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【三国志14】魏無忌の武将能力値紹介

魏無忌(ギブキ) 統率92 武力71 知力87 政治70 魅力84 戦国時代の魏の公子。昭王の末子で、安釐王[アンリオウ]の異母弟。号は信陵君。戦国四君のひとり。信陵君の姉は趙の平原君の夫人。秦軍が趙の都・邯鄲を包囲した際、魏王は趙の要請に応じて援軍を出したが、秦を恐れて国境に留まったままであった。信陵君は食客の助けを借りて兵権を示す割符を盗み出し、将軍の晋鄙を殺して兵を掌握。邯鄲に向かい、趙の危機を救った。その後、趙で10年を過ごすが、安釐王の要請により魏に戻り、上将軍となる。信陵君は魏・趙・韓・燕・楚の五カ国の軍を集めて秦の攻勢を防ぎ、威名は天下に鳴り響いた。
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【三国志14】魏罃の武将能力値紹介

魏罃(ギオウ) 統率54 武力58 知力68 政治74 魅力70 戦国時代の魏の君主。魏の恵王。武侯の嫡子。魏の初代の王。梁の恵王とも。公叔座が臨終の際に公孫鞅(商鞅)を推挙し、宰相にするか誅殺するよう遺言したが、何もせずに秦に行かせてしまい、結果的に秦を強国にして魏を窮地に立たせた。馬陵の戦いで魏軍が斉軍に惨敗すると、これを好機と見た秦の商鞅が魏に侵攻、黄河以西の地を奪取した。魏は安邑から東方の大梁に遷都し、恵王は商鞅を誅殺しなかったことを大いに悔やんだという。かつては強盛を誇った魏も度重なる敗戦により衰え、韓と共に斉に服属した。「五十歩百歩」の故事でも有名。
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【三国志14】韓武の武将能力値紹介

韓武(カンブ) 統率57 武力66 知力72 政治82 魅力71 戦国時代の韓の君主。韓の昭侯。「呂氏春秋」では、昭釐侯[ショウリコウ]。父は先代の懿侯(共侯、荘侯とも。名は若山)。韓は「戦国七雄」の中でも最弱国で、常に近隣の秦や魏に脅かされていた。昭侯は、鄭の下級身分出身の法家・申不害を登用し宰相に任命。申不害は宰相の任にあった15年の間に富国強兵を行って韓の全盛期を築き上げ、秦や魏に国境を侵させなかった。申不害の死から3年、韓で旱魃があった年に高門の造営に取りかかり、楚の屈宜臼から「民の危急を憐れまず、時が衰えたのに奢侈になった」と批判された。翌年、死去。
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【三国志14】韓非の武将能力値紹介

韓非(カンピ) 統率16 武力12 知力90 政治96 魅力64 戦国時代末期の思想家。法家の代表的人物。韓の公子。李斯と共に荀子に師事したという。弁舌は不得手であったが著述をよくした。しばしば書簡で韓王に建言したが容れられず、「韓非子」55編を著して政治の方法を論じ、秦王・嬴政[エイセイ]に注目された。のちに韓の使者として秦に赴く。以前の韓非の著作を読んで感ずるところのあった嬴政は、韓非を登用しようと考えたが、韓非の才能が自分の地位を脅かすことを恐れた李斯が讒言し、韓非は投獄された。李斯は獄中の韓非に毒薬を届けて自殺を促し、韓非はこれに従ったという。
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【三国志14】韓信の武将能力値紹介

韓信(カンシン) 統率100 武力74 知力95 政治74 魅力68 漢三傑の1人、大元帥。楚王。淮陰侯。淮陰の貧家の出自で、若い頃はよく周囲から馬鹿にされていた。陳勝・呉広の乱が起こると、項梁・項羽の軍に参加するが、進言が聞き入れられないため脱走。漢中に左遷されていた劉邦軍に仕官し、蕭何[ショウカ]に見出されて「国士無双」と評される。やがて劉邦から大元帥を拝命すると、別働隊を預かり、項羽に味方する魏、殷[イン]、趙、代、燕、斉を平定。垓下[ガイカ]の戦いで項羽を破って漢の天下統一を成し遂げる。だが統一後は、その実力を劉邦に恐れられ、謀反の罪で処刑された。
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【三国志14】管夷吾の武将能力値紹介

