韋康(イコウ)とは?
韋康は、韋端の子で、涼州刺史となった。
馬超に投降したが処刑されてしまう
211年、曹操を追いつめた馬超は、韓遂の裏切りによって曹操に敗れて逃走しました。
楊阜の推薦で涼州刺史となった韋康は、逃げた馬超に対して冀城で守りを固めます。
しばらくした後に、羌・氐族と手を結んで再起した馬超は、韋康が守る冀城を攻めてきました。
韋康は籠城して馬超に抵抗を続けつつ、何度も夏侯淵に応援要請しますが、援軍を送ってもらえません。
援軍がこないので、韋康はついに、
「こうなったら馬超に投降するしかあるまい。」
と言います。これを聞いた楊阜は泣きながらに、
「馬超は反逆者です。」
と、楊阜に投降することを懸命に止められますが、韋康は、
「投降するしか他に方法がない。」
と決断します。
韋康は、ついに冀城の城門を開けて、馬超の前に投降を願い出ます。
ところが、投降した韋康に、馬超は激怒して、
「きさま、急に投降を願い出るとは、本心ではあるまい!」
と言って、韋康は処刑されてしまいました。