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【三国志14】眭固の武将能力値紹介

眭固(スイコ) 統率63 武力71 知力38 政治7 魅力27 河内太守・張楊の武将。もと黒山の賊。【演義】下邳で曹操軍に包囲された呂布を救援するため出陣した張楊が、配下の楊醜に殺されると、その楊醜を討った。その後、犬城に入り、曹操軍の史渙に追討された。【正史】191年、同じ黒山賊の于毒、白繞[ハクジョウ]らと共に魏郡を攻略するが、翌年、曹操に敗退した。199年に楊醜を討った後、旧張楊軍を率いて袁紹に味方し、射犬に駐屯。巫女に「字が兎なのに、犬の名の土地にいるのは不吉」と言われたが、聞き入れなかった。その後、犬城で史渙、曹仁、于禁、徐晃らと戦い、敗死した。
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【三国志14】曹昂の武将能力値紹介

曹昂(ソウコウ) 統率74 武力65 知力66 政治68 魅力77 曹操の長男。生母の劉氏は早くに亡くなり、丁氏に育てられた。【演義】宛の張繍が許昌を攻める動きを見せると、曹操と共に討伐に向かい、張繍を降伏させた。しかし、宛城に駐留中、張繍の夜襲を受ける。乗馬を失った曹操に自らの馬を譲り、乱戦の中、戦死した。【正史】曹昂が戦死すると、丁氏は「私の子を殺しておきながら平気な顔をしている」と曹操を非難し、離縁して里に帰った。
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【三国志14】眭元進の武将能力値紹介

眭元進(スイゲンシン) 統率53 武力67 知力45 政治31 魅力47 袁紹の武将。【演義】官渡の戦いに参加。淳于瓊の指揮の下で、韓莒子、呂威璜、趙叡らと共に烏巣の兵糧基地を守っていた。趙叡と兵糧を調達した直後、曹操軍の兵糧庫夜襲を知る。火の手が上がる中、曹操軍と戦ったが敗れ、戦死した。【正史】烏巣で敗北し、首を斬られたとのみある。
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【三国志14】曹憲の武将能力値紹介

曹憲(ソウケン) 統率29 武力5 知力62 政治52 魅力63 曹操の娘。妹に曹節、曹華。献帝の夫人。【演義】記述なし。【正史】妹の曹節、曹華と共に献帝に嫁ぎ、貴人となる。215年、伏完の曹操暗殺計画が露見して伏皇后が殺されると、妹の曹節が献帝の皇后となった。
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【三国志14】秦朗の武将能力値紹介

秦朗(シンロウ) 統率58 武力70 知力35 政治15 魅力39 魏の武将。幼名は阿蘇。呂布の武将・秦宜禄の子。母の杜氏は曹操の側室となる。杜氏は関羽からも妻に望まれたことがある。【演義】前将軍として五丈原の戦いに参加。偽って蜀軍に降伏した鄭文と連携して夜襲を仕掛ける。しかし、諸葛亮に策を見破られ、討ち取られた。【正史】曹操から可愛がられ、若い頃は諸侯の間を遊び歩いたが、曹操も曹丕もとがめなかった。曹叡の代に驍騎将軍となり、并州で鮮卑の歩度根が反乱すると鎮圧に向かった。五丈原で蜀軍と戦った記述はない。
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【三国志14】宋謙の武将能力値紹介

宋謙(ソウケン) 統率66 武力78 知力42 政治39 魅力64 孫権の武将。方天画戟の使い手。【演義】赤壁の戦いの直後、孫権が合肥に侵攻した時、孫権に挑みかかった楽進を迎撃するが、李典の矢に射抜かれ戦死した。【正史】孫策に仕え、江東侵攻戦に参加した。孫策が太史慈と戦った際は、韓当、黄蓋と共に孫策の警護に当たっていた。演義では赤壁直後の合肥の戦いで戦死するが、正史では合肥の戦いで戦死する記述はない。222年には夷陵の戦いに参加し、陸遜の指揮下で朱然、潘璋、韓当、徐盛、鮮于丹、孫桓らと共に蜀軍を撃破した。
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【三国志14】秦宓の武将能力値紹介

秦宓(シンミツ) 統率14 武力7 知力70 政治75 魅力76 蜀の幕僚。【演義】劉璋に仕える。劉備の使者・簡雍が劉璋に降伏を勧告した際、無礼な態度をとがめた。劉璋が降伏すると劉備に仕え、諸葛亮らと共に劉備が皇帝につくよう働きかける。劉備が関羽の復讐戦に出陣しようとすると、打ち首覚悟で劉備をいさめ、投獄された。劉禅の代、呉からの使者・張温と応対し、難題を出してやり込めようとする張温の問いにすべて答え、逆に論破した。【正史】劉備が益州を平定した後、広漢太守・夏侯纂[カコウサン]に招かれ、仕官。大司農まで昇進した。
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【三国志14】宋憲の武将能力値紹介

宋憲(ソウケン) 統率68 武力77 知力37 政治28 魅力33 呂布の武将。【演義】兗州を巡る曹操との戦いに参加し、定陶で敗れた後は徐州に入る。魏続と共に軍馬の買い付けをしている途中で張飛に襲撃され、激怒した呂布に従い劉備軍を徐州から追い出した。198年、曹操と劉備に下邳を包囲され、同僚の侯成が呂布から棒刑を受けると、侯成、魏続と共に呂布を捕らえ、曹操軍に降伏した。その後、白馬の戦いで袁紹軍と戦い、顔良に挑むが3合で斬られた。【正史】侯成、魏続らと協力して陳宮を捕らえた。その後の曹操配下としての記述はない。
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【三国志14】辛評の武将能力値紹介

辛評(シンピョウ) 統率69 武力43 知力75 政治75 魅力66 袁紹の幕僚。辛毘の兄。【演義】韓馥の参謀。袁紹が韓馥から冀州を奪うと、袁紹に仕えた。袁紹が末子の袁尚を後継者にしようとすると、長子の袁譚を推し、袁譚と青州で軍勢を整えた。袁紹の死後、郭図と共に袁譚を立て、袁尚と対立。曹操に攻められると、袁譚の使者として降伏を申し出るが拒否され、袁譚からも内通を疑われて憤死した。【正史】袁譚が袁尚とたもとを分かつと、袁尚に捕らえられた。曹操軍が鄴を包囲した際、曹操軍についていた辛毘への見せしめとして家族もろとも審配に殺された。
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【三国志14】曹訓の武将能力値紹介

曹訓(ソウクン) 統率19 武力37 知力11 政治13 魅力27 魏の重臣・曹真の子。曹爽、曹羲の弟。曹彦の兄。【演義】曹芳の代に、兄の曹爽が大将軍となり政権を掌握すると、武衛将軍となり近衛を統率した。249年、曹芳を伴い、曹爽らと共に巻狩りに出ている最中、司馬懿に政権を奪われる。曹芳を擁して司馬懿を討つよう桓範に勧められるが実行できず、「曹真は己の知謀に誇りを持っていたが、この兄弟はまるで豚だ」と嘆かれた。結局、曹爽一派は司馬懿に捕らえられ、皆殺しにされた。【正史】政権掌握後、放蕩ぶりを曹羲からいさめられるが、これは暗に曹爽をいさめたものだった。
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