管夷吾(カンイゴ) 統率84 武力65 知力97 政治100 魅力85 春秋時代、斉の宰相。はじめ斉の公子・糾に仕える。公位継承をめぐり公子・小白(桓公)と争ったが敗れた。その後、桓公の側近である親友・鮑叔牙の推挙により宰相に就任。国政を担うようになると「衣食足りて礼節を知る」(人は豊かな生活を得れば自然と道徳心が生まれる)として、富国強兵策を推進。民生の安定や産業の振興など、多方面で合理的な改革を行い、斉を一大強国に変貌させた。軍事力を強化する一方で信義を重んじた献策を行い、諸侯の信頼を獲得すると、ついには桓公を覇者の地位に上らせた。
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【三国志14】岳飛の武将能力値紹介

岳飛(ガクヒ) 統率96 武力92 知力78 政治31 魅力95 南宋の武将。武穆。岳王。農家に生まれながらも文武に励み、辺境防衛の義勇軍に参加。数々の軍功を上げて頭角を現し、次第にその地位を高めた。その後、南宋に侵攻する金と対峙し、中原回復を目指して度々戦果を上げている。名声を高める一方で、他の官僚や軍閥との協調を欠いて次第に孤立。金との和平を主張する秦檜[シンカイ]が宰相に就任すると、無実の罪を着せられた処断された。その背中には「尽忠報国」と刺青されていたという。のちに名誉を回復し、現在は救国の英雄として関羽と共に武廟に合祀されている。
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【三国志14】霍去病の武将能力値紹介

霍去病(カクキョヘイ) 統率93 武力93 知力42 政治5 魅力84 前漢の驃騎将軍。大司馬。冠軍侯。景桓侯。大将軍・衛青の甥。年少の頃より武帝に目をかけられ宮中に出仕する。18歳のとき、衛青に従って匈奴討伐に出陣すると、天性の軍才により目覚ましい軍功を上げた。武帝の信任を得て驃騎将軍に任ぜられると、精鋭部隊を与えられて度々西域に出征。匈奴討伐に執念を燃やし、匈奴の諸王をことごとく打ち破って、前漢の西域支配の基盤を築いた。衛青を凌ぐ権勢を得て名声は高まるばかりだったが、病に倒れて24歳という若さで急逝。武帝は自らの陵の傍に墓を築かせ、その死を悼んだという。
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【三国志14】楽毅の武将能力値紹介

楽毅(ガクキ) 統率99 武力76 知力93 政治88 魅力93 春秋戦国時代、燕の将軍。昌国君。小国・中山の宰相の子に生まれたが、中山が趙の武霊王に滅ぼされると、諸国を流浪。燕の昭王にその才能を認められて臣となった。政務に手腕を発揮する一方、諸国に脅威を与えていた斉に対抗すべく、趙、魏、楚、秦との五カ国同盟を実現。連合軍を指揮して斉軍を撃破し、暴虐な斉王を追放して2都市を除く斉全土を制圧した。間もなく昭王が急逝すると、斉の田単の離間計によって恵王に疑われ、趙に亡命。恵王と和解した後も趙に留まり、趙と燕の両国で重きを成した。
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【三国志14】郭隗の武将能力値紹介

郭隗(カクカイ) 統率30 武力21 知力82 政治83 魅力75 戦国時代の燕の臣。燕国は内乱で混乱しているところを斉軍に侵攻されて一度滅亡した。燕の昭王・姫平が即位して燕国を復興したが、領土は削られ国力は脆弱だった。姫平は富国強兵を行い、斉への復讐を果たすためには人材が必要と考え、郭隗に賢人を紹介してくれるよう依頼。郭隗は「まず隗より始めよ」と答え、郭隗を優遇することで郭隗以上の賢人たちが自分から燕にやってくるようにせよ、と諭す。姫平は進言を容れ、郭隗のために宮殿を改築し、郭隗に師事した。すると、魏から楽毅、斉から鄒衍、趙から劇辛、と各地から賢人が燕に訪れた。
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