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【三国志13】奚泥 の武将能力値紹介

奚泥(ケイデイ) 統率62 武力78 知力35 政治22 烏戈国の王・兀突骨の配下。【演義】南蛮王・孟獲救援のため、兀突骨の指揮の下、土安と共に藤甲軍3万を率いて桃花水まで出陣し、蜀軍と対峙する。わざと敗走を繰り返した魏延を追撃して盤蛇谷に入ると退路を断たれ、諸葛亮の火攻めによって焼き殺された。【正史】記述なし。
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【三国志13】張特 の武将能力値紹介

張特(チョウトク) 統率73 武力54 知力75 政治66 魏の武将。【演義】牙門将軍。合肥新城[ガッピシンジョウ]を守る。253年、諸葛恪に包囲されて城壁を崩されると、呉軍に「魏の法律では100日以内に援軍が来なければ、降伏しても罪を問われないことになっている。あと数日で100日になるから、待ってほしい」と申し出る。呉軍が攻撃を中止すると、その間に城壁を修復。戦闘を再開して諸葛恪に矢を射当て、呉軍が暑さと疫病で退却するまで戦い抜いた。【正史】諸葛誕には評価されなかった。諸葛誕の後任となった毌丘倹には認められ、合肥新城の守備を任された。
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【三国志13】張角 の武将能力値紹介

張角(チョウカク) 統率87 武力25 知力86 政治80 黄巾の乱の指導者で、太平道の教祖。張宝、張梁の兄。天公将軍を自称。【演義】南華老仙から授かった「太平要術の書」で呪術を会得した。病気の治療を通じて太平道を組織し、大賢良師を自称。蒼天(後漢)の次は黄天が立つと言い広め、朝廷転覆を謀る。計画の途上、一味の馬元義が捕まり露呈すると、各地の教団を率いて蜂起。盧植や董卓が率いる反乱鎮圧軍に対して優勢に戦うが、間もなく病死した。【正史】張角が挙兵すると、黒山、白波などの賊軍が各地で挙兵し、それぞれ数千から数万の兵を率いた。
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【三国志13】鄒氏 の武将能力値紹介

鄒氏(スウシ) 統率24 武力6 知力77 政治62 董卓の武将・張済の妻。【演義】夫の張済が南陽攻撃中に死亡すると、甥の張繍の下に身を寄せた。197年、張繍が曹操に降伏した際、南陽に進駐した曹操に見初められた。以後、曹操は鄒氏の屋敷に入り浸りになり、激怒した張繍は曹操を攻撃。曹操を守った典韋や曹昂はここで落命した。【正史】張繍が降伏した際、曹操の側室となる。このことを張繍が不快に思っていると聞いた曹操は密かに張繍を討つ計画を練った。しかし、計画が事前に漏れ、張繍に急襲された曹操は大敗した。
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【三国志13】王元姫 の武将能力値紹介

王元姫(オウゲンキ) 統率53 武力37 知力73 政治75 司馬昭の妻。王粛の娘。王朗の孫。【演義】司馬炎(晋の初代皇帝・武帝)と司馬攸の二子を生む。【正史】8歳で「詩経」や「論語」を暗唱するなど学問に優れ品行方正であったため、祖父の王朗からは男に生まれなかったことを惜しまれた。司馬昭に嫁ぎ、司馬炎ら5男1女をもうける。鍾会の反乱を予見し、重用しないよう司馬昭にたびたび告げていた。
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【三国志13】孫峻 の武将能力値紹介

孫峻(ソンシュン) 統率64 武力70 知力65 政治26 孫堅の弟・孫静の曾孫。孫恭の子。孫綝の従兄。【演義】孫権に気に入られ、近衛を統率するが、諸葛恪に職権を奪われる。253年、滕胤と共謀して諸葛恪を斬り、丞相、大将軍となって政権を欲しいままにした。その後、病死し、従弟の孫綝が後を継ぐ。孫綝もまた暴政を敷いたため孫休に討たれ、その際、孫峻の墓も暴かれた。【正史】孫権臨終の際、次帝・孫亮の補佐役に諸葛恪を推した。諸葛恪暗殺後、密通していた全公主(孫魯班)と対立する孫和を自殺させる。孫英、孫儀らに殺されそうになるが阻止し、朱公主(孫魯育)も連座させた。
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【三国志13】曹爽 の武将能力値紹介

曹爽(ソウソウ) 統率39 武力33 知力30 政治66 魏の重鎮・曹真の子。曹羲、曹訓、曹彦の兄。【演義】曹叡から、司馬懿と共に曹芳を補佐するよう頼まれる。曹叡の死後、腹心の何晏の進言を受け、司馬懿から実権を奪って政治を私物化した。司馬懿の老衰の演技にだまされ、安心して頻繁に巻狩りを開催。249年、曹芳と共に狩りに出ている最中、司馬懿に兵権を奪われる。知恵袋の桓範から、曹芳を擁して司馬懿を討つよう勧められたが、その気概はなく「まるで豚だ」と嘆かれた。結局、一派もろとも捕らえられ、三族すべて処刑された。【正史】244年、夏侯玄と共に蜀を攻めるが、戦果なく撤退。
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【三国志13】李典 の武将能力値紹介

李典(リテン) 統率78 武力77 知力79 政治74 曹操の武将。李乾の甥。李整の従兄弟。【演義】曹操の挙兵に従い、呂布、張繍、袁紹らと戦う。曹仁が新野の劉備を攻めた時、副将として参戦するが、徐庶に夜襲を見破られ大敗。続いて、夏侯惇の新野攻めでも副将となるが、諸葛亮の火計に敗れた。赤壁の戦いの後は張遼、楽進と共に合肥を守る。215年、孫権の大軍を逍遥津[ショウヨウシン]で迎撃。日頃、張遼とは気が合わなかったが、この時は協力して孫権軍を大破した。【正史】従父の李乾が曹操の挙兵に従う。李乾と、その子の李整が死んだ後、軍を引き継いだ。36歳で若死。
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【三国志13】滕胤 の武将能力値紹介

滕胤(トウイン) 統率29 武力41 知力71 政治76 呉の官僚。滕冑[トウチュウ]の子。【演義】太常卿。丞相の諸葛恪と対立し、253年、孫峻と共謀して諸葛恪を討つ。後に大司馬となるが、丞相の孫綝に殺された。【正史】同郷で姻戚関係があった劉繇の下に身を寄せる。父が孫権と親しかったため、孫権が呉王になると厚遇され公主を妻に迎えた。孫権の死後、遺命で諸葛恪と共に次帝・孫亮の補佐に当たる。後に孫綝が実権を握ると、呂拠と共に孫綝を討伐しようとするが、発覚して殺された。諸葛恪とは親友で諸葛恪暗殺には荷担していない。
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【三国志13】鄒丹 の武将能力値紹介

鄒丹(スウタン) 統率61 武力64 知力34 政治37 公孫瓚の武将。【演義】記述なし。【正史】公孫瓚から漁陽の太守に任命される。元劉虞配下の鮮于輔[センウホ]らが推す閻柔と対立。閻柔が率いる烏丸と鮮卑の連合軍に敗れ、斬られた。
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