武将

武将

【三国志13】諸葛緒 の武将能力値紹介

諸葛緒(ショカツショ) 統率41 武力40 知力29 政治46 魏の雍州刺史。諸葛沖の父。【演義】263年、蜀討伐の総大将・鄧艾の命令で、沓中[トウチュウ]にいる姜維の退路を断った。しかし、姜維が雍州を攻める動きを見せたため雍州に軍を返し、姜維に突破を許してしまう。その後、剣閣に籠もる姜維を攻撃するが敗退。激怒した鍾会に斬られそうになるが、諸将の取りなしで命を救われ、洛陽に護送された。【正史】蜀遠征中、蜀軍に恐れをなして前進しようとしないと鍾会に告発され、軍勢を奪われて都に召還された。その後は晋に仕え、太常などを歴任した。
武将

【三国志13】夏侯徳 の武将能力値紹介

夏侯徳(カコウトク) 統率69 武力73 知力32 政治40 魏の武将。【演義】夏侯惇の甥。夏侯尚の兄。劉備軍との漢中攻防戦では、曹操軍の兵糧が蓄えられた天蕩山[テントウザン]を守る。葭萌関で黄忠に敗れた夏侯尚や張郃を保護。黄忠を老将と侮って出陣したが、その直後に自陣が厳顔の火攻めに遭う。消火に赴いたところを厳顔に斬り殺された。【正史】記述なし。架空の人物。
武将

【三国志13】丁儀 の武将能力値紹介

丁儀(テイギ) 統率15 武力5 知力64 政治72 魏の官僚。曹植の腹心。丁沖の子。【演義】曹植の腹心。楊修と共に、曹植を曹操の後継者にすべく画策する。曹丕が後継者に決まると、不遇を恨む曹植と共に飲酒にふけった。曹操が死に、曹丕が魏王となると、葬儀に出席しない曹植を詰問する使者に、「曹植が魏王になるべきだった」と言い、曹丕の怒りを買って殺された。その才は多くの人々に惜しまれた。【正史】曹操の娘(後の清河公主)との縁談があったが、曹丕の口出しで破談になったため、曹植と組み曹丕と敵対した。曹丕が帝位に即くと、殺害された。
武将

【三国志13】朱霊 の武将能力値紹介

朱霊(シュレイ) 統率71 武力73 知力67 政治53 もと袁紹の武将。後に曹操に仕える。【演義】曹操の命を受け、路昭と共に、袁術討伐のため徐州に入った劉備に従軍する。袁術の死後、自立を図る劉備に兵を預けたまま帰還して曹操の怒りを買うが、荀彧の取りなしで助かった。渭水の戦いでは徐晃と共に黄河を渡って伏兵し、馬超を挟撃する態勢を取った。【正史】曹操が陶謙を攻めた際、袁紹から援軍として派遣され、曹操を名君と見てそのまま仕える。しかし、曹操と性格的に合わず、兵を取り上げられ于禁の配下にされたこともある。曹丕の代に後将軍まで昇った。
武将

【三国志13】郝昭 の武将能力値紹介

郝昭(カクショウ) 統率86 武力79 知力78 政治62 魏の武将。【演義】司馬懿の推挙で陳倉の守りにつく。諸葛亮の第2次北伐に抗戦し、諸葛亮が開発した兵器を焼き払って城を守り抜いた。王双が来援し、蜀軍が一度撤退した後、重病にかかる。再度来襲した蜀軍の攻撃で陳倉城に火の手が上がったと聞くと、病状が悪化し死亡した。【正史】曹叡の代に、西平で起きた麹英の反乱を鎮圧。諸葛亮から陳倉を防衛した功で列侯に叙せられ、間もなく病死した。諸葛亮が陳倉を再度襲撃したという記述も、それが原因で死んだという記述もない。
武将

