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【三国志14】張勳の武将能力値紹介

張勳(チョウクン) 統率72 武力67 知力41 政治40 魅力62 袁術の武将。【演義】袁術が皇帝を自称すると大将軍に任命され、20万の大軍を率いて呂布の徐州を攻めた。しかし、呂布配下の陳珪の策略で韓暹と楊奉が寝返ったため、大敗を喫した。【正史】袁術が九江に移ると、橋蕤らと共に大将軍に任ぜられた。孫策を心から尊敬しており、袁術の死後は楊弘らと共に孫策を頼ろうとする。しかし、廬江太守の劉勳に待ち伏せされ、捕らえられた。孫策が廬江を攻略した際に脱出し、曹操を頼った。
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【三国志14】孫瑜の武将能力値紹介

孫瑜(ソンユ) 統率78 武力67 知力68 政治69 魅力78 孫堅の弟・孫静の次男。孫権の従兄。孫皎の兄。【演義】周瑜が蜀の制圧を名目に荊州を襲撃して諸葛亮に大敗した際、援軍として駆けつけた。【正史】孫翊の死後、丹陽太守となり人望を集める。206年には周瑜と共に山越族の麻と保の砦を攻略。曹操が濡須に進出すると、積極的に打って出ようとする孫権をいさめる。孫権が意見を聞かずに失敗すると奮威将軍となり九江、廬江の勢力拡大に貢献した。他の諸将が軍務一点張りだった中、古典を愛好し、遠征の途中でも書物を読んだ。学者の馬普[バフ]を礼遇し、部下に学ばせた。
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【三国志14】張嶷の武将能力値紹介

張嶷(チョウギョク) 統率79 武力72 知力75 政治77 魅力75 蜀の武将。【演義】諸葛亮の南蛮制圧に参加。孟獲の妻・祝融との戦いで飛刀を受けて捕らえられた。その後は諸葛亮と姜維の北伐で活躍。256年、段谷[ダンコク]で鄧艾に包囲された姜維を身を挺して救出し、自身は矢を浴びて戦死した。【正史】諸葛亮の北伐では馬忠の指揮下で羌族討伐に当たった。その後、越嶲[エッスイ]太守となり、南方の異民族を融和的に統治。これが演義における諸葛亮の南蛮制圧の原案ともいわれる。254年、魏の徐質との戦いで戦死。南方の異民族はその死を惜しみ、廟を建てて祀った。
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【三国志14】孫輔の武将能力値紹介

孫輔(ソンホ) 統率67 武力65 知力48 政治42 魅力43 孫堅の甥。孫賁の弟。孫策、孫権の従兄。【演義】記述なし。【正史】幼い頃に両親を亡くし、兄の孫賁に育てられた。孫策の挙兵に従って揚武校尉に任じられ、江東平定を補佐。孫策が袁術を牽制するための抑えとして歴陽に駐屯し、逃散した民衆を集めた。功を重ねて廬陵太守に任じられ、次いで平南将軍、交州刺史まで昇進する。しかし、孫策が死んで孫権が後を継ぐと、曹操に内通しようとしたため孫権に幽閉された。
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【三国志14】張挙の武将能力値紹介

張挙(チョウキョ) 統率63 武力62 知力41 政治25 魅力50 後漢の泰山太守。漁陽郡の出身。【演義】張純と結んで反乱を起こし、「天子」を自称した。幽州牧・劉虞らの官軍と激戦を繰り広げた末、張純が配下に殺されて敗色が濃厚になると首を吊って果てた。【正史】烏桓族の丘力居の協力を得て、青、徐、幽、冀州の四州を席巻する。反乱軍の崩壊後は消息不明。
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【三国志14】孫奮の武将能力値紹介

孫奮(ソンフン) 統率46 武力55 知力36 政治23 魅力12 孫権の五男。孫登、孫慮、孫和、孫覇の弟。孫休、孫亮の兄。【演義】記述なし。【正史】斉王に封ぜられて武昌に居を構えた。孫権死後、実権を握った諸葛恪の命で南昌に移る。諸葛恪が謀殺されると蕪湖[ブコ]に移り、政変に乗じて建業に乗り込もうと画策したが、それを諫めた謝慈らを殺したために罪を問われ、庶民に落とされた。のち孫亮に許されて章安侯に封ぜられたが、孫晧の代に孫奮が皇帝に擁立されるとの噂が流れて孫晧の怒りを買い、処断された。
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【三国志14】張球の武将能力値紹介

張球(チョウキュウ) 統率69 武力72 知力44 政治30 魅力45 魏の武将。【演義】諸葛亮の第5次北伐に呼応して呉の陸遜が来襲した際、曹叡の指揮下で迎撃に当たる。巣湖口にある呉の水塞に満寵と共に夜襲を仕掛け、諸葛瑾の水軍を大破。これにより陸遜は撤退を余儀なくされ、魏は諸葛亮の北伐軍との戦いに専念できた。【正史】記述なし。
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【三国志14】孫賁の武将能力値紹介

孫賁(ソンフン) 統率63 武力67 知力40 政治47 魅力49 孫堅の武将。孫堅の甥。【演義】記述なし。【正史】後漢に役人として仕えたが、孫堅が長沙で義勇の挙兵を行うと、これに参じる。孫堅の死後は、袁術に仕えて袁紹と戦うなど、各地を転戦した。孫堅の子である孫策が江東に勢力を広げると、孫策と協力して劉繇を撃破、駆逐したという。以降、袁術が皇帝を僭称したのちもその旗の下には戻らず、黄祖を討つなど孫策の陣営として活躍し続けた。後年、後漢の征虜将軍に任じられている。
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【三国志14】張休の武将能力値紹介

張休(チョウキュウ) 統率54 武力27 知力74 政治77 魅力73 呉の重臣・張昭の末子。張承の弟。【演義】孫権が呉の初代皇帝に即位した時、皇太子・孫登の補佐役となる。【正史】諸葛恪、顧譚、陳表と共に孫登の学友となり、孫登に「漢書」を講義した。兄の張承は別の侯に封ぜられていたため、張昭の死後、その爵位を受け継いだ。孫登が若死にすると、中央に戻って侍中、揚武将軍に昇進。しかし、孫和と孫覇の後継者争いに巻き込まれ、孫覇一味が流した悪評により交州への移住を命じられる。その後、対立していた孫弘の謀略により自害を命じられた。
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【三国志14】孫覇の武将能力値紹介

孫覇(ソンハ) 統率34 武力60 知力61 政治63 魅力71 呉の皇族。孫権の四男。【演義】記述なし。【正史】若くして聡明であったため孫権の寵愛を受ける。兄の孫和が皇太子となると、魯王に封じられたが、勢力内での待遇は同じとされたため、双方の側近の重臣たちが派閥争いを起こして分裂した。孫権が積極的に鎮めようとしなかったため争いは長引き、重臣ともども自害に追い込まれた。
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