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【三国志14】孫尚香の武将能力値紹介

孫尚香(ソンショウコウ) 統率67 武力80 知力57 政治56 魅力80 孫堅の娘。母は呉国太。孫策、孫権、孫翊、孫匡の異母妹。孫朗の実妹。武勇に優れ、「弓腰姫」とも。【演義】209年、劉備を呉に囲い込むための策略で、劉備と結婚させられる。しかし、本人も母の呉国太も劉備を気に入り、劉備が荊州に帰還する際は付き従って、劉備を捕らえようとする呉将を退けた。212年、孫権から呉国太危篤との偽りの報を受け、劉禅を連れて呉に帰ろうとするが、劉禅は趙雲と張飛に連れ戻される。後に劉備が夷陵で戦死したと伝えられ、長江に身を投げた。【正史】呉に戻った後の記述はない。
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【三国志14】張華の武将能力値紹介

張華(チョウカ) 統率43 武力27 知力83 政治88 魅力66 晋の官僚。【演義】司馬炎と碁を打っている最中に杜預から呉討伐の上奏があり、杜預に同調して作戦実行を勧めた。晋軍が連勝する中、賈充が長期戦を警戒して一度退却を命じるように進言した際、あとひと押しだから攻撃を続行する方がよいと述べ、司馬炎は攻撃を続行した。【正史】名書家として有名。陳寿は張華に認められて、「三国志」の編纂に当たった。また、博学多才で「博物志」を著している。恵帝の時に侍中、司空などを歴任したが八王の乱で趙王・司馬倫に殺された。
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【三国志14】孫松の武将能力値紹介

孫松(ソンショウ) 統率48 武力55 知力41 政治35 魅力69 孫堅の孫。孫翊の子。孫権の甥。【演義】記述なし。【正史】人との交わりを愛し、よく人に施しをするのを好んだ。孫権に特に可愛がられ、射声校尉、都郷侯に任じられる。巴丘に駐屯していた時、兵士の訓練を怠っていたことを陸遜に問題にされた。
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【三国志14】張温の武将能力値紹介

張温(チョウオン) 統率17 武力10 知力69 政治77 魅力74 呉の官僚。「呉の四姓」張家の出。【演義】孫策の死後、後を継いだ孫権に招かれる。赤壁の戦いの前、劉備と孫権の同盟締結のために来訪した諸葛亮に論戦を挑もうとするが、黄蓋に止められた。劉備の死後、蜀と呉の同盟を結ぶために来訪した蜀の鄧芝への返礼の使者として、蜀を訪れる。孫権の威光を損ねまいとするが蜀の秦宓に言い負かされ、諸葛亮に仲裁された。【正史】外交で蜀の士から高評を得、帰国後は蜀の政治を称えた。これが孫権の気に障り、官吏の綱紀粛正に失敗して自害した曁艶[キエン]の責任を取らされ、失脚した。
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【三国志14】孫邵の武将能力値紹介

孫邵(ソンショウ) 統率17 武力33 知力79 政治83 魅力71 呉の重臣。【演義】記述なし。【正史】はじめ孔融の功曹となり、「廊廟[ロウビョウ]の才」があると評された。のち江東に入って劉繇に身を寄せ、孫策死後、孫権が江東をまとめるようになると孫権に仕えた。朝廷への対応など、よく孫権に献策し、廬江太守、車騎将軍長史に昇進。孫権が呉王になると張昭を差し置いて初代丞相に任命された。
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【三国志14】張横の武将能力値紹介

張横(チョウオウ) 統率59 武力70 知力23 政治24 魅力49 韓遂の武将。【演義】馬超と韓遂が、曹操に謀殺された馬騰の復讐のために挙兵すると、同調して長安、潼関を攻略した。渭南にあった曹操の陣を攻めた際、落とし穴にはまり、同僚の程銀と共に戦死した。【正史】211年に馬超、侯選、程銀、李堪、梁興、成宜、馬玩、楊秋、韓遂らと共に10万の軍勢を率いて曹操に反乱を起こすが敗れた。
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【三国志14】孫韶の武将能力値紹介

孫韶(ソンショウ) 統率80 武力78 知力73 政治69 魅力72 呉の武将。孫河(兪河。孫策から孫姓を得る)の甥。【演義】孫権が兪家からもらった養子。224年、曹丕が呉に侵攻すると、徐盛に従って迎撃する。しかし、命令に従おうとしなかったため徐盛に処刑されそうになり、孫権の取りなしで助かる。徐盛の交戦中に単独で魏軍を奇襲して曹丕の水軍を壊滅させ、徐盛に次ぐ功績を得た。【正史】17歳で孫河の兵を受け継ぎ、京城を守った。孫権が帝位に即くと、鎮北将軍として魏に備え、数十年間、国境を守る。斥候を巧みに使って敵の動静をつかみ、ほとんど敗戦しなかった。後に幽州牧となる。
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【三国志14】張琰の武将能力値紹介

張琰(チョウエン) 統率51 武力39 知力30 政治41 魅力42 弘農郡の豪族。【演義】記述なし。【正史】205年、一時は曹操に臣従していた高幹が曹操に反逆すると、衛固、張白騎らと共に呼応。しかし、当時、池[ベンチ]太守だった賈逵の策で兵士を騙し取られ、到着した曹操軍に討ち取られた。
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【三国志14】孫峻の武将能力値紹介

孫峻(ソンシュン) 統率64 武力69 知力68 政治26 魅力10 孫堅の弟・孫静の曾孫。孫恭の子。孫綝の従兄。【演義】孫権に気に入られ、近衛を統率するが、諸葛恪に職権を奪われる。253年、滕胤と共謀して諸葛恪を斬り、丞相、大将軍となって政権を欲しいままにした。その後、病死し、従弟の孫綝が後を継ぐ。孫綝もまた暴政を敷いたため孫休に討たれ、その際、孫峻の墓も暴かれた。【正史】孫権臨終の際、次帝・孫亮の補佐役に諸葛恪を推した。諸葛恪暗殺後、密通していた全公主(孫魯班)と対立する孫和を自殺させる。孫英、孫儀らに殺されそうになるが阻止し、朱公主(孫魯育)も連座させた。
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【三国志14】張燕の武将能力値紹介

張燕(チョウエン) 統率80 武力81 知力54 政治48 魅力62 黄巾の乱に呼応して蜂起した黒山賊の将。元の名は褚燕で、張牛角の後を継いで黒山賊の首領となり、張燕と改名。強くて敏捷だったことから「張飛燕」と呼ばれた。【演義】都を追われ袁紹の庇護を受けていた呂布に敗れる。滅亡寸前の公孫瓚から援軍を要請された時は、使者が袁紹に捕まり、救援できなかった。その後、曹操が袁尚を駆逐して冀州を平定すると、曹操に降伏。楽進、李典と共に壺関に籠もる高幹を攻めた。【正史】黄巾の乱後、一度朝廷に降伏するが、董卓の長安遷都後に再び挙兵し、公孫瓚と結んで袁紹に対抗した。
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