武将

武将

【三国志14】范方の武将能力値紹介

范方(ハンホウ) 統率54 武力58 知力38 政治33 魅力45 公孫瓚の武将。【演義】記述なし。【正史】反董卓連合結成時、公孫瓚の命を受け、騎兵を率いて劉岱の援助に向かった。連合が解散し、公孫瓚が袁紹と争うようになると帰還を命じられるが、帰還前に公孫瓚は袁紹に敗れた。
武将

【三国志14】鮑信の武将能力値紹介

鮑信(ホウシン) 統率77 武力67 知力81 政治73 魅力83 後漢の済北の相。【演義】董卓が政権を握り非道な政治を行うと、袁紹や王允に董卓打倒を進言した。曹操が董卓打倒の号令を発すると、反董卓連合に参加。反董卓連合が解散した後、曹操と共に青州の黄巾賊を討伐中、寿陽で戦死した。【正史】反董卓連合に参加した時、他の諸侯が袁紹になびく中、曹操を英雄視し、親交を結んだ。192年、青州の黄巾賊との戦いで戦死した兗州刺史・劉岱の後任に曹操を迎える。しかし、戦場視察中に黄巾賊と白兵戦となり、曹操を救って自らは戦死した。
武将

【三国志14】樊能の武将能力値紹介

樊能(ハンノウ) 統率69 武力61 知力36 政治31 魅力53 揚州刺史・劉繇の武将。【演義】江東への侵出を目論む孫策を迎撃する。僚友の于糜が孫策に捕らえられたのを見て襲いかかるが、孫策に大喝を浴びせられて落馬し、頭を打って死んだ。【正史】于糜と共に長江沿岸の横江津に駐屯し、袁術と孫策が江東に侵出するのを防ごうとするが、敗退。一時は孫策に奪われた拠点を取り返すものの、帰還した孫策に再び奪われた。
武将

【三国志14】鮑三娘の武将能力値紹介

鮑三娘(ホウサンジョウ) 統率68 武力75 知力38 政治31 魅力63 「花関索伝」に登場する女性。鮑家荘の鮑員外の娘。抜群の武芸と美貌を誇り、多くの男から求婚されるが相手にしない。南山の頭目・廉康が鮑家荘を包囲して求婚すると、自ら槍を振るって追い払った。数日して別の武芸者に挑まれるが敗北。これが関索で、両者は意気投合して結婚した。架空の人物ながら四川省に鮑三娘墓が現存し、夫婦で葭萌関を守ったと記されている。諸葛亮の南蛮征伐に夫婦で参加したなど他にも逸話が残る。【演義】記述なし。【正史】記述なし。
武将

【三国志14】鮑勛の武将能力値紹介

鮑勛(ホウクン) 統率41 武力35 知力74 政治68 魅力79 魏の幕僚。鮑信の子。兄に鮑邵[ホウショウ]。【演義】記述なし。【正史】父の功によって曹操に召し出され、曹丕が太子に立てられると太子中庶子に任じられた。清廉高潔な人柄で曹丕に対しても公正な態度で接し、しばしば諫言したために曹丕に煙たがれた。曹丕即位後、御史中丞に任じられるも、曹丕の呉征伐を諫めて左遷された。更に、罰金程度の些細な罪を曹丕に責め問われ、群臣の助命嘆願も叶わず処刑された。
武将

【三国志14】樊稠の武将能力値紹介

樊稠(ハンチュウ) 統率67 武力74 知力31 政治24 魅力38 董卓の武将。【演義】董卓に従って上洛し、虎牢関を守る。董卓が王允らに討たれると、李傕、郭汜らと共に長安を攻撃。王允一派から献帝を奪い返し、右将軍となる。後に長安に攻め寄せた馬騰と韓遂を撃退。その際、同郷の韓遂を見逃したことを李傕の甥・李別に密告され、李傕に殺された。【正史】董卓の死後、李蒙、王方らと共に李傕に協力し、長安を占領。侍中の馬宇らと結託した馬騰と韓遂が攻め寄せると迎撃し、馬宇を討つ。その際、韓遂と会談したことを李傕の甥・李利に密告され、李傕に殺された。
武将

【三国志14】龐羲の武将能力値紹介

龐羲(ホウギ) 統率60 武力38 知力68 政治74 魅力62 劉璋の武将。娘は劉循の妻。後に劉備に仕える。【演義】巴西太守となり、漢中の張魯の南下に備える。211年、張魯が南下の動きを見せると、劉璋に急報した。劉璋が劉備に降伏した後は劉備に仕えた。【正史】劉璋とは昔なじみ。劉璋の子供を危難から救ったことから厚遇され、巴西太守となる。しかし、次第に権力におぼれ横暴になり、劉璋との仲は悪くなった。戦乱に備えて私兵を集めると、劉璋に反逆を疑われたため、激怒。一時は本気で反逆を考えるが、程畿にいさめられ、劉璋に謝罪した。
武将

【三国志14】潘璋の武将能力値紹介

潘璋(ハンショウ) 統率76 武力80 知力70 政治28 魅力7 呉の武将。【演義】孫策の死後、孫権に召集された。208年の黄祖討伐では、蘇飛を捕らえる。その後、赤壁の戦い、南郡攻略戦、合肥攻防戦に参加した。219年、呂蒙の指揮下で荊州に進攻し、関羽父子を捕らえる。夷陵の戦いでは先鋒となって蜀軍を迎撃。緒戦で黄忠を撃退するが、関興に仇討ちを挑まれ、討ち取られた。【正史】夷陵の戦い後も戦功を上げ、南郡に進攻した夏侯尚を撃退して右将軍となる。部下の財貨を奪うなど不法行為が多かったが、功に免じて許された。
武将

【三国志14】逢紀の武将能力値紹介

逢紀(ホウキ) 統率32 武力21 知力84 政治70 魅力39 袁紹の幕僚。【演義】反董卓連合解散後、兵糧調達に苦しむ袁紹に、食糧豊富な冀州を奪うように進言。袁紹が韓馥を追放して鄴に入ると、冀州の行政を担当した。官渡の戦いでは慎重論を唱える田豊と対立。田豊が指摘した通りに袁紹軍が敗れると、田豊が袁紹を非難していると嘘をつき、田豊を殺させた。袁紹の死後は審配と共に袁尚を擁立。対立する袁譚派の策略で袁譚の陣に呼ばれ、袁尚に援軍を要請する書状を書くよう迫られるが、拒んで殺された。【正史】袁尚を支持した審配とも、最初は仲が悪かった。
武将

【三国志14】潘濬の武将能力値紹介

潘濬(ハンシュン) 統率61 武力18 知力67 政治84 魅力21 関羽の部下。後に呉に仕える。【演義】荊州の治中。関羽が襄陽に進攻した際、糜芳、傅士仁の目付として荊州に留まる。その際、王甫は関羽に、「潘濬は信用できないから、趙累に代えるべきだ」と進言する。果たして、呉軍が荊州に攻め寄せると、糜芳、傅士仁と共に呉に帰属し、そのまま荊州を治めた。【正史】後漢の役人となるが、赴任せず劉表に仕えた。赤壁の戦い後は劉備に、関羽の死後は孫権に仕える。少府、太常に昇進し、陸遜と共に荊州を守った。政権を握った呂壱が暴政を振るうと、孫権に進言して処刑させた。
タイトルとURLをコピーしました