武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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韓武 | カンブ | 男 | 163 | 177 |
韓武の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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74 | 61 | 80 | 83 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | C | C | – | 訓練 | 大火計 | 執政 |
韓武の列伝
戦国時代の韓の君主。韓の昭侯。「呂氏春秋」では、昭釐侯[ショウリコウ]。父は先代の懿侯(共侯、荘侯とも。名は若山)。韓は「戦国七雄」の中でも最弱国で、常に近隣の秦や魏に脅かされていた。昭侯は、鄭の下級身分出身の法家・申不害を登用し宰相に任命。申不害は宰相の任にあった15年の間に富国強兵を行って韓の全盛期を築き上げ、秦や魏に国境を侵させなかった。申不害の死から3年、韓で旱魃があった年に高門の造営に取りかかり、楚の屈宜臼から「民の危急を憐れまず、時が衰えたのに奢侈になった」と批判された。翌年、死去。