武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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劉虞(伯安) | リュウグ(ハクアン) | 男 | 145 | 184 |
劉虞の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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55 | 33 | 70 | 78 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | B | C | – | 文化 | 足止 | 宰相 |
劉虞の列伝
後漢の幽州牧。東海恭王・劉彊[リュウキョウ](後漢光武帝の子)の子孫。劉和の父。
三国志演義では
漁陽で反乱した張挙、張純を平定するため、幽州牧として赴任。劉備と共に乱を平定し、太尉となる。
正史では
皇族の中で特に徳望が篤かった。幽州牧として赴任後、融和政策により東方異民族を統治し、民心を安定させる。董卓が献帝を擁立した後、袁紹と韓馥から皇帝に担ぎ上げられそうになるが、漢室への恭順を貫き、拒否した。異民族統治策での意見の違いから、次第に公孫瓚との仲が悪化。193年、公孫瓚と戦って敗れ、刑死した。