武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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王粲(仲宣) | オウサン(チュウセン) | 男 | 177 | 193 |
王粲の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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15 | 3 | 79 | 80 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | C | C | – | 交渉 | 撹乱挑発 | 宰相 |
王粲の列伝
建安七子の1人。曾祖父、祖父が三公を務めた名門の出。
三国志演義では
若くして蔡邕に才能を評価された。戦乱を避けて荊州に移り劉表を頼る。劉表が死に劉琮が後を継ぐと、傅巽と共に曹操へ降伏するよう主張。曹操に仕えると傾倒するようになり、銅雀台落成の際は曹操を称える詩を詠んだ。後に、杜襲、衛凱、和洽[カゴウ]と共に曹操を魏王に立てようとするが、荀攸に止められた。
正史では
風采が上がらず、体はひ弱で大まかな性格のため、劉表には用いられなかった。魏建国後は侍中となる。記憶力に優れ、朝廷の古制復活や奏議起草に尽力した。