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【三国志13】張著 の武将能力値紹介

張著(チョウチョ) 統率51 武力58 知力35 政治31 蜀の武将。【演義】黄忠の副将として漢中で魏軍と戦う。敵の糧秣を奪うため出陣したところ、黄忠は張郃や徐晃らに攻められて取り囲まれる。撤退しようとした張著もまた文聘に行く手を遮られ、孤立無援となったところを、救援に駆け付けた趙雲によって救われた。【正史】演義とほぼ同様。
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【三国志13】関平 の武将能力値紹介

関平(カンペイ) 統率80 武力84 知力72 政治60 河北国境に住む関定の次男。関羽の養子。【演義】曹操の下を脱した関羽が劉備と再会する際、関羽と出会い、劉備の仲立ちで関羽の養子となる。新野の戦いでは劉封と共に諸葛亮の火計を成功させた。劉備が益州に侵攻すると従軍するが、龐統が戦死すると荊州に援軍を要請し、諸葛亮らが益州に向かうと、代わって荊州に残り関羽を補佐した。関羽が襄陽に侵攻すると従軍し、活躍。しかし、背後を孫権に急襲され、麦城で関羽と共に捕らえられ刑死した。【正史】関羽の子とあり、養子とは書かれていない。
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【三国志13】全紀 の武将能力値紹介

全紀(ゼンキ) 統率49 武力68 知力61 政治69 呉の黄門侍郎。全尚の子。母は孫綝の従姉。【演義】258年、呉帝・孫亮から、暴政を振るう孫綝を討伐するよう密命を受ける。しかし、父の全尚が計画を妻(全紀の母)に漏らしたため孫綝に露呈し、家族ともども処刑された。この事件で孫亮も帝位を廃された。【正史】孫亮は全紀に相談する際、全紀の母は孫綝の一族だから注意するように促していた。それにもかかわらず、父の全尚が母に打ち明けてしまったことを恥じ、孫亮が孫綝に廃されたのと同時に自害した。
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【三国志13】関羽 の武将能力値紹介

関羽(カンウ) 統率96 武力97 知力73 政治62 劉備の義弟。張飛の義兄。関平、関興、関索の父。【演義】桃園の誓いで劉備、張飛と義兄弟となり、董卓討伐戦で華雄を討って名を上げた。劉備が曹操に敗れた時、劉備の妻を守って曹操に降伏。袁紹軍の顔良と文醜を斬って曹操への義理を果たすと、五関六将を突破して劉備の下へ帰参した。劉備が入蜀すると荊州を統治するが、同盟を結んでいた孫権との関係が悪化。五虎将軍の筆頭になり中原に進出するも、同盟を破棄した孫権軍に荊州を奪われ、麦城で関平ともども斬られた。【正史】「春秋左氏伝」を好み、暗記していた。
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【三国志13】郭淮 の武将能力値紹介

郭淮(カクワイ) 統率84 武力78 知力82 政治77 大司農・郭全の孫。魏の武将。【演義】劉備軍との漢中攻防戦で曹洪に従軍し、連敗した張郃が曹洪に殺されそうになるとかばった。諸葛亮の北伐が始まると曹真に推挙されて副都督となり、以後、司馬懿らと協力して相次ぐ北伐を防いだ。曹爽滅亡後、夏侯覇が反旗を翻すと討伐するが、夏侯覇には逃げられる。隴西[ロウセイ]で姜維と対陣し一度は撃退。再来した姜維によって司馬昭が鉄籠山[テツロウザン]に包囲されると、救出に向かうが、姜維の矢を眉間に受けて戦死した。【正史】曹操の張魯討伐に従軍し、夏侯淵の司馬となった。
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【三国志13】史渙 の武将能力値紹介

史渙(シカン) 統率75 武力68 知力72 政治41 曹操の武将。【演義】官渡の戦いでは、捕虜から得た情報をもとに、兵站輸送を担当する韓猛を徐晃と共に急襲し、兵糧の焼き討ちを成功させている。倉亭の戦いで袁尚と一騎討ちし、討ち取られた。【正史】兵糧焼き討ちは荀攸の計略によるものとされている。曹操が袁尚を攻めようとした際、敵領への深入りを諫めようとしたが、士気を削ぐべきではないと同僚の韓浩に制止されている。袁尚に討ち取られた記述はなく、のち列侯に封じられている。
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【三国志13】賈華 の武将能力値紹介

賈華(カカ) 統率49 武力65 知力41 政治29 呉の武将。【演義】赤壁の戦いの直後、合肥[ガッピ]に出陣した孫権を宋憲と共に護衛した。劉備が孫権の妹との婚礼のため甘露寺に赴いた際、孫権と呂範の命で兵を潜ませる。呉国太が劉備を気に入らなかった場合、劉備を斬る手はずだったが、劉備に察知された。劉備を気に入った呉国太の怒りを買い処刑されそうになるが、劉備のとりなしで命を助けられた。【正史】記述なし。
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【三国志13】阮籍 の武将能力値紹介

阮籍(ゲンセキ) 統率32 武力27 知力80 政治69 魏の文人。竹林の七賢の一人。【演義】記述なし。【正史】親の喪中に酒を飲むなど、礼節を軽んじたため鍾会らに疎まれるが、酒に溺れていたために政争から距離を置くことになった。老荘思想に傾倒し「大人先生伝」「達荘論」を著し、「詠懐詩」などの詩を詠む。喪中に礼儀に倣い弔問した嵆喜を白眼で迎え、酒と琴を持って現れた弟の嵆康を青眼で迎えたことが、故事成語となる「白眼視」の由来となっている。
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【三国志13】王平 の武将能力値紹介

王平(オウヘイ) 統率82 武力78 知力74 政治58 蜀の武将。もと魏の牙門将。【演義】漢中攻防戦で徐晃の副先鋒となるが、徐晃と仲違いし蜀軍に降る。その後、南蛮討伐戦や諸葛亮の北伐に参加。街亭の戦いでは馬謖の補佐を命じられ、独走する馬謖をいさめるが止められなかった。諸葛亮の遺言では忠義の士の1人に数えられる。【正史】元の名は何平。街亭からの後退戦で敵の追撃を許さず、諸将が降格する中1人だけ昇進した。魏延の反乱討伐後、漢中太守、前将軍、鎮北大将軍を歴任し、漢中方面の守備を担った。
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【三国志13】王沈 の武将能力値紹介

王沈(オウシン) 統率58 武力14 知力66 政治70 晋の武将。歴史家。「魏書」を編纂した。【演義】王経、王沈と共に曹髦から司馬昭暗殺の計画を持ちかけられる。3人で司馬昭に通報しようとするが王経は従わず、王沈と2人で出頭した。このため曹髦は討たれ、王経も刑死した。(王業の列伝と同じ。誤りと思われる)【正史】文才があり、曹髦に「文籍先生」と呼ばれた。「魏書」を編纂するが、時勢に配慮したため評判はよくなかった。王沈は曹髦の計画を密告したことで不忠であると批判されたが、司馬政権に尽くし、武将として呉との防衛戦で活躍した。
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