武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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霍弋(紹先) | カクヨク(ショウセン) | 男 | 207 | 221 |
霍弋の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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73 | 69 | 69 | 74 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | C | A | – | 農業 | 消沈工作 | 天下名将 |
霍弋の列伝
霍峻の子。蜀の建寧太守。演義では霍戈[カクカ]。
三国志演義では
鄧艾によって成都が陥落すると、喪服を着用し成都に向かって3日間泣き続けた。劉禅の安全が確認されるまで降伏を拒み、劉禅が安楽公に封ぜられたことを知ると、部下を率いて投降した。
正史では
劉禅の太子舎人。諸葛亮の北伐時、諸葛喬と各地を巡察した。その後、黄門侍郎、安南将軍を歴任。蜀が降伏した時、羅憲と共に一地方を保ち、軍を挙げて降ったため、司馬昭から称賛された。晋の南中都督となり、交趾[コウシ]、日南、九真の3郡を平定した。