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【三国志13】徐邈 の武将能力値紹介

徐邈(ジョバク) 統率55 武力32 知力68 政治82 魏の官僚。【演義】記述なし。【正史】曹操が河北を平定した際に見出され、南安、平陽、安平などの太守を歴任し、各地で業績を上げた。曹叡の代には涼州刺史となり、水田開発、教育、西域との通行などに尽力。西方異民族の入貢を受けるようになる。その後、中央に戻り、大司農、司隷校尉、光禄大夫などを歴任し、百官から敬慕された。晩年、司空に任ぜられたが固辞。酒好きで、禁酒令を破って曹操の怒りを買い、鮮于輔[センウホ]の取りなしで刑を免れたことがある。
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【三国志13】向朗 の武将能力値紹介

向朗(ショウロウ) 統率28 武力18 知力74 政治74 劉備の幕僚。向寵の叔父。【演義】益州制圧に苦戦する劉備を諸葛亮が救援した際、荊州に残って関羽を補佐するよう命じられた。【正史】司馬徽に師事し、徐庶、韓嵩、龐統らと親交があった。劉表に仕えていたが、劉表が病死すると劉備に仕える。劉備の蜀平定後、巴西、房陵太守などを歴任した。諸葛亮が南蛮制圧に赴くと丞相府の職務を代行し、諸葛亮が北伐を起こすと漢中に赴任。しかし、友人の馬謖をかばったため免官され成都に戻された。後に光禄勲、左将軍となり、三公に次ぐ特進の位を授かった。
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【三国志13】焦彝 の武将能力値紹介

焦彝(ショウイ) 統率62 武力69 知力63 政治42 諸葛誕の武将。後に司馬昭に仕える。【演義】司馬昭に対し反旗を翻した諸葛誕と共に寿春城で籠城する。城が司馬昭軍に包囲された際、同僚の蒋班と共に早期決戦を主張。しかし、諸葛誕に拒否され、蒋班ともども城を脱出して司馬昭に降伏した。【正史】蒋班と共に城外決戦を主張したが、文欽が籠城策を主張し、諸葛誕も蒋班を殺そうとしたため、2人そろって降伏した。
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【三国志13】周魴 の武将能力値紹介

周魴(シュウホウ) 統率52 武力41 知力80 政治75 呉の鄱陽太守。周処の父。【演義】228年、偽って魏の曹休に投降し、呉が滅ぶ七つの理由を述べて、呉討伐軍を起こさせた。皖城[カンジョウ]に入った曹休に一度、計略ではないかと疑われるが、もとどりを切って見せ、曹休を信用させる。その後、石亭に進入した曹休は陸遜に大敗した。【正史】呉への不満を述べた七通の書状を魏に送り、内通を疑われて剃髪した。それを伝え聞いてた曹休は周魴の投降を信じた。石亭で曹休を破った後、裨将軍となる。鄱陽を13年間治め、優れた業績を挙げた。
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【三国志13】司馬伷 の武将能力値紹介

司馬伷(シバチュウ) 統率61 武力52 知力61 政治66 司馬懿の六男。司馬師、司馬昭の弟。【演義】晋の司馬炎の代に、鎮東大将軍、琅邪王に封ぜられる。279年の呉討伐戦に参加し、先に孫晧を降伏させた王濬の軍と合流して、成功を喜びあった。【正史】魏の兗州刺史。魏帝・曹髦が王経らと謀って司馬昭討伐を企んだ際、賈充らと共に曹髦を攻めた。呉平定後は大将軍に昇進。
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【三国志13】蔡中 の武将能力値紹介

蔡中(サイチュウ) 統率40 武力54 知力2 政治22 劉表の重鎮・蔡瑁の従弟。【演義】劉表を頼って新野に入った劉備を蔡瑁が暗殺しようとした際、蔡瑁に協力した。劉表の死後、劉琮が曹操に降伏すると、曹操に臣従する。赤壁の戦いを前に蔡瑁が曹操に処刑された後、蔡和と共に偽って孫権軍に降る。周瑜に「埋伏の毒」と見抜かれるが放置され、黄蓋が周瑜から棒刑を受けた事を曹操に知らせた。この事から曹操は黄蓋の偽りの降伏を信じた。赤壁の戦いが始まると甘寧を曹操の陣まで手引きし、斬られた。【正史】記述なし。
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【三国志13】胡質 の武将能力値紹介

胡質(コシツ) 統率73 武力46 知力74 政治80 魏の武将。胡敏の子。胡威の父。【演義】東莞[トウカン]太守。呉の周魴が曹休を石亭に誘い出した時、賈逵の指揮下で満寵と共に濡須へ兵を進めた。【正史】若い頃から蒋済、朱績と共に淮水一帯で名を知られた。張遼が温恢に部下として迎え入れたいと頼んだこともある。東莞太守から荊州刺史となり、樊城[ハンジョウ]で呉の朱然を撃退。さらに征東将軍となって青州と徐州の軍事を掌握した。農業発展に尽力し、自分の考えを他人に押しつけなかったので、各任地で慕われた。
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【三国志13】公孫度 の武将能力値紹介

公孫度(コウソンド) 統率67 武力71 知力66 政治51 幼名は公孫豹。武威将軍。遼東太守。公孫康、公孫恭の父。公孫淵の祖父。【演義】公孫康、公孫恭との続柄の記述のみ。【正史】同郡出身の徐栄から董卓に推薦され、遼東太守となる。赴任後、烏丸など周辺を制圧して威勢を轟かせた。董卓と諸侯の争いで中原が荒廃すると王を名乗る野望を抱き、後に遼東侯、平州牧を自称した。曹操から武威将軍、永寧郷侯に封ぜられると、「わしは遼東の王だ。何が永寧郷侯だ」と言って印綬をしまいこんだ。
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【三国志13】黄権 の武将能力値紹介

黄権(コウケン) 統率75 武力59 知力82 政治79 劉璋の幕僚。【演義】劉璋が劉備を招いて張魯を防ごうとした時、止めようとしたが聞き入れられなかった。劉備が蜀への侵攻を開始すると、張魯に救援を要請するなど劉備を防ぐ献策を重ねる。劉璋が劉備に降伏すると出仕を拒むが、劉備自らの訪問を受け仕官した。夷陵の戦いでは水軍を任され、劉備が敗れ呉軍に包囲されると、呉に降るのを潔しとせず、魏に投降。家族が劉備に殺されたとの報せを受けるが信じず、劉備も黄権の罪を問わなかった。【正史】魏に降伏後、鎮南将軍、車騎将軍などを歴任。
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【三国志13】虞汜 の武将能力値紹介

虞汜(グシ) 統率61 武力34 知力74 政治71 呉の武将。虞翻の第4子。【演義】記述なし。【正史】孫綝が孫亮を廃立して孫休を迎えようとする時、自ら帝位に即く野望を口にした孫綝に対して、ただ1人自重を促した。薛珝、陶璜らと共に晋の交州を攻め、271年に交趾[コウシ]郡を攻略した。九真、日南郡を呉に取り戻し、交趾郡を分割して新昌郡を新設。更に扶厳を討伐して交州刺史となるが、間もなく病死した。
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