死後、黄皓が政権を握り、蜀は滅亡への道を歩む。
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【三国志13】程遠志 の武将能力値紹介

程遠志(テイエンシ) 統率69 武力74 知力17 政治24 黄巾の武将。【演義】副将の鄧茂を従え、5万の兵を率いて幽州涿郡に攻め寄せる。劉焉の義勇兵募集の呼びかけに応じた劉備、関羽、張飛の初陣の相手となり、関羽の青龍偃月刀で真っ二つにされた。【正史】記述なし。
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【三国志13】陳矯 の武将能力値紹介

陳矯(チンキョウ) 統率61 武力27 知力77 政治83 魏の幕僚。陳本、陳騫の父。【演義】赤壁の戦いの後、曹仁と共に江陵を守る。攻め寄せた周瑜を迎撃し、周瑜戦死の偽報に乗せられて曹仁が出陣している間、城の守りを任される。しかし、諸葛亮の命を受けた趙雲に城を奪われ、敗走した。曹操の死後、詔勅を待たずに魏王に即位するよう曹丕に勧め、華歆、王朗らと共に献帝に譲位を迫った。【正史】孫策や袁術からの任用を断り、陳登と共に孫策の侵攻を防いだ。後に中央に移って魏郡太守となり、漢中討伐の後、尚書に就任。尚書令を経て、司徒まで昇った。
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【三国志13】趙範 の武将能力値紹介

趙範(チョウハン) 統率28 武力21 知力32 政治58 後漢の桂陽太守。樊氏は兄嫁。【演義】赤壁の戦いの後、劉備配下の趙雲に攻められ、降伏。趙雲と同姓、同年、同郷だったので意気投合する。しかし、未亡人の兄嫁・樊氏を引き合わせたことで趙雲の怒りを買い、反目。部下の鮑隆、陳応に趙雲を襲撃させるが失敗する。結局、劉備に投降し、桂陽太守に留め置かれた。【正史】赤壁の戦いの後、劉備に降伏。桂陽太守には新たに趙雲が任命される。しばらくして逃亡した。
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【三国志13】張緝 の武将能力値紹介

張緝(チョウシュウ) 統率76 武力29 知力80 政治74 魏の官僚。張既の子。曹芳の張皇后の父。【演義】光禄大夫。呉の諸葛恪が政権を握ると、長くは続かないと司馬師に予言。間もなく諸葛恪は破滅した。254年、夏侯玄、李豊と共に司馬師討伐の相談を曹芳から受けるが、帰途に密詔を司馬師に奪われ発覚。他の参画者ともども処刑された。【正史】李豊と同郷。252年、娘が曹芳の皇后となるが、以後、実務を離れるようになり不満を抱く。254年、李豊と共に、司馬師を失脚させ、夏侯玄を大将軍に、自らは驃騎将軍になる計画を立てるが、発覚して殺された。
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【三国志13】張温 の武将能力値紹介

張温(チョウオン) 統率32 武力10 知力72 政治78 呉の官僚。「呉の四姓」張家の出。【演義】孫策の死後、後を継いだ孫権に招かれる。赤壁の戦いの前、劉備と孫権の同盟締結のために来訪した諸葛亮に論戦を挑もうとするが、黄蓋に止められた。劉備の死後、蜀と呉の同盟を結ぶために来訪した蜀の鄧芝への返礼の使者として、蜀を訪れる。孫権の威光を損ねまいとするが蜀の秦宓に言い負かされ、諸葛亮に仲裁された。【正史】外交で蜀の士から高評を得、帰国後は蜀の政治を称えた。これが孫権の気に障り、官吏の綱紀粛正に失敗して自害した曁艶[キエン]の責任を取らされ、失脚した。
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【三国志13】孫亮 の武将能力値紹介

孫亮(ソンリョウ) 統率32 武力26 知力70 政治76 孫権の七男(末子)。母は潘氏。孫登、孫和、孫覇、孫休の弟。呉の第2代皇帝。妻は全氏(全尚の娘)。【演義】孫和が皇太子を廃されると代わりに皇太子となる。252年、孫権の没後、10歳で第2代皇帝に即位。聡明で知られていたが、政権は諸葛恪、孫峻、孫綝らに握られた。258年、孫綝の暴政を憎んで、全紀、劉丞らと共に孫綝討伐を謀るが、全紀の父・全尚が妻(孫綝の従姉)に明かしてしまい計画が発覚。会稽王に落とされた。【正史】260年、復位を企てていると噂を立てられ、侯官侯に落とされる。任地に向かう途中に自害。毒殺とも。
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【三国志13】孫歆 の武将能力値紹介

孫歆(ソンキン) 統率66 武力69 知力35 政治38 呉の武将。孫賁[ソンホン]の孫。孫鄰[ソンリン]の子。孫述、孫震の弟。【演義】驃騎将軍。晋が呉討伐戦を起こすと、迎撃に当たる。夏口で杜預軍と交戦し、夜の間に長江を渡った周旨に斬り殺された。【正史】楽郷の督になったとあるのみ。
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【三国志13】曹丕 の武将能力値紹介

曹丕(ソウヒ) 統率70 武力71 知力83 政治86 曹操の次男。母は卞氏で、曹彰、曹植、曹熊の実兄。甄氏との間の子が曹叡。魏の初代皇帝・文帝。【演義】袁家の居城・鄴を攻略した際、袁煕の妻・甄氏を娶った。曹植と後継の座を争うが、長幼の序を重視する賈詡らの口添えで王太子に就任。曹操が死ぬと魏王となり、献帝の禅譲を受けて魏の初代皇帝となる。その後、たびたび蜀や呉を攻めるが戦果はなかった。在位7年、曹真、陳羣、司馬懿に次帝・曹叡の後見を託し、病没した。【正史】その治世で制定された九品中正法は、後の貴族制度の礎を築いた。曹操、曹植と並ぶ建安文学の代表者。
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