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【三国志13】呂翔 の武将能力値紹介

呂翔(リョショウ) 統率54 武力71 知力12 政治19 袁尚の武将。後に曹操に仕える。演義では呂曠の弟。【演義】袁尚と袁譚が争った時、呂曠と共に先陣となる。しかし、袁譚が曹操に通じたのを知って、降伏。曹操から列侯に封ぜられる。壺関の戦いでは荀攸の策に従い、偽って降伏して高幹をおびき出した。曹操が南下を開始すると、曹仁の先鋒として新野の劉備を攻撃。張飛に返り討ちにされた。【正史】袁尚と袁譚が争っている間、呂曠と共に袁尚の下を離れ、曹操に降伏。新野攻めに加わったという記述はない。
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【三国志13】劉曄 の武将能力値紹介

劉曄(リュウヨウ) 統率56 武力32 知力92 政治73 曹操の幕僚。阜陵王・劉延(後漢光武帝の子)の末裔。【演義】字は子陽。郭嘉の勧めで曹操に仕え、満寵と呂虔を推薦する。張繍を説得して降伏させ、官渡の戦いでは袁紹の弓櫓に対抗して投石車を創るなど活躍した。曹操が漢中を平定すると、司馬懿と共に余勢を駆って蜀を攻めるように進言。後に聞き入れなかったことを曹操に後悔させた。曹叡の代、曹真の蜀進攻で軍師を務めた。【正史】「父の側近は悪人だから大人になったら討て」という母親の遺言に従い、13歳の時に実行。許劭からは「君主を補佐する才がある」と評された。
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【三国志13】劉璋 の武将能力値紹介

劉璋(リュウショウ) 統率31 武力5 知力34 政治38 益州牧・劉焉の子。劉範、劉誕、劉瑁の弟。劉循の父。【演義】益州牧となるが、暗愚な君主と評される。張魯が益州攻めの動きを見せると、同族の劉備に援軍を求めた。しかし、間もなく劉備と敵対関係になる。214年、成都を包囲され、民衆への被害をおもんぱかって降伏。妻子と共に荊州南郡の公安に移住させられた。【正史】兄の劉範、劉誕は馬騰の挙兵に応じて戦死、劉瑁は病死したので劉焉の後を継いだ。張魯が命令に従わなくなると、その母弟を殺害。劉備に降伏した後は公安に移住するが、関羽が孫権に敗れると呉に降った。
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【三国志13】陸遜 の武将能力値紹介

陸遜(リクソン) 統率94 武力69 知力95 政治87 呉の武将。元の名は陸議。「呉の四姓」陸家の出。陸抗の父。年少の又従兄弟・陸績に代わり一族を率いる。【演義】孫策の死後、孫権の幕下に招かれる。219年、へりくだった書状を送って関羽を油断させ、呂蒙の荊州攻略を支援した。夷陵の戦いでは、劉備の大軍に火攻めで勝利。石亭の戦いでも曹休を大破し、呉の大黒柱となる。【正史】早くに父を失い、陸康の下に身を寄せるが、陸康は孫策に討たれる。孫権の代に和解し、孫策の娘を妻とした。以後、異民族の討伐に活躍。244年、丞相となるが、孫和と孫覇の後継者争いに巻き込まれ、憤死。
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【三国志13】楊肇 の武将能力値紹介

楊肇(ヨウチョウ) 統率70 武力65 知力68 政治62 晋の武将。楊曁[ヨウキ]の子。楊潭[ヨウタン]、楊歆[ヨウキン]の父。【演義】記述なし。【正史】荊州刺史。272年、呉の歩闡が晋に降伏すると、羊祜と共に歩闡が治める西陵の救援に向かう。しかし、呉から派遣された陸抗が堤防を決壊させて羊祜の進軍を阻んだため、単独で呉軍と戦うことになる。劣勢のまま数カ月対陣した後、夜陰に乗じて退却を指示。察知した陸抗の夜襲を受け、大敗を喫した。
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【三国志13】柳毅 の武将能力値紹介

柳毅(リュウキ) 統率62 武力54 知力18 政治50 遼東太守・公孫度の部下。【演義】記述なし。【正史】公孫度に重用された官吏の一人。中原の混乱を耳にした公孫度が、天下への野望を語った相手としてその名が伝わっている。のちに営州に駐留するが、曹操の命を受けた張遼の討伐を受け駆逐された。
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【三国志13】呂玲綺 の武将能力値紹介

呂玲綺(リョレイキ) 統率79 武力88 知力37 政治18 架空の人物。呂布の娘で、父親譲りの武勇を誇る。【演義】記述なし。呂布には厳氏との間に娘がいた。呂布が李傕に敗れて長安を脱出した時、置き去りにされるが、龐舒[ホウジョ]にかくまわれ、呂布の下に送り届けられる。その後、袁術の息子との政略結婚話が整うが、寿春に向かう途中で連れ戻された。呂布が下邳で曹操に包囲された時、再度、結婚話が浮上するも、曹操と劉備に阻止された。呂布の死後、家族は許昌に移された。【正史】記述なし。
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【三国志13】呂曠 の武将能力値紹介

呂曠(リョコウ) 統率56 武力70 知力13 政治22 袁尚の武将。後に曹操に仕える。演義では呂翔の兄。【演義】袁尚と袁譚が争った時、袁尚の先鋒として岑壁を斬った。しかし、袁譚が曹操に通じると、形勢不利と見て降伏。曹操から列侯に封ぜられ、袁尚側の馬延らを帰順させる。壺関では高幹に偽って降伏し、楽進、李典らの伏兵を成功させた。曹操が荊州に狙いを定めると、曹仁の指揮下で新野の劉備を攻めるが、趙雲に討たれた。【正史】袁尚と袁譚が争うようになると、呂翔と共に袁尚から背き、陽平に駐屯。その後、曹操に降った。新野攻めに加わったという記述はない。
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【三国志13】劉封 の武将能力値紹介

劉封(リュウホウ) 統率75 武力79 知力44 政治50 樊城[ハンジョウ]の県令・劉泌の甥。劉備の養子。【演義】徐庶の知略で曹仁を破った劉備が樊城に入った時、気に入られ養子となる。博望坡の戦い、益州進攻戦、漢中攻防戦で活躍。漢中平定後、孟達、王平と共に上庸を攻略する。その後、麦城で孤立した関羽から援軍を求められるが、孟達の勧めもあって拒否。これが関羽の死の一因となり、劉備に恨まれる。220年、魏に降った孟達を攻めるが大敗。成都に帰還後、処刑された。【正史】孟達と仲が悪かった。剛勇な性格。劉備の死後は誰も抑えられないと考えた諸葛亮の進言で、死を賜った。
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【三国志13】劉循 の武将能力値紹介

劉循(リュウジュン) 統率63 武力46 知力41 政治50 劉璋の長子。劉闡[リュウセン]の兄。妻は龐羲の娘。【演義】劉備が益州に攻め寄せると、自ら志願して呉懿、呉蘭、雷銅と共に雒城[ラクジョウ]を守備。張任らの活躍で幾度となく劉備軍を撃退するが、味方の降伏が相次ぎ、次第に劣勢になる。最後は守将の劉璝が張翼に斬られ、陥落。単騎で脱出し、成都に帰還した。【正史】雒城で劉備軍を一年近く防いだ。劉璋が劉備に降伏した後、奉車中郎将となり、成都で劉備に仕える。劉璋と弟の劉闡らは荊州に移住し、関羽の敗死後は呉に降ったため、敵味方に別れた。
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