三国志13

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【三国志13】陶濬 の武将能力値紹介

陶濬(トウシュン) 統率65 武力66 知力46 政治44 呉の武将。【演義】王濬率いる晋の水軍が呉都に攻め寄せた際、2万の兵と水軍を率いて迎撃したいと進言。御林軍(近衛軍)を率いて戦おうとする。しかし、先陣の張象が配下の兵に逃げられ降伏し、石頭城の城門を開けたため、迎撃軍は戦わずに壊滅した。【正史】徐陵の督。279年、交州で郭馬が反乱を起こすと、討伐に赴いた。しかし、晋の大軍が呉に攻め寄せたため武昌から帰還。2万の兵を率いて迎撃に当たろうとするが、出陣前に兵が逃亡したため、果たせなかった。
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【三国志13】程銀 の武将能力値紹介

程銀(テイギン) 統率69 武力73 知力40 政治36 韓遂の武将。【演義】曹操に謀殺された馬騰の復讐のために挙兵した馬超と韓遂に従い、長安、潼関を攻め落とす。渭水の戦いで、曹操の陣に夜襲をかけるが落とし穴にはまり、張横と共に戦死した。【正史】後漢末、関中に割拠した軍閥の一角。211年、馬超や韓遂と合流して反旗を翻すが、渭水の戦いで曹操に敗北し、侯選と共に漢中の張魯を頼る。215年、曹操の漢中討伐で張魯が降伏したため、同時に曹操に降った。
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【三国志13】張翼 の武将能力値紹介

張翼(チョウヨク) 統率75 武力74 知力76 政治72 蜀の武将。【演義】劉備と劉璋が争った時、劉璝の部下として劉備軍と戦い、敗色濃厚になると劉璝を斬って降伏した。その後は、曹操との漢中攻防戦、夷陵の戦い、南蛮制圧、諸葛亮の北伐に参加。諸葛亮の死後は姜維の北伐を支援し、剣閣で鍾会に降伏するまで戦い抜く。蜀滅亡の翌年、姜維と鍾会が魏に謀反した際の混乱に巻き込まれ、死亡。【正史】劉備が益州牧になると登用される。法に厳しく、異民族統治も厳格で、諸葛亮から信頼された。左車騎将軍まで昇進。姜維の北伐には反対していた。
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【三国志13】張勳 の武将能力値紹介

張勳(チョウクン) 統率72 武力68 知力41 政治39 袁術の武将。【演義】袁術が皇帝を自称すると大将軍に任命され、20万の大軍を率いて呂布の徐州を攻めた。しかし、呂布配下の陳珪の策略で韓暹と楊奉が寝返ったため、大敗を喫した。【正史】袁術が九江に移ると、橋蕤らと共に大将軍に任ぜられた。孫策を心から尊敬しており、袁術の死後は楊弘らと共に孫策を頼ろうとする。しかし、廬江太守の劉勳に待ち伏せされ、捕らえられた。孫策が廬江を攻略した際に脱出し、曹操を頼った。
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【三国志13】孫綝 の武将能力値紹介

孫綝(ソンチン) 統率58 武力55 知力65 政治17 孫静の曾孫。孫綽の子。丞相・孫峻の従弟。【演義】孫峻の死後、後を継いで政権を欲しいままにし、滕胤、呂拠、王惇らを殺して暴政を敷いた。魏の諸葛誕が反乱を起こすと、朱異、全端、唐咨らを援軍に出すが成果なく、朱異を処刑し、降伏した全端、唐咨らの家族も皆殺しにした。その暴虐を恐れた第2代皇帝・孫亮に誅殺されそうになるが、未然に防いで逆に孫亮を廃立。孫休を新帝に迎え、丞相、荊州牧となる。しかし、孫休の命を受けた丁奉、張布らに捕らえられ、処刑された。【正史】孫亮を廃した際、共謀者の全公主も流刑に処した。
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【三国志13】曹熊 の武将能力値紹介

曹熊(ソウユウ) 統率9 武力5 知力52 政治64 曹操の五男。母は卞氏。曹丕、曹彰、曹植の弟。【演義】生来病弱で、曹操が死亡した時、葬儀に参加できず任地に籠もっていた。曹丕からの問責の使者が来訪すると、罪を恐れて自害した。【正史】早くに死んだとのみあり、曹丕からの問責や自害したという記述はない。
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【三国志13】孟宗 の武将能力値紹介

孟宗(モウソウ) 統率47 武力28 知力72 政治78 呉の官僚。後に、孫晧の字「元宗」を避けて孟仁と改名する。二十四孝の1人。孟宗竹の故事が残る。【演義】258年、孫綝の命を受け、精兵を率いて武昌に駐屯した。これが、孫綝が孫休を廃そうとしている兆しと判断され、丁奉、張布による孫綝暗殺のきっかけとなる。【正史】南陽の李粛の下で学び、李粛から「宰相の器」と評された。母親への孝行で有名。母親が亡くなると、勝手に任地を離れたら死罪という法を知りながら葬儀に駆けつけ、後に自首。陸遜の弁護で、孫権から特例として許された。光禄勲、御史大夫を経て、司空まで昇進。
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【三国志13】単経 の武将能力値紹介

単経(ゼンケイ) 統率71 武力68 知力43 政治49 公孫瓚の武将。【演義】記述なし。【正史】公孫瓚から兗州刺史に任ぜられる。袁紹と対立する袁術が公孫瓚に援軍を要請すると、公孫瓚の命を受けて劉備、陶謙と共に出兵し、平原に駐屯。袁紹を圧迫したが、袁紹に協力した曹操に破られた。
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【三国志13】文鴦 の武将能力値紹介

文鴦(ブンオウ) 統率76 武力91 知力65 政治32 魏の武将。文欽の次男。文虎の兄。本名は文淑(文俶とも)。幼名が阿鴦で、文鴦は通称。身長8尺。鋼の鞭を使う。その活躍ぶりが趙雲に比較されるほどの猛将。【演義】文欽と共に毌丘倹の反乱に加わり、司馬師の陣を急襲。鄧艾に迎撃され、単騎で脱出して呉に逃亡した。諸葛誕が反乱を起こすと、文欽と共に呉の一軍を率いて救援に駆けつける。しかし、諸葛誕と仲違いした文欽が殺されたため、弟の文虎と共に魏軍に降伏した。【正史】晋代に涼州の異民族を鎮圧して名声を上げるが、司馬炎に嫌われ、罷免。反逆の罪を着せられ処刑された。
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【三国志13】諸葛誕 の武将能力値紹介

諸葛誕(ショカツタン) 統率72 武力72 知力76 政治75 前漢の名臣・諸葛豊の子孫。呉の諸葛瑾、蜀の諸葛亮の従弟だが魏に仕える。諸葛靚の父。【演義】反乱を起こした毌丘倹を司馬師が討伐した際、従軍して活躍した。司馬昭が実権を握ると対立し、呉の孫綝の助力を受けて挙兵。緒戦で楽綝を討ち取る。しかし、司馬昭に寿春城を包囲され、迎撃策に異を唱えた文欽を斬ったことで孤立。寿春への突入を許し、胡奮に斬られた。直属の兵士数百人は全員、降伏せずに殉死した。【正史】夏侯玄、鄧颺らと親交があり、「四聡八達」と自称。才人気取りを曹叡に嫌われ、重用されなかった。
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