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【三国志13】程昱 の武将能力値紹介

程昱(テイイク) 統率70 武力49 知力90 政治79 曹操の参謀。程武の父。程暁の祖父。元の名は程立。【演義】荀彧の推薦で曹操に仕え、自身は郭嘉を推薦する。徐州侵攻中、曹操が呂布に兗州を奪われた時、荀彧と協力して三県を守り地盤を保持した。倉亭の戦いでは「十面埋伏の計」を献策し、袁紹軍を大破。曹操軍が劉備軍の軍師・徐庶に苦戦すると、母親を保護して偽手紙を作り、徐庶を味方に引き入れる策を献じる。赤壁の戦いでは火攻めを警戒するよう曹操に進言し、黄蓋の偽りの投降をいち早く見抜くが、敗戦を食い止められなかった。【正史】泰山で日を両手で捧げる夢を見、「昱」と改名した。
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【三国志13】陳宮 の武将能力値紹介

陳宮(チンキュウ) 統率83 武力55 知力89 政治83 後漢の中牟県令。曹操に仕えた後、呂布に仕える。【演義】董卓暗殺に失敗した曹操を捕らえるが、曹操の志を知って行動を共にする。しかし、歓待してくれた呂伯奢を誤解から殺した曹操の非情さを知って決別。曹操が陶謙の徐州を攻めた際、曹操に戦いをやめるよう説得するが失敗し、張邈、呂布と結託して曹操から兗州を奪う。その後は呂布の参謀として曹操軍と戦い続け、最後は呂布と共に下邳で捕らえられる。頑として曹操に仕えようとせず、自ら進んで首を斬られた。【正史】董卓暗殺に失敗した曹操を助ける描写はない。
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【三国志13】張邈 の武将能力値紹介

張邈(チョウバク) 統率52 武力53 知力71 政治74 後漢の陳留太守。清流派の名士で、「八厨」の1人に数えられる。袁紹、曹操の友人。広陵太守・張超の兄。【演義】曹操が発する董卓討伐の檄文に応じた諸侯の1人。曹操が徐州の陶謙を攻めると仲裁に当たるが断られる。その後、陳宮や呂布と結託し、曹操から兗州を奪おうとするが失敗。曹操に攻められ、袁術を頼った。【正史】反董卓連合に参加するが袁紹と対立。暗殺されそうになり、曹操に助けられた。その後、張超の謀略に乗って呂布と結び、曹操と戦うが敗北。呂布と共に劉備を頼り、袁術に救援を求めに行く途上で、部下に殺された。
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【三国志13】張繍 の武将能力値紹介

張繍(チョウシュウ) 統率80 武力75 知力64 政治45 董卓の武将・張済の甥。後に曹操に仕える。【演義】叔父の張済が南陽を攻撃中に戦死すると、軍勢を受け継いで宛城を占拠した。197年、曹操に攻められ、参謀の賈詡の進言通りに降伏。しかし、曹操が鄒氏と密通したことに怒り、曹操を急襲。典韋、曹昂を討って宛を取り戻し、劉表と結んで曹操と戦い続けた。袁紹と曹操の対決が迫ると、賈詡の助言に従って曹操に帰順した。【正史】官渡の戦いに従軍し、功績を上げた。207年、烏丸討伐の途上で病死。曹丕から「兄を殺しておきながら、よく平気な顔で会えるな」と責められ、自害したとも。
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【三国志13】張横 の武将能力値紹介

張横(チョウオウ) 統率59 武力70 知力23 政治24 韓遂の武将。【演義】馬超と韓遂が、曹操に謀殺された馬騰の復讐のために挙兵すると、同調して長安、潼関を攻略した。渭南にあった曹操の陣を攻めた際、落とし穴にはまり、同僚の程銀と共に戦死した。【正史】211年に馬超、侯選、程銀、李堪、梁興、成宜、馬玩、楊秋、韓遂らと共に10万の軍勢を率いて曹操に反乱を起こすが敗れた。
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【三国志13】孫翊 の武将能力値紹介

