三国志13

武将

【三国志13】史蹟 の武将能力値紹介

史蹟(シセキ) 統率56 武力65 知力32 政治41 呉の武将。【演義】夷陵の戦いで、劉備率いる蜀軍が押し寄せた際、潘璋の指揮下で迎撃に出る。先陣を任され、黄忠と遭遇すると、黄忠を老将と侮って打ちかかり、ものの三合で討ち取られた。【正史】記述なし。
武将

【三国志13】蔡氏 の武将能力値紹介

蔡氏(サイシ) 統率38 武力7 知力70 政治58 劉表の後妻。蔡瑁の姉。劉琦の義母。【演義】劉琮の生母。劉表を頼って新野に入った劉備を早くから警戒し、蔡瑁と共に劉備を追放、あるいは殺害する計画を練る。劉表の死期が迫ると、劉琦を差し置いて劉琮を後継ぎにしようと画策。劉表が死ぬと、遺言を偽造して劉琮を後継者に仕立てた。曹操に降伏後、青州に向かう劉琮に同行するが、劉琮ともども于禁に討たれた。【正史】劉琮の実母ではない。姪が劉琮の妻となったため、劉琮を偏愛するようになった。劉琮と共に于禁に殺されたという記述はない。
武将

【三国志13】陶謙 の武将能力値紹介

陶謙(トウケン) 統率51 武力27 知力64 政治63 後漢の徐州刺史。【演義】曹操の呼びかけに応じ、董卓追討に参加した諸侯の1人。193年、配下の張闓が曹操の父・曹嵩を殺害したことから曹操の徐州侵攻を招き、劉備、孔融に加勢を求める。翌年、劉備に後事を託して病死。【正史】皇甫嵩と共に西羌族の反乱を鎮圧。辺章と韓遂が挙兵した時も張温と共に討伐するが、張温の指揮を不服として対立した。黄巾討伐で徐州刺史となり、長安に移った献帝に物資を援助して徐州牧に就任。闕宣[ケッセン]と結託して兗州を攻め、曹操の徐州侵攻を招いた。
武将

【三国志13】丁原 の武将能力値紹介

丁原(テイゲン) 統率70 武力76 知力35 政治40 後漢の群雄。【演義】荊州刺史。呂布の養父。何進が宦官に暗殺される前に招集を受けた群雄の1人。先に上洛して政権を得た董卓が少帝廃立を唱えると反対し、呂布を率いて董卓軍を破る。しかし、李粛の説得によって董卓側に寝返った呂布に暗殺され、軍勢も奪われた。【正史】并州刺史。河内[カダイ]に駐屯中、呂布を気に入って登用した。何進の招集で上京し執金吾になるが、董卓にそそのかされた呂布に討たれ、軍勢を奪われた。
武将

【三国志13】陳横 の武将能力値紹介

陳横(チンオウ) 統率64 武力63 知力26 政治35 揚州刺史・劉繇の武将。【演義】江東に侵出した孫策軍と秣陵で戦う。薛礼、張英と防戦中に孫策が戦死したと思い込み、夜、城から出て孫策の陣を襲撃。しかし、孫策は生きており、待ち構えていた蒋欽に射殺された。【正史】記述なし。
武将

【三国志13】張超 の武将能力値紹介

張超(チョウチョウ) 統率65 武力71 知力62 政治35 後漢の陳留太守・張邈の弟。広陵太守。【演義】記述なし。【正史】兄とともに反董卓連合軍に参加し、配下の臧洪を諸侯同盟の宣誓者として推薦した。194年夏に曹操が陶謙を討つため徐州に遠征すると、兄や陳宮と共謀し、呂布を盟主として招き入れて反乱を起こす。しかし、曹操の猛攻撃に籠城した雍丘が陥落したため、自害した。
武将

【三国志13】張挙 の武将能力値紹介

張挙(チョウキョ) 統率79 武力75 知力56 政治48 後漢の泰山太守。漁陽郡の出身。【演義】張純と結んで反乱を起こし、「天子」を自称した。幽州牧・劉虞らの官軍と激戦を繰り広げた末、張純が配下に殺されて敗色が濃厚になると首を吊って果てた。【正史】烏丸族の丘力居の協力を得て、青、徐、幽、冀州の四州を席巻する。反乱軍の崩壊後は消息不明。
武将

【三国志13】太史享 の武将能力値紹介

太史享(タイシキョウ) 統率57 武力66 知力48 政治59 呉の武将。太史慈の子。【演義】209年、合肥[ガッピ]攻めで太史慈が死ぬと、孫権の館に引き取られ、育てられた。【正史】尚書、呉郡太守を歴任した。なお、正史では、太史慈は206年に病死している。
武将

【三国志13】孫休 の武将能力値紹介

孫休(ソンキュウ) 統率57 武力42 知力78 政治76 孫権の六男。孫登、孫和、孫覇の弟。孫亮の兄。呉の第3代皇帝・景帝。【演義】258年、孫亮を廃した孫綝に迎えられ、皇帝に即位。反逆を企てた孫綝を丁奉らに討たせた。魏の攻撃を受けた蜀の諸葛瞻から援軍を要請され、丁奉らを派遣するが間に合わなかった。蜀が滅び、魏も晋に滅ぼされると心痛から発病し、丞相の濮陽興に皇太子を託して死亡。しかし、万彧らの画策で孫和の子・孫皓が次帝となった。【正史】教育、農業を振興し、租税を軽減するが、晩年は濮陽興、張布に政治を任せ、古典研究に没頭した。
武将

【三国志13】曹性 の武将能力値紹介

曹性(ソウセイ) 統率54 武力74 知力38 政治27 呂布の武将。【演義】兗州を巡る曹操軍との戦いに参加するが、兵糧調達中に呂布が敗れたため、呂布と共に徐州に落ち延びた。曹操軍が徐州に侵攻すると、迎撃。夏侯惇の左目を射るが、なおも戦い続ける夏侯惇に討ち取られた。【正史】呂布に仕える郝萌の配下。郝萌が袁術と通じて呂布に謀反すると、郝萌と戦い、負傷しながらも郝萌の片腕を斬り落とした。郝萌が高順に討たれると、郝萌の部隊の統率を任された。夏侯惇は呂布軍と交戦中、流れ矢で左目を失ったとあり、曹性が射たという記述はない。
タイトルとURLをコピーしました