武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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顧譚(子黙) | コタン(シモク) | 男 | 203 | 218 |
顧譚の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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53 | 23 | 77 | 83 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | C | C | – | 説破 | 単体挑発 | 宰相 |
顧譚の列伝
呉の丞相・顧雍の子。「呉の四姓」顧家の出。
三国志演義では
記述なし。
正史では
諸葛恪、張休、陳表と共に皇太子・孫登の学友となる。その優れた見識は並ぶ者がなかった。顧雍の死後、太常となる。太子・孫和を差し置いて魯王・孫覇を寵愛する孫権に、嫡子と庶子は分けて接するように進言。孫覇との関係が悪化する。更に孫覇派の全奇を蔑視していたため、全琮親子に陥れられ、交州に流された。その憤りから「新言」20巻を著し、流刑から2年後、42歳で死去した。