武将

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【三国志14】劉繇の武将能力値紹介

劉繇(リュウヨウ) 統率65 武力66 知力47 政治72 魅力64 後漢の揚州刺史。劉岱の弟。前漢の斉の孝王の末裔。【演義】同郡の太史慈の武勇を聞き、配下に招く。しかし、孫策が江東に攻め寄せた時は太史慈の助言を聞き入れずに敗退。劉表を頼って落ち延びた。【正史】戦乱を避けて淮南に移った後、揚州刺史に任ぜられる。しかし、すでに淮南には袁術がいたため、任地の寿春には向かわず、曲阿に州都を置く。以後、呉景と孫賁を追い出し、樊能、張英らに長江沿岸を守らせ、袁術の侵攻を防いだ。孫策に敗れた後は豫章に移り、反逆した笮融を討つが、間もなく病死した。
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【三国志14】劉曄の武将能力値紹介

劉曄(リュウヨウ) 統率40 武力32 知力92 政治73 魅力69 曹操の幕僚。阜陵王・劉延(後漢光武帝の子)の末裔。【演義】字は子陽。郭嘉の勧めで曹操に仕え、満寵と呂虔を推薦する。張繍を説得して降伏させ、官渡の戦いでは袁紹の弓櫓に対抗して投石車を創るなど活躍した。曹操が漢中を平定すると、司馬懿と共に余勢を駆って蜀を攻めるように進言。後に聞き入れなかったことを曹操に後悔させた。曹叡の代、曹真の蜀進攻で軍師を務めた。【正史】「父の側近は悪人だから大人になったら討て」という母親の遺言に従い、13歳の時に実行。許劭からは「君主を補佐する才がある」と評された。
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【三国志14】劉瑁の武将能力値紹介

劉瑁(リュウボウ) 統率51 武力40 知力47 政治44 魅力42 益州牧・劉焉の子。兄に劉範、劉誕。弟に劉璋。妻は呉懿の妹。【演義】漢中王となった劉備が呉懿の妹を娶る際、その前夫として名が挙がっている。【正史】劉焉が益州に入った時、劉範、劉誕、劉璋は献帝の近侍として朝廷に残ったが、劉瑁だけは父に従って益州に入った。のち荊州を制した曹操から平寇将軍に任じられたが、間もなく病没した。
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【三国志14】劉放の武将能力値紹介

劉放(リュウホウ) 統率20 武力15 知力80 政治73 魅力50 魏の幕僚。前漢の燕王・劉旦(武帝の子)の末裔。娘は張華の妻。【演義】曹叡が危篤に陥った際、孫資と共に機密を掌握する。後事を託す大将軍には曹爽が相応しいと推挙し、本来の候補だった曹宇を帰国させた。【正史】曹操に召し出され、曹丕、曹叡の代には孫資と共に機密に携わった。文才があり、曹氏三代の文書の多くを作成した。曹叡が危篤に陥ると、演義同様、曹爽と司馬懿を曹芳の後見人にするよう勧め、政敵だった曹宇らを罷免。曹芳が即位すると驃騎将軍まで昇進した。
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【三国志14】劉封の武将能力値紹介

劉封(リュウホウ) 統率75 武力79 知力44 政治50 魅力76 樊城の県令・劉泌の甥。劉備の養子。【演義】徐庶の知略で曹仁を破った劉備が樊城に入った時、気に入られ養子となる。博望坡の戦い、益州進攻戦、漢中攻防戦で活躍。漢中平定後、孟達、王平と共に上庸を攻略する。その後、麦城で孤立した関羽から援軍を求められるが、孟達の勧めもあって拒否。これが関羽の死の一因となり、劉備に恨まれる。220年、魏に降った孟達を攻めるが大敗。成都に帰還後、処刑された。【正史】孟達と仲が悪かった。剛勇な性格。劉備の死後は誰も抑えられないと考えた諸葛亮の進言で、死を賜った。
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【三国志14】劉辟の武将能力値紹介

劉辟(リュウヘキ) 統率70 武力72 知力51 政治34 魅力56 黄巾の武将。【演義】黄巾の乱後も龔都と共に汝南で暴れ回り、討伐に来た曹洪を苦しめる。官渡の戦いでは袁紹に味方し、曹操の後方を襲った。劉備が袁紹の下から逃れてくると招き入れ、共に曹操不在の許昌を攻めようとする。しかし、夏侯惇の襲撃を受けて大敗し、高覧に討ち取られた。【正史】何儀、黄邵[コウショウ]、何曼らと共に汝南、潁川両郡で勢力を張り、袁術や孫策と結託した。196年、曹操に討伐され降伏。しかし、曹操が袁紹と争うと反逆し、袁紹派の劉備と結託。曹仁に討伐された。
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【三国志14】留平の武将能力値紹介

留平(リュウヘイ) 統率70 武力70 知力68 政治57 魅力62 呉の武将。留賛の子。留略の兄弟。【演義】暴政を振るう孫晧をいさめるが、怒りを買って殺された。【正史】264年、陸抗、歩協、盛曼らと共に巴東の羅憲を攻める。征西将軍、左将軍などを歴任。271年、孫晧が民衆に犠牲を強いて華里から西へ巡幸した際、万彧、丁奉らと共に「もしこのまま西に進むなら、我らだけでも帰還しよう」と相談する。後にこのことが発覚し、宴席で孫晧に毒を盛られた。この時は解毒薬で死を免れるものの、憤りと不安の余り1カ月後に死亡した。
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【三国志14】劉馥の武将能力値紹介

劉馥(リュウフク) 統率64 武力49 知力73 政治87 魅力84 曹操の揚州刺史。【演義】揚州に学校を建て、屯田に成功するなど功績を上げた。赤壁の戦いを前に曹操が詠んだ「短歌行」の一節を不吉だと指摘して怒りを買い、殺された。【正史】袁術配下の戚寄[セキキ]と秦翊を説き伏せ、共に曹操に仕えた。曹操が袁紹一族との戦いに奔走している間、揚州刺史となり、梅乾、雷緒、陳蘭の横行に対処した。以後、学校建設、屯田、堤防や灌漑の整備、合肥の城壁強化など数々の功績を上げた。208年に死去。「短歌行」の逸話は演義の創作。
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【三国志14】劉敏の武将能力値紹介

劉敏(リュウビン) 統率69 武力70 知力67 政治51 魅力56 蜀の武将。劉優の孫、蒋琬の外弟。【演義】諸葛亮の第1次北伐に右護軍、偏将軍として従軍した。【正史】蒋琬と共に名を知られ、孝廉に推挙された。演義同様、諸葛亮の北伐に従軍し、職務怠慢の李厳を弾劾した。諸葛亮死後、左護軍、揚威将軍に昇進し、王平と共に漢中に駐屯。244年、曹爽が駱谷から侵攻してくると、興勢山に入って擬兵を用いて時を稼ぎ、費禕の援軍を得て曹爽を撃退した。
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【三国志14】劉豹の武将能力値紹介

劉豹(リュウヒョウ) 統率63 武力60 知力51 政治62 魅力64 匈奴の右賢王。於夫羅の子。蔡琰を妾とした。西晋王朝を滅ぼした劉淵の父。【演義】演義では「左賢王」として登場する。曹操軍に壺関を追われた高幹が頼ろうとするが、曹操と敵対することを嫌がって追い返した。【正史】叔父・呼廚泉が単于の位を継ぐと左賢王となり、曹操によって五部に分けられた匈奴の左部を統帥した。「三国志」では「右賢王」だが、「晋書」には「左賢王」になったとある。
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