三国志13

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【三国志13】田疇 の武将能力値紹介

田疇(デンチュウ) 統率66 武力66 知力73 政治76 後漢の議郎。【演義】袁紹に仕えた。袁紹の死後、曹操が烏丸を討伐しようとした際、道案内として召し出される。烏丸討伐後、柳城の守りを任されそうになるが、固辞した。【正史】劉虞に仕え、早くから公孫瓚を警戒していた。献帝への使者として長安に赴くが、劉虞が公孫瓚に殺されたため隠棲。袁紹や袁尚の招きには応じず、北方に籠もって善政を敷いた。郷里を荒らした烏丸を恨んでいたため、曹操の烏丸討伐には協力。しかし、その後は曹操の任用も固辞し、親しかった夏侯惇の説得も拒んだ。
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【三国志13】張昭 の武将能力値紹介

張昭(チョウショウ) 統率33 武力3 知力84 政治97 呉の幕僚。張紘と共に「二張」と称された策士。【演義】孫策が江東に進出する前、周瑜の勧めで張紘と一緒に招かれた。孫策の死期が迫ると、後継者の孫権を内政面で補佐するよう遺言される。赤壁の戦いでは曹操への降伏を主張。孫権と同盟を結んで曹操と対抗しようとする諸葛亮を、論戦で説き伏せようとして失敗した。以後も呉の元老として孫権を補佐し続けた。【正史】徐州の名士だったが、争乱を避けて江東に逃れた。剛直な性格で、陶謙からの推薦を断って投獄されたり、孫権と喧嘩して屋敷に火をかけられたこともある。
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【三国志13】眭固 の武将能力値紹介

眭固(スイコ) 統率63 武力71 知力38 政治7 河内[カダイ]太守・張楊の武将。もと黒山の賊。【演義】下邳で曹操軍に包囲された呂布を救援するため出陣した張楊が、配下の楊醜に殺されると、その楊醜を討った。その後、犬城に入り、曹操軍の史渙に追討された。【正史】191年、同じ黒山賊の于毒、白繞[ハクジョウ]らと共に魏郡を攻略するが、翌年、曹操に敗退した。199年に楊醜を討った後、旧張楊軍を率いて袁紹に味方し、射犬に駐屯。巫女に「字が兎なのに、犬の名の土地にいるのは不吉」と言われたが、聞き入れなかった。その後、犬城で史渙、曹仁、于禁、徐晃らと戦い、敗死した。
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【三国志13】周泰 の武将能力値紹介

周泰(シュウタイ) 統率82 武力88 知力48 政治38 呉の武将。【演義】揚子江の江賊。周平の兄。江賊の蒋欽と共に、江東に進出した孫策に仕える。孫権に従い宣城を守るが山賊に襲撃され、全身に槍傷を負いながら孫権を救出した。その後、赤壁、合肥[ガッピ]、夷陵の戦いなどで主力として参戦。特に215年の合肥攻防戦では、魏軍に包囲された孫権と徐盛を救出し、孫権から青絹の傘を下賜された。【正史】濡須督になった際、指揮下に入った朱然、徐盛らが不満を述べたが、孫権は周泰の傷を1つ1つ指さしながら功績を語り、朱然らを納得させた。
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【三国志13】耿紀 の武将能力値紹介

耿紀(コウキ) 統率36 武力21 知力60 政治74 曹操の官僚。【演義】若い時より曹操に仕えていたが、曹操が王となり、帝位の簒奪に及ぶのを阻止するため、吉本、金禕、韋晃らと許昌で反乱を起こした。だが反乱は失敗し捕らえられる。曹操を罵ったため口を切られるが、死ぬまで罵り続けた。【正史】光武帝に仕えた名将・耿国の末裔とされる。処刑の際、「恨むのは自ら謀らず、小僧どもに狂わされたことだ」と罵ったとされる。
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【三国志13】顧譚 の武将能力値紹介

顧譚(コタン) 統率53 武力23 知力77 政治83 呉の丞相・顧雍の子。「呉の四姓」顧家の出。【演義】記述なし。【正史】諸葛恪、張休、陳表と共に皇太子・孫登の学友となる。その優れた見識は並ぶ者がなかった。顧雍の死後、太常となる。太子・孫和を差し置いて魯王・孫覇を寵愛する孫権に、嫡子と庶子は分けて接するように進言。孫覇との関係が悪化する。更に孫覇派の全奇を蔑視していたため、全琮親子に陥れられ、交州に流された。その憤りから「新言」20巻を著し、流刑から2年後、42歳で死去した。
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【三国志13】厳顔 の武将能力値紹介

厳顔(ゲンガン) 統率80 武力81 知力73 政治66 劉璋配下の巴郡太守。後に劉備に仕える。【演義】劉璋が劉備を招いて張魯を防ごうとするのを反対した。張飛の攻撃を受け籠城して防ぐが、計略に乗って出撃したところを捕らえられた。「蜀には首を斬られる将はいても、降伏する将はいない」と張飛に言い放ち、非礼をわびた張飛の説得でついに降伏。蜀への道を開き、劉備から歓待された。曹操との漢中攻防戦では黄忠と共に出陣し、天蕩山[テントウザン]の戦いで夏侯徳を斬った。【正史】張飛に捕らえられてから降伏するまでの記述のみあり、張飛の計略や黄忠との共闘については記述がない。
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【三国志13】闞沢 の武将能力値紹介

闞沢(カンタク) 統率43 武力49 知力83 政治86 呉の幕僚。【演義】孫策の死後、孫権に招かれ配下となった。赤壁の戦いで黄蓋の偽りの降伏文書を曹操に届け、その弁舌で曹操を欺く。帰還すると甘寧と共に、曹操から密偵として派遣されていた蔡中と蔡和をだまし、苦肉の計を成功させた。劉備に関羽の復讐戦を挑まれた孫権が誰を防衛指揮官にするか迷った際、ただ1人陸遜を推挙した。【正史】孫権即位後、尚書、中書令。後に太子太傅となり、孫和を教育する。呉の暦「乾象暦注」を著し、虞翻から「現代の董仲舒[トウチュウジョ]」と称賛された。
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【三国志13】賈詡 の武将能力値紹介

賈詡(カク) 統率88 武力48 知力97 政治85 李傕、郭汜の参謀。後に張繍、曹操に仕える。【演義】董卓の死後、長安を奪って献帝を擁立するよう李傕らに進言。長安奪還後は献帝のために立ち回り、献帝が長安を脱出すると張繍の配下となった。鄒氏と懇ろになった曹操に夜襲を仕掛けるなど、曹操軍を再三苦しめるが、官渡の戦いの直前、張繍を説得して曹操に降伏。渭水の戦いでは、馬超と韓遂の仲を割く離間の計を成功させた。曹操が後継者選びに悩んだ際、曹丕を立てるよう進言。曹丕が即位すると太尉になった。【正史】閻忠から張良、陳平に匹敵する策士と評される。
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【三国志13】王威 の武将能力値紹介

王威(オウイ) 統率60 武力70 知力62 政治52 劉表の武将。【演義】蔡瑁が劉備暗殺を謀った時、趙雲を劉備から引き離す役を文聘と共に担った。劉表の死後、劉琮が曹操に降伏しようとすると、入城する曹操を奇襲する策を献じるが聞き入れられなかった。青州への赴任を命じられた劉琮の供をし、その道中で曹操の命を受けた于禁に討たれた。【正史】南下する曹操の油断をついて殺すように劉琮に進言するが、採用されなかった。劉琮と共に討たれたという記述はない。
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