孫翊(ソンヨク) 統率67 武力78 知力27 政治16 孫堅の三男。母は正妻の呉氏。孫策、孫権の実弟。孫匡の実兄。孫朗、孫尚香の異母兄。妻は徐氏。【演義】丹陽の太守となるが、気性が激しく、酒に酔うと兵を鞭打った。妻の徐氏が占卜を立て、大凶と出たにもかかわらずに県の役人を集めて宴を開き、嬀覧、戴員、辺洪らに暗殺された。後に徐氏は仇討ちを志し、孫翊の腹心だった孫高、傅嬰[フエイ]と共に嬀覧らを討った。【正史】勇猛果敢で、兄の孫策に似ていた。孫策臨終の際、張昭らは孫翊に兵権を委ねるよう孫策に勧めている。感情のままに動くところを、朱治にいさめられていた。
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【三国志13】孫匡 の武将能力値紹介

孫匡(ソンキョウ) 統率52 武力46 知力44 政治65 孫堅の四男。母は正妻の呉氏。孫策、権、翊の弟。孫朗、孫尚香の兄。孫泰の父。孫秀の祖父。【演義】孫堅が戦死すると、一族と共に曲阿に移住した。兄の孫策が江東に進出した後、孫策とよしみを結ぼうとした曹操の画策で、曹仁の娘を妻とした。孫策の臨終の間際、孫権が後継者に指名されると、兄弟で助け合うように遺訓された。【正史】孝廉に推挙されるが、官に就く前に20歳余りで死亡した。曹操の弟の娘を妻とする。
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【三国志13】臧覇 の武将能力値紹介

臧覇(ゾウハ) 統率78 武力75 知力53 政治56 呂布の武将。後に曹操に仕える。【演義】兗州を巡って曹操軍と戦うが、兵糧調達中に呂布が曹操に敗れたため、呂布と共に徐州に逃れる。袁術が徐州に侵攻した際は、張遼と共に雷薄を撃破。曹操軍が徐州に侵攻すると、尹礼、呉敦、孫観らと共に泰山の山賊を率いて迎撃する。呂布が敗死すると曹操に帰順。赤壁の戦いでは徐庶と共に西涼の馬騰、韓遂を牽制した。【正史】黄巾の乱では、陶謙に従い鎮圧に当たる。曹操に帰順した後は青州、徐州の軍事を統括し、袁紹や孫権を牽制。曹丕の代には呉の呂範を破り、執金吾まで昇進した。
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【三国志13】曹休 の武将能力値紹介

曹休(ソウキュウ) 統率74 武力75 知力62 政治56 曹操の甥。【演義】銅雀台落成式で見事な弓技を披露し、濡須口の戦いでも凌統の馬を射当てた。曹操の死後、曹洪と共に宮中に乗り込み、曹丕への譲位を献帝に強要。以後は対呉戦線を指揮し、曹丕臨終の際は曹叡の後見を頼まれた。228年、呉の周魴の偽投降を信じ、賈逵らの制止を振り切って石亭に出陣。陸遜に大敗し、間もなく病死した。【正史】曹操が董卓打倒の兵を挙げた時から従軍する。曹操から可愛がられ、曹丕と同様に育てられた。劉備との漢中争奪戦では、張既と共に曹洪を補佐した。
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【三国志13】成公英 の武将能力値紹介

成公英(セイコウエイ) 統率73 武力71 知力80 政治62 韓遂の武将。【演義】記述なし。【正史】韓遂が曹操に敗れて夏侯淵に追撃された時、羌族を頼って難をしのぎ、夏侯淵が撤退した後に勢力を挽回する策を献じた。夏侯淵が帰還し、かつて韓遂の部下だった閻行が残ると、韓遂と共に羌軍を率いて攻撃。しかし、その最中に韓遂が死んだため、曹操軍に降伏した。黄初年間、隴右[ロウユウ]で異民族の伊健妓妾[イケンギショウ]、治元多[チゲンタ]らが反乱を起こすと、涼州刺史・張既と共に鎮圧に当たるが病死した。
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