武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
---|---|---|---|---|
蒙恬 | モウテン | 男 | 168 | 182 |
蒙恬の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
---|---|---|---|
87 | 86 | 71 | 61 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
---|---|---|---|---|---|---|
A | A | A | – | 訓練 | 猛将突撃 | 天下名将 |
蒙恬の列伝
秦の将軍。祖父、父も秦の軍人。祖先は斉の出身。秦王・政(嬴政[エイセイ])の天下統一のため、父・蒙武を継いで将軍となる。楚攻略では楚の名将・項燕に敗れたが、斉攻略では大勝を収めた。統一後は30万の兵を率いて北上し、黄河を渡って匈奴を討伐。万里の長城を修復して連結し、辺境に駐屯して匈奴を迎え続けた。その功績から始皇帝の信頼も厚く、太子・扶蘇[フソ]の後見を任された。しかし、始皇帝が没すると、趙高と李斯の謀略によって胡亥が二世皇帝に即位。扶蘇は自決させられ、蒙恬も毒をあおって自害した。