武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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吾粲(孔休) | ゴサン(コウキュウ) | 男 | 181 | 206 |
吾粲の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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68 | 41 | 78 | 75 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | C | A | – | 交渉 | 周囲攻撃 | 明鏡止水 |
吾粲の列伝
呉の幕僚。
三国志演義では
孫策の死後、孫権の招きに応じて幕下に加わった。
正史では
牧童の出。孫何に抜擢されて功績を挙げ、陸遜、卜静[ボクセイ]らと並ぶ名声を得る。孫権が車騎将軍になると、中央に招かれた。222年、呂範、賀斉と共に洞口で曹休の攻撃を防ぐ。その功績から会稽太守となり、呂岱と共に山越討伐で活躍。後に中央に戻り太子太傅となる。孫権が太子の孫和を廃して孫覇を立てようとすると、陸遜と連絡を取り合って強く反対し、孫覇と楊竺を地方に出すように進言。孫覇と楊竺の中傷を受け、処刑された。