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【三国志13】魯淑 の武将能力値紹介

魯淑(ロシュク) 統率73 武力53 知力74 政治76 呉の武将。魯粛の子。魯睦[ロボク]の父。【演義】記述なし。【正史】濡須督・張承に見込まれ、後継者と目された。孫休の代に武昌の督、孫皓の代には夏口の督となる。任地では常に厳正な統治を行った。274年に死去し、子の魯睦が後を継いだ。
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【三国志13】凌操 の武将能力値紹介

凌操(リョウソウ) 統率75 武力81 知力42 政治35 呉の武将。凌統の父。【演義】孫策に討伐された厳白虎が余杭に逃れてきた時、住民を率いて打ち破り、孫策に仕えた。孫権の代、江夏の黄祖を攻めた際、一番乗りで斬り込むが、甘寧に射殺された。これが因縁となり、凌統は甘寧を仇敵としてつけ狙うようになる。【正史】孫策が挙兵すると配下に加わり、山越族の平定に貢献。剛胆な性格で、常に先陣を切って戦った。203年、孫権の指揮下で江夏の黄祖を攻め、流れ矢に当たって死亡。甘寧の矢に当たって死んだという説もある。
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【三国志13】劉磐 の武将能力値紹介

劉磐(リュウバン) 統率69 武力76 知力47 政治43 劉表の甥。【演義】黄忠と共に長沙を守っていたが、劉備が長沙を支配した時は攸県に隠居していた。黄忠の推挙で劉備に招かれ、長沙太守となる。【正史】劉表の命で、黄忠と共に長沙の攸県を守る。勇猛でたびたび艾[ガイ]、西安などの諸県に攻め込んだが、孫策が太史慈に防がせたため、攻撃をやめた。
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【三国志13】劉璝 の武将能力値紹介

劉璝(リュウカイ) 統率71 武力73 知力67 政治44 劉璋の武将。【演義】張魯の侵攻を恐れた劉璋が劉備に救援を求めた時、張任と共に反対。龐統に命じられた魏延が剣舞にかこつけて劉璋を斬ろうとした時も、張任らと共に阻止した。劉備が涪水関を奪い、劉璋領内に攻め寄せると、張任、冷苞、鄧賢と協力して雒城[ラクジョウ]で防戦。味方の降伏が相次ぐ中、最後まで戦おうとする。しかし、配下の張翼に斬られ、雒城は劉備軍に明け渡された。【正史】張任、冷苞、鄧賢と共に涪城で劉備軍を迎撃するが敗れ、綿竹に籠もった。
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【三国志13】李異 の武将能力値紹介

李異(リイ) 統率63 武力77 知力19 政治18 呉の武将。金色の斧を使う。【演義】孫桓の武将。関羽の復讐のため、劉備が荊州に攻め寄せると、宜都[ギト]で迎撃。同僚の謝旌が張苞と戦い、劣勢になると、加勢に乗り出す。20合打ち合った後、張苞の馬を同僚の譚雄が射て、張苞が落馬。討ち取ろうと斧を振り上げたところを、関興に斬り落とされた。【正史】219年、陸遜の指揮下で謝旌と共に荊州を攻め、詹晏[センアン]を破り、陳鳳を捕らえた。221年、荊州に攻め寄せた蜀の呉班、馮習に敗れる。翌年、陸遜が夷陵で蜀軍を大破すると、劉阿と共に南山まで追撃した。
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【三国志13】楊済 の武将能力値紹介

楊済(ヨウサイ) 統率67 武力68 知力71 政治66 晋の武将。司馬炎の楊皇后の叔父。【演義】冠軍将軍。279年、呉討伐戦が始まると、杜預の指揮下で襄陽に駐屯し、各軍を監督した。【正史】弘農の名門・楊氏の出で、楊修と同族。呉を平定した後、都督荊州諸軍事となる。恵帝が即位すると太子太傅に就任するが、間もなく、八王の乱に巻き込まれ死亡した。
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【三国志13】李斯 の武将能力値紹介

李斯(リシ) 統率15 武力24 知力88 政治98 秦の宰相。荀卿(荀子)の門下。楚の役人だったが、厠のネズミと穀倉のネズミを見て人の置かれている環境の重要性を知る。その後、荀子に師事。法家の才を磨き、呂不韋[リョフイ]の推挙を得て秦に仕官する。秦王・政(嬴政[エイセイ])の信頼を得ると、積極的に献策し、秦の天下統一に貢献した。統一後は、群臣中で唯一、郡県政による中央集権を説き、丞相として法治国家の確立に努めた。その後、始皇帝が没すると、宦官の趙高の陰謀に乗り、二世皇帝に胡亥[コガイ]を擁立。だが、次第に趙高に疎まれ、無実の罪で処刑された。
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【三国志13】李牧 の武将能力値紹介

李牧(リボク) 統率96 武力72 知力86 政治73 戦国末期の趙の将軍。守戦の名将。趙の北方の国境守備の任に就き、雁門に駐屯して匈奴に備えた。堅守策を取ったため、趙王に臆病と断定されて他の者に代えられたが、被害が増大。再起用時は、伏兵を用いて匈奴に大打撃を与え、北方を安定させた。秦の大軍が攻めてくると、廉頗を失っていた趙の幽繆王[ユウボクオウ]は、李牧を大将軍に任じて防がせた。苦戦した秦軍は、李牧を排除するために幽繆王の寵臣・郭開に大金を贈って離間を画策。郭開の讒言を信じた幽繆王は、密かに李牧を捕らえて斬った。李牧の死の三カ月後、趙は滅亡した。
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【三国志13】李信 の武将能力値紹介

李信(リシン) 統率70 武力88 知力43 政治56 戦国末期から秦代にかけての秦の将軍。燕の太子・丹の命を受けた荊軻による秦王・嬴政[エイセイ]暗殺未遂事件の報復に燕都・薊を攻略した際、太子・丹を討ち取った。嬴政に楚攻略に必要な兵力を問われた際、「20万の兵で十分」と豪語。王翦は「60万は必要」と答えたが、嬴政は李信の意見を容れ、李信と蒙恬に20万の兵を与えて楚討伐を命じた。李信は蒙恬と二手に分かれて楚の各地を攻略したが、城父で蒙恬と合流したところを、三日三晩不休で追跡してきた項燕率いる楚軍に急襲され、大敗。王翦が楚を破った後、王賁と燕、斉を平定した。
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【三国志13】楊密 の武将能力値紹介

楊密(ヨウミツ) 統率35 武力32 知力51 政治68 後漢の官僚。中郎将。【演義】董卓の死後、長安を制圧した李傕と郭汜は権力を二分していたが、徐々に対立。ついに交戦状態となったところで、太尉の楊彪は官僚を引き連れて郭汜の陣を訪れ、和睦を勧めた。しかし郭汜は官僚を監禁。これを批判した楊彪らを郭汜は斬り捨てようとしたが、楊密に諫められて剣を収めた。【正史】正史でも、楊彪や朱儁を斬ろうとした郭汜を、楊密が諫止したと記されている。
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