三国志13

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【三国志13】丘本 の武将能力値紹介

丘本(キュウホン) 統率50 武力41 知力67 政治56 魏の武将。【演義】蜀討伐戦に鄧艾の監軍として参加。綿竹関を攻めた際、守将の諸葛瞻に降伏を勧めるように進言。諸葛瞻が拒否すると、諸葛瞻を誘い出して伏兵で打ち破る策を進言した。【正史】記述なし。
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【三国志13】韓徳 の武将能力値紹介

韓徳(カントク) 統率63 武力76 知力25 政治16 魏臣。西涼の大将。韓瑛、韓瑤[カンヨウ]、韓瓊[カンケイ]、韓琪[カンキ]の父。【演義】大斧の使い手。諸葛亮の北伐が始まると、4人の息子と共に西羌の軍を率いて迎撃軍に加わり、夏侯楙の先鋒となる。息子がいずれも趙雲に討たれ、仇討ちを挑むが返り討ちにされた。【正史】記述なし。
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【三国志13】管亥 の武将能力値紹介

管亥(カンガイ) 統率70 武力82 知力10 政治5 黄巾の武将。【演義】数万の兵を率いて北海太守・孔融を攻め、孔融配下の宗宝を数合で斬り殺す。しかし、孔融の依頼を受けた太史慈と劉備の接触を許し、援軍としてやってきた劉備軍と戦って関羽に斬られた。【正史】劉備から3千の精鋭を借り受けた太史慈によって管亥の軍は崩されたとだけあり、関羽に斬られたという記述はない。
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【三国志13】夏侯玄 の武将能力値紹介

夏侯玄(カコウゲン) 統率54 武力39 知力76 政治86 魏将・夏侯尚の子。曹爽の従兄弟。清談家。【演義】李豊、張緝と共に、曹芳から司馬師誅殺を命じられるが、司馬師に密書を発見される。李豊らと共に市場で腰斬の刑に処せられ、三族皆殺しにされた。【正史】曹爽が政権を握ると高職を歴任し、優れた功績は後世の手本となった。244年、曹爽と共に蜀を攻めるが、費禕に敗れた。曹爽が司馬懿に討たれると、曹爽と密接だったことから厚遇されなくなる。李豊、張緝と共に司馬氏打倒を謀るが露見して殺された。同じく司馬氏に反乱を起こした諸葛誕、毌丘倹らとも親しかった。
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【三国志13】楽就 の武将能力値紹介

楽就(ガクシュウ) 統率53 武力66 知力61 政治42 袁術の武将。【演義】皇帝を名乗った袁術が呂布討伐戦を起こした時、督戦官として全7軍の連絡を担当する。しかし、陳珪親子の計略で韓暹と楊奉が離反したため袁術軍は大敗。その直後、曹操の攻撃を受けると、梁綱、李豊、陳紀らと寿春を守るが、4人ともども捕らえられ、市場で斬られた。【正史】陳に侵入した袁術を曹操が自ら迎撃すると、袁術は軍を捨てて逃走した。袁術の命で橋蕤、李豊、梁綱らと共に残留し、曹操に撃破され于禁に斬られた。
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【三国志13】王累 の武将能力値紹介

王累(オウルイ) 統率28 武力30 知力79 政治80 劉璋の従事。【演義】張松が劉備の迎え入れを献策すると強く反対。聞き入れようとしない劉璋が涪城[フジョウ]に赴いて劉備を迎えようとすると、城門から逆さ吊りになり命を賭していさめる。しかし、劉璋を止めることはできず、自ら綱を切って死んだ。【正史】劉備の迎え入れに反対し、城門に逆さ吊りになって劉璋をいさめたとあるのみ。
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【三国志13】王粲 の武将能力値紹介

王粲(オウサン) 統率15 武力3 知力79 政治80 建安七子の1人。曾祖父、祖父が三公を務めた名門の出。【演義】若くして蔡邕に才能を評価された。戦乱を避けて荊州に移り劉表を頼る。劉表が死に劉琮が後を継ぐと、傅巽と共に曹操へ降伏するよう主張。曹操に仕えると傾倒するようになり、銅雀台落成の際は曹操を称える詩を詠んだ。後に、杜襲、衛凱、和洽[カゴウ]と共に曹操を魏王に立てようとするが、荀攸に止められた。【正史】風采が上がらず、体はひ弱で大まかな性格のため、劉表には用いられなかった。魏建国後は侍中となる。記憶力に優れ、朝廷の古制復活や奏議起草に尽力した。
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【三国志13】袁術 の武将能力値紹介

袁術(エンジュツ) 統率44 武力65 知力65 政治16 袁紹の従弟(異母弟とも)。四世三公の名門。【演義】何進に重用され、何進が宦官に暗殺されると袁紹と共に宦官を虐殺した。董卓が台頭すると南陽に逃れ、反董卓連合に参加。後に淮南に移り、孫策から譲られた玉璽を擁して皇帝を自称。悪政で民心を失い、袁紹を頼って北上するところを劉備に攻められ、吐血して死んだ。【正史】何進の死の直後から帝位を目指し、劉虞を帝位に即けようとする袁紹と対立。公孫瓚、陶謙、孫堅らと結ぶが、匡亭[キョウテイ]で袁紹派の曹操に敗れ、揚州に逃れた。
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【三国志13】阿会喃 の武将能力値紹介

阿会喃(アカイナン) 統率65 武力74 知力26 政治33 孟獲の配下。第三洞の元帥。【演義】諸葛亮の南蛮征圧で、張翼に襲撃されて捕らえられる。董荼那ともども、諸葛亮に解放されて心服するが、同じく解放されながら服従しない孟獲の命で沙口の守備に派遣される。次の戦いで馬岱との対戦を避けた董荼那が孟獲に処罰されると、董荼那と結託して孟獲を捕らえ蜀軍に引き渡した。その後、再び釈放された孟獲が諸葛亮に心服したものと誤解し、孟獲に誘い出されて董荼那と共に殺された。【正史】記述なし。
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【三国志13】李通 の武将能力値紹介

李通(リツウ) 統率73 武力81 知力62 政治63 曹操の武将。【演義】曹操が張繍、劉表と戦った時、加勢して曹操軍の窮地を救い、以後、汝南に駐屯する。211年、渭水の戦いで馬超と戦い、数合打ち合って突き落とされた。【正史】汝南で陳恭らと共に自衛団を組織し、黄巾賊の呉霸を生け捕りにするなど、功績を上げた。曹操が許昌に遷都すると、臣従。官渡の戦いでは袁紹の勧誘を断り、袁紹の出身地である汝南一帯を平定して汝南太守となる。南郡攻防戦では、周瑜の包囲網を破って曹仁を救出した。209年、遠征からの帰還途中に病死した。
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