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【三国志14】朱讃の武将能力値紹介

朱讃(シュサン) 統率63 武力68 知力34 政治26 魅力41 魏の盪寇[トウコウ]将軍。【演義】大将軍・曹真に従って、諸葛亮の第一次回北伐を迎撃し、副先鋒を務める。諸葛亮の計略に二度敗れ、趙雲に討ち取られた。【正史】曹真と同郷の出身。曹操に仕えたが若くして死亡し、遺児には曹真からも領土が分け与えられた。
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【三国志14】鍾離牧の武将能力値紹介

鍾離牧(ショウリボク) 統率77 武力71 知力72 政治65 魅力69 呉の武将。鍾離緒の子。【演義】記述なし。【正史】建安、鄱陽、新都三郡で山越族が起こした反乱を平定。頭目だった黄乱、常倶らを屈服させて功績を上げた。263年、魏が蜀を滅ぼすと、国境の武陵郡に太守として赴任し、魏と結託した五渓の異民族を制圧。その功績により公安の督となり、その後、濡須の督に転任した。
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【三国志14】朱光の武将能力値紹介

朱光(シュコウ) 統率66 武力54 知力49 政治67 魅力58 曹操の武将。【演義】曹操の命で廬江太守として皖城[カンジョウ]に駐屯し、大いに稲田を開いて兵糧を充実させた。214年、孫権軍が皖城に攻め寄せてくると、よく籠城して抵抗するが、鉄の鎖で城壁をよじ登ってきた甘寧に迫られ、一撃で討ち取られた。【正史】皖城が落ちた際に孫権の捕虜となるが、のちに返還された。
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【三国志14】鍾繇の武将能力値紹介

鍾繇(ショウヨウ) 統率70 武力24 知力76 政治91 魅力77 魏の重臣。鍾毓、鍾会の父。【演義】曹操に仕え、長安太守となる。211年、馬超と韓遂に攻められ、長安を奪われた。曹操が魏王になると相国に任ぜられ、曹叡の代には太傅となった。諸葛亮が北伐を起こすと、迎撃の指揮官に司馬懿を推薦した。【正史】李傕と郭汜の支配下にある長安で献帝に仕え、後に荀彧の推薦で曹操に仕えた。袁家との戦いでは馬超を指揮して郭援を撃破する一方、後方支援に尽力し、漢の蕭何[ショウカ]に匹敵する働きと称賛された。219年、謀反を起こした魏諷の推薦者として一時的に免職された。
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【三国志14】聶友の武将能力値紹介

聶友(ジョウユウ) 統率63 武力49 知力61 政治65 魅力69 呉の将軍。【演義】記述なし。【正史】虞翻に推薦されて豫章郡の功曹に取り立てられ、諸葛恪に高く評価されて、顧譚、顧承に並ぶ名声を博した。のち将軍となって珠厓[シュガイ]、耳[タンジ]の波乱を鎮め、丹陽太守を任された。253年、諸葛恪が孫峻に殺されると、孫峻から嫌われて鬱林[ウツリン]太守に左遷させられようとしたため、病を得て憂死した。
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【三国志14】祝融の武将能力値紹介

祝融(シュクユウ) 統率74 武力85 知力29 政治23 魅力69 南蛮王・孟獲の妻。帯来洞主の姉。古代南方の火神・祝融の末裔。飛刀の名手。【演義】諸葛亮の南征で度々夫が捕らえられたため、業を煮やして出陣。蜀の張嶷と馬忠を一騎討ちで捕らえるが、魏延と趙雲に敗れ、逆に捕らえられる。夫と同様に諸葛亮に降伏しようとせず、この時は張嶷、馬忠との人質交換で孟獲のもとに返された。以後も夫と一緒に何度か捕らえられるが、なかなか屈服しない。しかし、孟獲が七度捕らえられ諸葛亮に心服すると、夫と共に降伏した。【正史】記述なし。
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【三国志14】蒋斌の武将能力値紹介

蒋斌(ショウヒン) 統率30 武力23 知力64 政治73 魅力71 蜀の四相の一人・蒋琬の子。蒋顕の兄。【演義】258年、姜維の北伐に参加し、王含と左翼の軍を指揮するが、鄧艾の夜襲を受け敗退する。その後は漢城の守備についた。263年、鍾会によって漢中が攻め落とされると、魏軍に降伏した。【正史】鍾会に漢城で包囲された際、書状を交わして互いを敬うようになる。劉禅が降伏すると、涪[フ]にいた鍾会に降伏し、鍾会から友人同等の扱いを受けた。翌年、鍾会の反乱に巻き込まれ、乱戦の中、弟の蒋顕と共に死亡。
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【三国志14】朱拠の武将能力値紹介

朱拠(シュキョ) 統率75 武力57 知力72 政治70 魅力71 呉の武将。朱桓の同族。「呉の四姓」朱家の出。【演義】記述なし。【正史】孫権から呂蒙、張温の後継者として期待された。孫権が帝位に即くと左将軍となって孫権の娘・孫魯育を娶り、後に驃騎将軍まで昇進した。しかし、孫権の後継を巡って太子の孫和と魯王・孫覇が争った際、孫和を支持して孫権に直言したため怒りを買う。新都郡丞への左遷を命じられ、孫権が病床にある間に孫弘によって出された偽詔で自殺を命じられた。
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【三国志14】蒋班の武将能力値紹介

蒋班(ショウハン) 統率65 武力73 知力62 政治41 魅力50 諸葛誕の武将。後に晋に仕える。【演義】司馬昭に反旗を翻した諸葛誕と共に寿春城で籠城する。城が司馬昭軍に包囲されると、同僚の焦彝と共に城外での早期決戦を主張。しかし、籠城に固執する諸葛誕に殺されそうになり、焦彝ともども司馬昭に降伏した。【正史】毌丘倹と文欽が司馬師に反旗を翻した時、諸葛誕に従って鎮圧。さらに、文欽を救援しに来た呉の孫峻、呂拠も破り、留賛を斬った。後に晋に仕え、279年の呉討伐戦に参加。版橋の戦いで薛勝と共に張悌、沈瑩、孫震らを破った。
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【三国志14】朱桓の武将能力値紹介

朱桓(シュカン) 統率84 武力82 知力74 政治56 魅力59 呉の武将。朱異の父。「呉の四姓」朱家の出。【演義】孫策の死後、孫権に招かれた。夷陵の戦いの直後、曹丕が呉を攻めた際、濡須で曹仁を迎撃。空城の計で曹仁軍をおびき寄せ、諸葛虔、王双を破り、常雕[ジョウチョウ]を斬る。石亭の戦いでは全琮と共に陸遜軍の都督となり、曹休軍に大勝して張普を討ち取った。【正史】山越の反乱鎮圧に活躍し、周泰の後を受けて濡須督となった。孫権が帝位に即くと前将軍、青州牧となる。気位が高く、他人の指図を嫌った。作戦を巡って全琮と対立し、狂気を理由に建業に帰還したこともある。
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