武将

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【三国志14】呉班の武将能力値紹介

呉班(ゴハン) 統率74 武力71 知力56 政治48 魅力67 蜀の武将。何進の武将・呉匡の子。呉懿の族弟。【演義】張飛の副将。張飛が范彊と張達に殺されると、関羽と張飛の復讐戦の先鋒となり、呉に進軍。張南と馮習を従え、夷陵で孫桓を包囲するが、劉備が陸遜に大敗したため撤退する。その後、後将軍となり、諸葛亮の北伐に参加。五度目の北伐で呉懿と共に魏軍の浮橋を焼き討ちするよう命じられるが、司馬懿に見破られ、張虎と楽綝に討たれた。【正史】蜀で常に呉懿に次ぐ官位を得た。劉禅の代に驃騎将軍となる。北伐では張郃を大破。戦死した記述はない。
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【三国志14】孔伷の武将能力値紹介

孔伷(コウチュウ) 統率26 武力16 知力67 政治78 魅力68 後漢の予州刺史。【演義】曹操の董卓討伐の呼びかけに応じた諸侯の1人。【正史】人物批評や清談高論が得意で、息を吹きかければ枯れ木に花を咲かせると言われた。一方で、軍隊の指揮官としての才能はなく、雨露に耐える勤労には向かないと評される。董卓政権下で予州刺史に抜擢されるが、袁紹らと共に董卓討伐戦に参加し潁川に駐屯。しかし、軍の指揮は臧洪に任せ、他の諸侯と同様、董卓の軍勢を恐れて進軍しようとしなかった。
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【三国志14】胡班の武将能力値紹介

胡班(コハン) 統率55 武力55 知力58 政治50 魅力61 桓帝に仕えた胡華の子。曹操の滎陽[ケイヨウ]太守・王植の従事。【演義】曹操に降伏した関羽が、劉備の下に帰参するため滎陽を通った際、王植の命で焼き討ちしようとする。しかし、関羽は胡華の書状を持っており、自らも関羽の人柄に惚れたため見逃す。後に関羽を頼って荊州に移った。劉備が漢中王となり、関羽が五虎将軍に任ぜられると、関羽の代理として成都に派遣され、爵位を受け取った。【正史】記述なし。
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【三国志14】公孫範の武将能力値紹介

公孫範(コウソンハン) 統率72 武力68 知力63 政治61 魅力62 公孫瓚の従弟。【演義】記述なし。【正史】袁術軍に味方した公孫越(公孫瓚の従弟)が陽城で袁紹軍の周昂に敗死すると、公孫瓚の反撃を恐れた袁紹から友好の証として渤海太守の印綬を与えられる。しかし、袁紹になびかず、公孫瓚に助勢して青州と徐州の黄巾賊を破り、界橋に進軍した。公孫瓚が界橋の戦いで敗れた後、共に渤海から薊に退却し駐屯。薊に居所を置いていた劉虞との仲が険悪になった。
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【三国志14】呉敦の武将能力値紹介

呉敦(ゴトン) 統率65 武力62 知力49 政治46 魅力45 臧覇の武将。【演義】泰山の山賊であったが、呂布と曹操の対立時、臧覇に誘われ呂布に味方した。尹礼らと山東の蕭関[ショウカン]を守るが許褚に撃破される。呂布が敗れると身を隠すが、臧覇の説得を受け曹操の傘下に入った。【正史】泰山周辺で独立していたが、やがて臧覇に従う。呂布が曹操を攻めた際、臧覇と共に呂布に協力した。曹操が呂布を滅ぼすと、曹操に降伏。臧覇は琅邪国相に、呉敦は利城太守に任命される。
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【三国志14】公孫度の武将能力値紹介

公孫度(コウソンド) 統率67 武力71 知力68 政治63 魅力42 幼名は公孫豹。武威将軍。遼東太守。公孫康、公孫恭の父。公孫淵の祖父。【演義】公孫康、公孫恭との続柄の記述のみ。【正史】同郡出身の徐栄から董卓に推薦され、遼東太守となる。赴任後、烏桓など周辺を制圧して威勢を轟かせた。董卓と諸侯の争いで中原が荒廃すると王を名乗る野望を抱き、後に遼東侯、平州牧を自称した。曹操から武威将軍、永寧郷侯に封ぜられると、「わしは遼東の王だ。何が永寧郷侯だ」と言って印綬をしまいこんだ。
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【三国志14】兀突骨の武将能力値紹介

兀突骨(ゴツトツコツ) 統率74 武力86 知力1 政治3 魅力20 烏戈[ウカ]国王。身長1丈2尺。生きた蛇や獣を食べ、身体は鱗で覆われ刀も矢も通らない。油を付けて日干しした藤の鎧をまとう藤甲兵を率いる。藤甲兵は鎧を着たまま川を渡り、刀も矢も通さないが、火が弱点。【演義】六度諸葛亮に敗れて解放された孟獲が、最後に頼った蛮族の王。象に乗り、藤甲兵を率いて蜀軍を圧倒。敗走する魏延を追って盤蛇谷[バンダコク]に誘い込まれ、諸葛亮が仕掛けた火攻めによって全滅した。この後、捕らえられた孟獲は諸葛亮に心服した。【正史】記述なし。
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【三国志14】公孫続の武将能力値紹介

公孫続(コウソンショク) 統率63 武力68 知力53 政治61 魅力64 公孫瓚の子。【演義】記述なし。【正史】公孫瓚が袁紹により易京楼に追いつめられると、張燕に援軍を借り、袁紹を外から攻撃するように指令を受ける。しかし、密偵が袁紹に捕まって作戦が露見。指令を逆用され、おびき出された公孫瓚は袁紹に大敗を喫した。その後、敗北を免れないと悟った公孫瓚と心中した。
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【三国志14】呼廚泉の武将能力値紹介

呼廚泉(コチュウセン) 統率65 武力66 知力48 政治40 魅力57 南匈奴の単于。羌渠[キョウキョ]の子。於夫羅の弟。【演義】記述なし。【正史】兄・於夫羅の死後に単于となる。於夫羅の代に曹操に帰順していたが、袁尚配下の郭援、高幹に呼応して平陽で叛旗を翻した。しかし、鍾繇と馬超ら関中軍に敗れ、再度帰順する。216年に入朝するとそのまま鄴に留め置かれ、匈奴の故地は右賢王・去卑が見ることとなった。
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【三国志14】公孫瓚の武将能力値紹介

公孫瓚(コウソンサン) 統率84 武力83 知力71 政治46 魅力77 盧植門下で劉備の兄弟子。白馬義従と呼ばれる精鋭騎兵を率いて異民族を討伐し、「白馬将軍」の異名を取る。【演義】北平太守。曹操の呼びかけに応じ、劉備を伴って反董卓連合に加わるが、虎牢関の戦いで呂布に敗れた。連合解散後、袁紹と冀州を巡って争い界橋の戦いに臨む。劣勢だったが趙雲や劉備の協力を得て挽回し、董卓の仲裁で講和した。袁紹との戦いが再開すると次第に追いつめられ、易京に籠もって抗戦するが、力尽き自害した。【正史】董卓討伐軍には加わっていない。袁術と結んで袁紹と対抗し、袁紹派の幽州牧・劉虞を討った。
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