武将 【三国志13】尹賞 の武将能力値紹介 尹賞(インショウ) 統率51 武力44 知力62 政治66 天水の武将。魏に仕えた後、蜀に降る。【演義】姜維の友人。諸葛亮が天水を攻めた時、先に蜀に降伏していた姜維と連絡を取り合う。蜀軍が攻め寄せると同僚の梁緒と謀って城門を開き、蜀軍を招き入れた。【正史】諸葛亮が天水を攻めた時、天水太守の馬遵から異心ありと疑われる。馬遵が逃走したため、姜維、梁虔、梁緒と共に降伏。蜀の滅亡前に死んだ。 武将
武将 【三国志13】鄧艾 の武将能力値紹介 鄧艾(トウガイ) 統率93 武力87 知力89 政治81 魏の武将。鄧忠の父。【演義】兗州刺史として毌丘倹の反乱鎮圧に参加した後、相次ぐ姜維の北伐軍と戦う。共闘した陳泰から高く評価され、「忘年の交わり(年齢差を越えた交わり)」を結んだ。263年、司馬昭の命を受け、鍾会と共に蜀討伐戦を起こす。鍾会が剣閣で姜維と交戦する間に陰平の山道を通過。綿竹関で諸葛瞻を討ち、劉禅を降伏させた。しかし、戦後の旧蜀領統治を巡って鍾会と対立。謀反の疑いをかけられ、洛陽に護送される途中、田続に討たれた。【正史】司馬懿に才能を買われ、屯田政策で功績を挙げた。 武将
武将 【三国志13】陳表 の武将能力値紹介 陳表(チンヒョウ) 統率66 武力42 知力74 政治76 呉の武将。陳武の庶子。陳脩の弟。【演義】記述なし。【正史】諸葛恪、顧譚、張休と共に皇太子・孫登の学友となる。曁艶[キエン]と親しく、官吏任用に失敗した曁艶が罪を得た時は1人だけ曁艶を非難しなかったため評価された。陳武に倣い将軍になりたいと願い出、授けられた兵士を優遇したので心服される。234年、諸葛恪と共に山越の討伐に当たり、その後の反乱鎮圧でも帰順を奨励して兵を得た。34歳で死亡。財産は兵士を優遇するために使い切っており、妻子は孫登に保護された。 武将
武将 【三国志13】張楊 の武将能力値紹介 張楊(チョウヨウ) 統率72 武力70 知力66 政治58 後漢の河内[カダイ]太守。【演義】上党太守の頃、曹操の董卓討伐の号令に応じた。後に河内太守となる。献帝が李傕、郭汜の支配下を脱して洛陽に移った際、食糧を援助して大司馬に任ぜられた。呂布が曹操に包囲されると、呂布を救援して曹操の背後を攻めようとするが、部下の楊醜に殺された。【正史】袁紹が董卓討伐軍を起こした時、上党に駐屯しており、匈奴の於夫羅[オフラ]と共に袁紹に協力した。しかし、於夫羅が反逆を企てたため瓦解し、一時期、於夫羅に捕らえられた。その後、董卓から河内太守に任ぜられる。 武将
武将 【三国志13】趙弘 の武将能力値紹介 趙弘(チョウコウ) 統率66 武力72 知力28 政治22 黄巾の武将。【演義】張角の病死後、韓忠、孫仲と共に数万の軍勢を擁して宛城を占拠していた。朱儁と劉備が率いる討伐軍に攻められ、韓忠が大敗を喫すると降伏を申し出るが、朱儁に拒否された。奮戦して一度は討伐軍から宛城を取り戻すが、朱儁の加勢に来た孫堅軍に攻められ、槊を繰り出して孫堅に突きかかったところを返り討ちにされた。【正史】南陽黄巾の総帥・張曼成秦頡に討たれると後を継ぎ、10万余の兵で宛城を占拠し続けた。朱儁の包囲を数カ月耐えるが、最後は朱儁に斬られた。 武将
