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【三国志14】趙氏貞の武将能力値紹介

趙氏貞(チョウシテイ) 統率75 武力80 知力31 政治20 魅力72 交州九真郡の女傑。趙嫗[チョウオウ]とも。兄は趙国達[チョウコクタツ]。【演義】記述なし。【正史】交州は長らく士燮によって善政が施されていたが、士燮が没すると呉に併合され、呉に統治されるようになっていた。そんな中、248年、趙氏貞は兄・趙国達と共に呉に反乱を起こす。反乱後しばらくは連戦連勝を重ねていたが、呉から新たな交州刺史として派遣されてきた陸胤によって鎮圧された。
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【三国志14】太史享の武将能力値紹介

太史享(タイシキョウ) 統率57 武力66 知力48 政治60 魅力60 呉の武将。太史慈の子。【演義】209年、合肥攻めで太史慈が死ぬと、孫権の館に引き取られ、育てられた。【正史】尚書、呉郡太守を歴任した。なお、正史では、太史慈は206年に病死している。
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【三国志14】趙咨の武将能力値紹介

趙咨(チョウシ) 統率12 武力36 知力56 政治69 魅力63 呉の官僚。中大夫。【演義】関羽の仇討ちのため荊州に侵攻してきた蜀軍の猛攻を避けるため、魏に漢中を攻撃するよう仕向ける策を進言。これを孫権に採用され、自ら魏への使者となると、策そのものは見抜かれるも、曹丕との問答で大いに呉の面目を保ち、孫権を呉王に封じさせることに成功した。【正史】孫権が魏から呉王に封じられると答礼の使者となり、以後もよく魏に赴いた。曹丕との問答は演義と同様。
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【三国志14】大喬の武将能力値紹介

大喬(ダイキョウ) 統率18 武力12 知力73 政治69 魅力92 孫策の妻。周瑜の妻・小喬の姉。【演義】喬国老の娘。周瑜に嫁いだ妹の小喬と共に「二喬」と称される絶世の美女。孫策の臨終の際、妹の夫である周瑜に後事を頼むよう遺言された。銅雀台を建てた曹操は二喬を側室に迎えることを夢見ていて、その心境を曹植が「銅雀台の賦」に詠んだ。このことを諸葛亮から聞かされた周瑜は激怒し、曹操軍との開戦に踏み切った。【正史】橋公の娘で、橋氏とするのが正しい。戯曲などでは橋公は喬玄(後漢の太尉・橋玄)と混同され、その娘は大喬、小喬とされている。
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【三国志14】戴員の武将能力値紹介

戴員(タイウン) 統率35 武力32 知力52 政治48 魅力22 呉の官僚。丹陽太守・孫翊の配下。丹陽郡の郡丞。【演義】戴員は嬀覧とともに孫翊を殺害しようと狙い、孫翊の従者・辺洪を仲間に引き入れ、酒宴の後で辺洪に孫翊を殺させた。その後、辺洪ひとりに罪を着せて処刑し、孫翊の財産を嬀覧と山分けする。孫翊の妻・徐氏の計略で宴会に呼び出され、孫翊の旧将・孫高と傅嬰に殺された。【正史】戴員は孫権が殺した呉郡太守・盛憲の故吏であった。孫翊殺害後、嬀覧とともに孫河も殺害。曹操配下である揚州刺史・劉馥に内通しようとしたが、孫翊配下の徐元、孫高、傅嬰らに殺された。
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【三国志14】張氏の武将能力値紹介

張氏(チョウシ) 統率18 武力60 知力40 政治53 魅力66 張飛の長女。劉禅の皇后(敬哀皇后)。母は夏侯氏(夏侯覇の従妹)。【演義】劉禅が帝位に即いた時、諸葛亮らの上表により、17歳で皇后となる。【正史】221年に皇太子・劉禅の妃として宮中に入り、223年、皇后に立てられた。237年に逝去し、南陵に葬られる。翌年、妹が劉禅の皇后となる。妹が張皇后と呼ばれるのに対し、敬哀皇后と称される。
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【三国志14】孫魯班の武将能力値紹介

孫魯班(ソンロハン) 統率26 武力38 知力74 政治69 魅力65 孫権の長女。母は歩氏。孫魯育(朱公主)の実姉。全琮に嫁ぎ、全公主と呼ばれる。【演義】孫権の後継者争いに介入し、孫権に孫和の悪評を流して、孫和を遠ざけさせた。【正史】周瑜の長子・周循に嫁ぎ、周循が若死にすると全琮に嫁いだ。孫和と孫覇が孫権の後継を争っていた頃、孫和の母・王氏と対立し、悪評を流して孫和を失脚させる。孫権の死後、密通の相手だった孫峻を動かし、孫和を自害させた。孫亮とは親密で、後に孫亮の孫綝討伐計画に荷担するが、計画が漏れ、豫章郡に流された。
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【三国志14】趙昂の武将能力値紹介

趙昂(チョウコウ) 統率61 武力63 知力52 政治68 魅力60 涼州刺史・韋康の幕僚。妻は王異。子に趙月、趙英。【演義】213年、韋康が馬超に殺されると、姜叙と楊阜に協力して馬超打倒の兵を挙げる。この時、馬超の陣営に息子・趙月がいたため当初は挙兵をためらっていたが、妻・王異に旧主・韋康の仇討ちの方が重要だと諭された。歴城を落とされた際に一族を皆殺しにされながらも、馬超と戦い続けた。【正史】妻・王異と共に祁山に籠もって馬超と戦い続けた。王異の献策で九つの奇計を繰り出したという。
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【三国志14】孫朗の武将能力値紹介

孫朗(ソンロウ) 統率34 武力43 知力30 政治40 魅力42 孫堅の庶子。母は後妻の呉氏(呉国太)。孫策、孫権、孫翊、孫匡の異母弟。孫尚香の実兄。【演義】孫堅の死後、一族と共に曲阿に移住する。江東を制圧した孫策が死に瀕すると、兄弟で助け合って孫権を補佐するように遺訓された。【正史】演義では呉国太の子に孫朗と孫仁がいるとしているが、孫仁は孫朗の別名。洞口の戦いで呂範が曹休と戦っている間、呂範の命に背いて火を用い、軍用資材を消失する失策を犯す。このことで孫権の怒りを買い、姓を孫から丁に改められ、終身の禁固刑に処された。
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【三国志14】趙弘の武将能力値紹介

趙弘(チョウコウ) 統率66 武力72 知力28 政治22 魅力13 黄巾の武将。【演義】張角の病死後、韓忠、孫仲と共に数万の軍勢を擁して宛城を占拠していた。朱儁と劉備が率いる討伐軍に攻められ、韓忠が大敗を喫すると降伏を申し出るが、朱儁に拒否された。奮戦して一度は討伐軍から宛城を取り戻すが、朱儁の加勢に来た孫堅軍に攻められ、槊を繰り出して孫堅に突きかかったところを返り討ちにされた。【正史】南陽黄巾の総帥・張曼成秦頡[シンキツ]に討たれると後を継ぎ、10万余の兵で宛城を占拠し続けた。朱儁の包囲を数カ月耐えるが、最後は朱儁に斬られた。
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