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【三国志13】樊建 の武将能力値紹介

樊建(ハンケン) 統率41 武力24 知力71 政治77 蜀の官僚。【演義】諸葛亮の南蛮征伐や北伐に従軍し、董厥と共に諸葛亮を補佐した。256年、洮水[トウスイ]の戦いで勝利した姜維が更に進軍しようとするのを止めるが拒まれ、結局、姜維は鄧艾に敗れる。263年、蜀が滅びると、譙周、張紹、郤正らと共に劉禅に従い、洛陽に移った。【正史】251年、使者として呉に赴き、諸葛恪から「才能は宗預に劣るが、性質は宗預以上」と評される。蜀末期、諸葛瞻、董厥らと政務を担当し、黄皓と対立する。蜀滅亡後、董厥と共に劉禅の洛陽行きに同行した。
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【三国志13】趙累 の武将能力値紹介

趙累(チョウルイ) 統率70 武力43 知力68 政治74 蜀の軍前都督、糧秣官。【演義】関羽の指揮下で荊州を守る。関羽が樊城の曹仁を攻めた時、随軍を命じられた。忠誠無比の人物で、王甫は「潘濬よりも趙累に荊州の留守を任せた方がよい」と関羽に勧めた。樊城攻撃中に荊州が孫権軍に奪われると、劉備に救援を要請するよう進言。関羽が麦城を脱出して益州に帰還しようとした時に従軍し、孫権軍の伏兵に遭って戦死した。【正史】関羽父子と一緒に潘璋配下の馬忠に捕らえられた。
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【三国志13】蒋義渠 の武将能力値紹介

蒋義渠(ショウギキョ) 統率71 武力58 知力59 政治51 袁紹の武将。【演義】官渡の戦いで袁紹が曹操に敗れた後、敗走する袁紹を黎陽[レイヨウ]に迎え入れた。袁紹から官渡の戦いの状況を聞くと、散り散りになった敗残兵を呼び集め、袁紹軍に官渡の戦い以前の威勢を取り戻させた。【正史】正史「三国志」には記述がないが、「後漢書」に演義と同内容の記述がある。
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【三国志13】胡奮 の武将能力値紹介

胡奮(コフン) 統率71 武力76 知力50 政治52 魏の武将。胡遵の子。胡烈の兄。【演義】諸葛誕が反乱を起こした時、司馬昭が指揮する鎮圧軍に加わり、寿春城に乗り込んで諸葛誕を討ち取った。晋代には平南将軍となり、杜預が指揮する呉討伐戦では夏口の攻撃を命じられる。急襲策を主張する杜預に自重を促すが、杜預は急襲策を貫き、呉に勝利した。【正史】地方の軍政官を歴任。王経が狄道[テキドウ]で姜維に包囲された時、陳泰、鄧艾、王秘と共に救援した。娘が晋の武帝・司馬炎の貴人(女官)となって寵愛を受けたため、鎮軍大将軍など高官に就いた。
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【三国志13】魏延 の武将能力値紹介

魏延(ギエン) 統率86 武力89 知力71 政治49 もと劉表の武将。韓玄に仕えた後、劉備軍に加わる。【演義】劉備軍が南荊州に侵攻した時、太守の韓玄を斬って長沙を明け渡した。反骨の相があり斬るべきだと諸葛亮から指摘されるが、劉備に許され戦陣に加わる。益州侵攻戦では黄忠と功を争い、漢中攻防戦では曹操を射るなど活躍。劉備が漢中王になると漢中太守に任ぜられた。その後も諸葛亮の南蛮征圧、北伐に従軍。蜀軍の主力となるが、北伐の進路を巡って諸葛亮と衝突。諸葛亮の死後、楊儀と対立して反乱を起こし、馬岱に斬られた。【正史】張飛をさしおいて漢中太守となり周囲を驚かせた。
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【三国志13】范彊 の武将能力値紹介

范彊(ハンキョウ) 統率49 武力50 知力36 政治38 蜀の武将。張飛の配下。【演義】関羽の仇討ちのために呉討伐に出陣することが決まると、張飛から三日以内に白装束の用意をするように命令される。翌日、張達とともに期限の猶予を乞うが、張飛は激怒。樹上に縛り上げられて鞭打ち五十回を加えられ、明日中に用意できないと処刑すると厳命された。これを恨んで張飛の寝首を掻き、呉に投降する。のちに劉備が呉を攻めた際、蜀軍に引き渡されて張苞に処刑された。【正史】演義では名に「疆」の字が用いられているが、正史「三国志」では「彊(「強」の異体字)」となっている。
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【三国志13】張達 の武将能力値紹介

張達(チョウタツ) 統率43 武力56 知力34 政治22 蜀の武将。張飛の配下。【演義】関羽の仇討ちのために呉討伐に出陣することが決まると、張飛から三日以内に白装束の用意をするように命令される。翌日、范彊とともに期限の猶予を乞うが、激怒した張飛に五十回鞭打たれ、用意できないと処刑すると厳命された。どうせ殺されるなら、と張飛の殺害を范彊に持ちかけ、酔って寝ている張飛の腹を短刀で刺し、首を持って呉に投降する。のちに劉備が呉を攻めた際、蜀軍に引き渡されて張苞に処刑された。【正史】張飛殺害の具体的な理由は記されていない。
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【三国志13】朱褒 の武将能力値紹介

朱褒(シュホウ) 統率68 武力73 知力34 政治32 蜀の武将。牂牁[ソウカ]太守。【演義】225年、孟獲と雍闓が反乱を起こしたのに呼応し、高定と共に永昌郡を攻める。乱の鎮圧に赴いた諸葛亮を迎撃するが、諸葛亮の離間の計にかかった高定におびき出され、高定配下の鄂煥に討たれた。【正史】劉禅が即位した223年に、益州郡の雍闓、越嶲[エッスイ]郡の高定らと同時に反乱を起こす。225年、諸葛亮によって反乱は鎮圧された。
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【三国志13】呉班 の武将能力値紹介

呉班(ゴハン) 統率74 武力71 知力59 政治45 蜀の武将。何進の武将・呉匡の子。呉懿の族弟。【演義】張飛の副将。張飛が范彊[ハンキョウ]と張達に殺されると、関羽と張飛の復讐戦の先鋒となり、呉に進軍。張南と馮習を従え、夷陵で孫桓を包囲するが、劉備が陸遜に大敗したため撤退する。その後、後将軍となり、諸葛亮の北伐に参加。五度目の北伐で呉懿と共に魏軍の浮橋を焼き討ちするよう命じられるが、司馬懿に見破られ、張虎と楽綝に討たれた。【正史】蜀で常に呉懿に次ぐ官位を得た。劉禅の代に驃騎将軍となる。北伐では張郃を大破。戦死した記述はない。
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【三国志13】何進 の武将能力値紹介

何進(カシン) 統率39 武力40 知力6 政治41 後漢の大将軍。霊帝の皇后で劉弁(少帝)を生んだ何皇后の異母兄。元は肉屋。宦官の助力で外戚となった。【演義】盧植、皇甫嵩、朱儁に黄巾の乱を鎮圧させた。宦官の蹇碩[ケンセキ]に暗殺されそうになり、以後、十常侍と政権を争う。霊帝の死後、劉弁を帝位に即け、劉協派の董太后を暗殺。十常侍誅滅を謀るが何太后に止められ、袁紹の献策を受け董卓ら諸侯の軍事力を結集して宦官を一掃しようと画策。ところが事前に計画が漏れ、何太后との面会の途上で十常侍に暗殺された。【正史】宦官の助力で外戚が力を持つのは中国史上でも稀。
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