三国志13

武将

【三国志13】韋昭 の武将能力値紹介

韋昭(イショウ) 統率16 武力19 知力65 政治73 呉の幕僚。正史では、司馬昭の名を避けて、韋曜と記される。【演義】記述なし。【正史】太子・孫和の命で「博奕論」を著し、博奕(すごろく)が益体のない遊びだと論じた。孫亮が即位すると諸葛恪に推薦され、薛瑩、華覈らと共に「呉書」の編集に当たる。しかし、孫晧が即位すると「呉書」の編集方針を巡って孫晧と対立。下戸だったがむりやり酒を飲まされ、態度が反抗的だとして処刑された。華覈とは親交が篤く、華覈は最後まで韋昭の助命嘆願に奔走した。
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【三国志13】王翦 の武将能力値紹介

王翦(オウセン) 統率94 武力71 知力82 政治68 秦の将軍。秦王・政(嬴政[エイセイ])に将軍として仕え、韓、趙、魏、燕を滅ぼし、統一事業を大きく進めた。続く楚攻略では、「20万の兵で十分」と述べた李信に対し、「60万は必要だ」と主張し、戦線から外されてしまう。李信が楚の名将・項燕に敗れると、秦王・政自らの請願を受け復帰。秦の全軍60万を率いて楚を攻撃し、項燕を破り楚を平定した。秦王・政が全軍を掌握する自分の力を恐れるのを避けるため、たびたび小さな恩賞をねだり、野心のないことを示した
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【三国志13】廉頗 の武将能力値紹介

廉頗(レンパ) 統率95 武力90 知力77 政治39 戦国末期の趙の将軍。「千字文」に、戦国時代の名将として白起、王翦、李牧と併記されている。趙の恵文王の将軍として斉の陽晋を攻略して上卿に任ぜられ、勇名をもって天下に知られた。藺相如が上卿に任ぜられるとそれを不服としたが、藺相如の真意を知ると自らを恥じて謝罪、「刎頸の交わり」を結ぶ。長平の戦いでは、趙軍を率いて秦軍と対峙したが、流言を信じた趙の孝成王に更迭された。邯鄲包囲戦後、趙に攻め入った燕軍を大破、信平君に封ぜられ、仮相国となる。孝成王の死後、悼襄王が立つと魏、楚に亡命。寿春で病死した。
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【三国志13】孔丘 の武将能力値紹介

孔丘(コウキュウ) 統率68 武力70 知力92 政治87 儒教の祖。尊称を「孔子」。諡[オクリナ]を文宣王。文武両道の才人で、身長も9尺6寸(約2.2m)を超える偉丈夫だった。弟子たちと共に各地を周遊して見識を高め、魯と斉で仕官するが、その理想は現実政治の前に敗れてしまう。以後も、諸国を歴訪して君子の道を説き続けたが、覇道の世に彼が主張する王道は受け入れられなかった。晩年は祖国・魯に戻り、愛弟子の死などの不幸に見舞われながらも、弟子たちを教育。死後、その言動や思想は弟子たちによって「論語」としてまとめられ、多くの人々の尊敬を集めることとなった。
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【三国志13】董白 の武将能力値紹介

董白(トウハク) 統率63 武力70 知力51 政治56 董卓の孫娘。【演義】記述なし。【正史】190年、董卓が長安に遷都した際、15歳未満でありながら渭陽君として領地を与えられた。印綬授与の際は、都尉、中郎将、刺史ら重臣が先導役となり、華やかに行われた。董卓の死後、王允によって董卓の一族や董卓に加担した者たちが粛清されたとき、董白も連座させられたものと思われる。
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【三国志13】張羨 の武将能力値紹介

張羨(チョウセン) 統率74 武力47 知力67 政治69 劉表の武将。長沙太守。【演義】記述なし。【正史】他人に屈することを嫌う性格から、劉表に嫌われていた。劉表が袁紹と結んで曹操と戦う動きを見せると、献帝を擁する曹操に味方すべきという桓階の進言を容れて自らは曹操と結び、劉表と敵対した。
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【三国志13】石韜 の武将能力値紹介

石韜(セキトウ) 統率62 武力32 知力82 政治81 諸葛亮の友人。【演義】諸葛亮の留守中、その庵で友人の孟建と酒を飲んでいた際、三顧の礼で庵を訪れた劉備と出会っている。【正史】諸葛亮・徐庶・孟建らと同じく、司馬徽の門下生。諸葛亮からは「仕官すれば刺史か郡守になれるだろう」と評されている。のち荊州が曹操の手に落ちると帰順し、徐庶らと共に魏に仕えたとされる。
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【三国志13】左霊 の武将能力値紹介

左霊(サレイ) 統率61 武力53 知力61 政治68 李傕の幕僚。【演義】献帝の身柄を郭汜と奪い合った際、献帝を護送し、賈詡と共に車馬の監視を行った。【正史】献帝の身柄を移す際、献帝とは別の車に乗り、賈詡と共に見張り役についたとされる。李傕の配下であるとの記述はない。
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【三国志13】嵆康 の武将能力値紹介

嵆康(ケイコウ) 統率46 武力39 知力78 政治69 魏の文人。竹林の七賢の一人。【演義】記述なし。【正史】曹操の曾孫・長楽亭主を妻とし、中散大夫であったため嵆中散と呼ばれる。自然を尊び、世俗を離れて生きる清談を実践した。鍾会と仲が悪く、山濤の吏部郎への推挙を断ったこと、兄弟間で諍いを起こした親友・呂安を弁護したことを風俗を乱したとして告発され、呂安と共に死罪となる。琴の名人で広陵散という曲を得意としていたが誰にも教えることはなく、処刑前に演奏し「広陵散は今ここで絶えるだろう」と言ったという。
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【三国志13】王商 の武将能力値紹介

王商(オウショウ) 統率18 武力22 知力71 政治67 劉焉の参謀。蜀郡太守。王甫の従兄。【演義】記述なし。【正史】博識として知られ、益州牧・劉焉に招かれて治中従事となる。劉焉や子・劉璋をたびたび諫めては道を正した。人物評価で有名だった許靖に「王商が中原に生まれていれば、王朗だろうと上回ることはできないだろう」と評されている。蜀郡太守に任じられると、農業を広めるなど善政を敷いた。王商が死去すると許靖が後任を務めた。
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