【三国志13】司馬師 の武将能力値紹介

司馬師(シバシ) 統率79 武力64 知力88 政治82 魏の重臣・司馬懿の長男。司馬昭の兄。晋の景帝。【演義】司馬懿に従い、諸葛亮の北伐軍防衛、公孫淵討伐などで活躍した。249年の政変で政敵の曹爽を倒して政権を掌握し、司馬懿の死後、大将軍となる。以後、皇帝を上回る実権を握り、曹芳に誅殺されそうになるが、未然に阻止。曹芳を廃して曹髦を立て、曹芳に協力した夏侯玄、李豊、張緝を処刑した。廃立に反発した毌丘倹、文欽が反乱を起こすと自ら鎮圧するが、間もなく病没。【正史】孫権の死後、呉討伐を命じるが失敗。自ら責任を取り、指揮官の王昶、胡遵、毌丘倹らを処罰しなかった。
武将

【三国志13】韓非 の武将能力値紹介

韓非(カンピ) 統率33 武力17 知力90 政治98 戦国時代末期の思想家。法家の代表的人物。韓の公子。李斯と共に荀子に師事したという。弁舌は不得手であったが著述をよくした。しばしば書簡で韓王に建言したが容れられず、「韓非子」55編を著して政治の方法を論じ、秦王・嬴政[エイセイ]に注目された。のちに韓の使者として秦に赴く。以前の韓非の著作を読んで感ずるところのあった嬴政は、韓非を登用しようと考えたが、韓非の才能が自分の地位を脅かすことを恐れた李斯が讒言し、韓非は投獄された。李斯は獄中の韓非に毒薬を届けて自殺を促し、韓非はこれに従ったという。
武将

【三国志13】鄒忌 の武将能力値紹介

鄒忌(スウキ) 統率65 武力48 知力87 政治89 戦国時代の斉の宰相。斉の威王、宣王に仕え、辣腕を振るった。長身で、容姿に秀でていたことでも有名。琴の名手として知られ、その技をもって威王に仕えていた。ある時、琴になぞらえて政治を語り、その内容に感服した威王から三カ月後に宰相に任命される。一年後には下邳に封ぜられ、成侯と号した。将軍の田忌[デンキ]と仲が悪く、田忌を陥れる為に公孫閲の献策を容れて威王に魏討伐を説き、田忌が魏に敗れて失脚することを狙った。しかし、田忌は三戦三勝したため、謀略を用いて田忌に謀反の疑いをかけ、楚に亡命させた。
武将

【三国志13】陳羣 の武将能力値紹介

陳羣(チングン) 統率32 武力14 知力75 政治96 魏の官僚。陳泰の父。祖父の陳寔[チンショク]、父の陳紀、叔父の陳諶はいずれも後漢の名臣。【演義】曹操臨終の際、曹洪、賈詡、司馬懿らと共に後事を託される。曹操が死ぬと献帝に譲位を迫った。曹丕の死後は司空となり、曹真、司馬懿と共に曹叡を補佐した。【正史】はじめ豫州を支配した劉備に仕え、劉備が呂布に敗れた後は徐州に移る。呂布が敗死すると曹操に仕えた。曹丕が王太子の頃、司馬懿、呉質、朱鑠[シュシャク]と共に学友となる。曹丕が皇帝になると「九品官人法」を献策。これが魏晋南北朝時代の任官制度の基礎となった。
武将

【三国志13】宗預 の武将能力値紹介

宗預(ソウヨ) 統率33 武力36 知力67 政治66 蜀の武将。【演義】諸葛亮の死後、呉が国境の軍備を増強させたのに対し、孫権の真意を尋ねる使者として派遣され、魏の侵攻に備えるためとの言質を取る。【正史】もと張飛の配下。劉備の入蜀後、諸葛亮に重用され参軍などを歴任する。同じく諸葛亮に信任されながら傲慢な態度を取ることが多かった鄧芝に対しても直言をはばからなかった。晩年、お互い老齢となった孫権と再会し、土産に真珠をもらい受けている。蜀の滅亡後、洛陽へ護送される途中で病死した。
タイトルとURLをコピーしました