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【三国志13】田文 の武将能力値紹介

田文(デンブン) 統率79 武力67 知力88 政治93 戦国時代の斉の宰相。号は孟嘗君。戦国四君のひとり。田嬰の子で、斉の威王の孫。一芸があれば積極的に食客として迎え入れ、その数は3000人を数えた。秦の昭襄王は名声の高い田文を宰相として迎えたが、讒言をきっかけに田文を殺そうとした。危険を察した田文は食客の力を活用して、斉へ帰国。宰相として政治に当たり、斉の国力を高めたが、増長した斉王に疎んじられる。のちに魏に亡命し、宰相に迎えられた。斉が楽毅に蹂躙された後、田単の活躍によって復興すると田文も再び斉に迎えられた。「鶏鳴狗盗」の故事でも有名。
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【三国志13】孫魯育 の武将能力値紹介

孫魯育(ソンロイク) 統率29 武力8 知力58 政治54 孫権の娘。母は歩練師。孫魯班(全公主)の実妹。朱拠に嫁ぎ、朱公主と呼ばれる。後に劉纂に嫁いだ。【演義】記述なし。【正史】孫魯班は皇太子・孫和をざん言し、魯王・孫覇を孫権の後継者に立てようとしたが、孫魯育は姉に従わなかったため、ふたりの関係に亀裂が生じていた。孫亮の時代に丞相として専権を振るった孫峻の暗殺計画が露見。首謀者の孫儀らが自殺に追い込まれた際、姉・孫魯班が孫峻に孫魯育も陰謀に加担していたと嘘の密告をする。そのため、孫魯育は孫峻に誅殺された。
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【三国志13】孫乾 の武将能力値紹介

孫乾(ソンケン) 統率34 武力33 知力79 政治84 劉備の幕僚。【演義】陶謙の臨終の際、劉備の補佐役として推薦された。劉備が徐州で曹操から独立した時、袁紹に援軍を求める使者となる。しかし、その間に劉備軍が曹操に敗れて瓦解したため、汝南に逃れて劉備一党が再び結集するよう画策。汝南で再起した劉備軍が再び曹操に敗れると、劉表と交渉して庇護を取り付けた。その後も劉備と孫尚香の婚礼で媒酌人を務めるなど、外交面で活躍。劉備の入蜀後、諸将と共に恩賞を受けた。【正史】益州平定後、糜竺に次ぐ厚遇を得、間もなく病死。
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【三国志13】董厥 の武将能力値紹介

董厥(トウケツ) 統率65 武力59 知力76 政治78 蜀の幕僚。【演義】諸葛亮の南蛮征伐と北伐に従軍し、樊建と共に諸葛亮を補佐。後に輔国大将軍となり、剣閣を守る。魏の鍾会と鄧艾が陽平関を突破し蜀領内に侵入すると、姜維、張翼、廖化と共に剣閣で抗戦。しかし、先に成都が陥落したため鍾会に降伏する。劉禅が洛陽に移される時、病気と称して同行を拒み、間もなく死んだ。【正史】蜀末期、諸葛瞻、樊建らと政務を担当。姜維の外征や黄皓の専横を阻止できず、国の疲弊を許す。蜀滅亡後は樊建と共に劉禅に従い、洛陽に移住した。
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【三国志13】蕭何 の武将能力値紹介

蕭何(ショウカ) 統率31 武力27 知力86 政治99 漢三傑の1人、宰相。漢王朝初代相国。沛県の役人だったが、陳勝・呉広の乱が起こると劉邦に呼応して挙兵。以後、劉邦軍の内務一般を取りしきり、秦滅亡時には法令・文書を押さえて、のちの統一事業に役立てた。項羽と劉邦の争いが始まると、韓信を推挙し、地味ながら欠かせない後方支援を一手に担当。項羽との戦に負け続ける劉邦に、兵糧、兵士を補充し続けた。統一後、その功績は群臣中最高のものと評価される。後に相国になると、国家整備と全土の回復に努め、漢王朝の地盤を築き上げた。
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【三国志13】陳震 の武将能力値紹介

陳震(チンシン) 統率46 武力46 知力69 政治76 袁紹の幕僚。後に劉備に仕える。【演義】劉備が曹操に敗北して関羽と離れ離れになった時、劉備と関羽の連絡役となった。その後、袁紹の使者として孫策を訪ね、協力して曹操を討つよう説くが、間もなく孫策は急死する。袁紹敗北後は劉備に仕え、諸葛亮の「出師の表」では郭攸之、費禕、張裔、蒋琬らと並んで忠義に篤い人物と評される。孫権が帝位に即いた時、祝賀の使者として呉を訪れた。【正史】劉備が荊州牧になった時、召し出されて諸郡の政務を取り仕切った。
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【三国志13】曹豹 の武将能力値紹介

曹豹(ソウヒョウ) 統率54 武力69 知力32 政治21 陶謙の武将。【演義】曹操が陶謙を攻めた際、曹操軍の先鋒・夏侯惇を迎撃する。陶謙の死後は劉備に仕えた。また、娘は呂布の妻となった。劉備が袁術を攻める際、張飛と共に下邳の守備を命じられるが、張飛に酒を強要され、断ったため鞭打ちの刑を受ける。その夜のうちに呂布を下邳に招き入れて張飛を討とうとするが、返り討ちにあった。【正史】下邳の相。呂布との婚姻関係に関する記述はない。
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【三国志13】趙統 の武将能力値紹介

趙統(チョウトウ) 統率68 武力67 知力61 政治54 蜀の武将。趙雲の長男。趙広の兄。【演義】諸葛亮の第2次北伐の直前、弟の趙広と共に諸葛亮を訪ね、父の趙雲が病死したことを伝える。劉禅から虎賁中郎に任ぜられ、趙広と共に趙雲の墓を守るよう命じられた。【正史】趙雲が死ぬと後を継ぎ、虎賁中郎、督行領軍まで昇進した。
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【三国志13】張闓 の武将能力値紹介

張闓(チョウガイ) 統率34 武力66 知力8 政治1 徐州刺史・陶謙の配下。【演義】もと黄巾の残党。陶謙の命で、曹操に招かれ兗州に向かう曹操の父・曹嵩を護衛する。しかし、曹嵩一行が持つ財宝に目がくらみ、部下と謀って曹嵩らを皆殺しにすると、財宝を奪って淮南に逃げた。激怒した曹操は徐州に侵攻するが、その間に呂布に兗州を奪われる。【正史】演義と同様。曹操は曹嵩暗殺の責任を陶謙に負わせ徐州に侵攻して民衆を大量に殺害した。後に孫盛は、責任は陶謙にあるのに、陶謙が支配する地域を破壊するのは間違っていると評している。
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【三国志13】馬日磾 の武将能力値紹介

馬日磾(バジツテイ) 統率38 武力22 知力56 政治71 後漢の官僚。【演義】董卓の死後、その死を嘆いた蔡邕を王允が責めた際、蔡邕の才を惜しんで助命を求めた。しかし、王允に拒否されたため、王允の世が短命であることを予言した。【正史】王允の死後、李傕より袁術の懐柔を命じられた馬日磾は、勅使として袁術のもとを訪れたが、袁術から屈辱的な待遇を受けたために憤死した。
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