武将 【三国志13】譚雄 の武将能力値紹介 譚雄(タンユウ) 統率58 武力73 知力14 政治20 呉の武将。【演義】関羽の仇討ちのため荊州に侵攻してきた劉備軍を、孫桓の指揮下で迎え撃った。緒戦で同僚の李異が蜀の張苞に苦戦すると、張苞の馬を射て助けようとするが、李異は関興に斬られる。翌日の戦いで関興に捕らえられた後、張苞に斬られ、張苞の乗馬の手向けとされた。【正史】記述なし。 武将
武将 【三国志13】孫皎 の武将能力値紹介 孫皎(ソンコウ) 統率77 武力72 知力67 政治71 孫静の三男。孫瑜の弟。孫権の従弟。【演義】字は叔明。孫権が関羽を攻めようとした時、呂蒙と共に関羽討伐の指揮を任されそうになる。しかし、指揮官を2人置くと指揮系統が混乱するとして呂蒙が拒否したため、後方からの補給を担当することになった。【正史】曹操軍が濡須に侵攻するたびに迎撃して食い止め、精鋭と評される。程普、黄蓋、孫瑜らが死ぬと、後任となり兵を引き継いだ。演義と異なり、関羽討伐戦では呂蒙と共に出陣し、荊州平定に大きく貢献している。些細な理由で甘寧と喧嘩し、孫権に仲裁されたこともある。 武将
武将 【三国志13】曹仁 の武将能力値紹介 曹仁(ソウジン) 統率89 武力86 知力63 政治47 曹操の従弟。【演義】陳留で挙兵した曹操に従い、以後、曹操軍の主力として各地を転戦。李典と共に新野の劉備軍を攻めた際は「八門金鎖の陣」を敷いて戦うが、徐庶に敗れ、逆に樊城[ハンジョウ]を奪われた。赤壁の戦いの後は、南郡の守備を任される。侵攻してきた周瑜を負傷させながらも、諸葛亮の計略で城を奪われ撤退した。その後、関羽が襄陽に侵攻すると、満寵と共に樊城に籠もって抗戦し、徐晃が来援して関羽が撤退するまで守り抜いた。【正史】法の運用で曹丕から信頼され、大司馬まで昇った。 武将
武将 【三国志13】全禕 の武将能力値紹介 全禕(ゼンイ) 統率61 武力68 知力44 政治32 呉の重鎮・全琮の孫。演義では全端の子とあるが、正史では全緒の子。全儀の兄。全懌の甥。別名は全輝。【演義】257年、魏で諸葛誕が反乱を起こすと、孫綝の命を受けて諸葛誕に加勢。魏の大軍に包囲されて司馬昭に降伏すると、寿春城内にいた父の全端、叔父の全懌にも降伏を勧告して投降させた。出陣の際、孫綝から「魏軍に負けたらお前たち父子の命はない」と脅されていた。【正史】一族内で争いが起きたため、弟の全儀と共に母を連れて魏に亡命した。その後、鍾会の策に従い、一族が呉で迫害されていると全端と全懌に伝え、投降させた。 武将
武将 【三国志13】徐庶 の武将能力値紹介 徐庶(ジョショ) 統率87 武力64 知力93 政治80 劉備の幕僚。司馬徽門下で、諸葛亮、龐統の学友。【演義】新野にいた劉備に軍師として迎えられ、曹操が派遣した呂曠、呂翔の部隊を初陣で撃破。続いて来襲した曹仁と李典も、曹仁が敷いた「八門金鎖の陣」を破って退けた。その才を欲する曹操に母親を捕らえられ、偽手紙で曹操陣営に招き寄せられる。孝心が募った徐庶は偽手紙と見抜けず、曹操のためには一計も案じないと誓って劉備の下を去った。その別れ際、後任に諸葛亮を推薦する。後に徐庶の母は子の道を誤らせたと嘆き自害した。【正史】元の名は徐福。曹丕の代、御史中丞まで昇進した。 武将