三国志13

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【三国志13】辛毘 の武将能力値紹介

辛毘(シンピ) 統率39 武力24 知力79 政治79 袁紹の幕僚・辛評の弟。後に魏臣。辛憲英、辛敞の父。【演義】袁紹の死後、袁尚と袁譚が対立した時、袁譚の使者として曹操に援軍を求めた。鄴攻略戦で審配に家族を殺されたため、曹操が審配を討った後、曹操に仕える。曹操の死後、華歆、王朗らと共に、献帝に曹丕への譲位を迫った。五丈原の戦いでは、司馬懿の思惑を読んで諸将に出兵を禁じる勅令を伝え、司馬懿から感謝された。【正史】審配に殺されたのは兄・辛評の家族。五丈原の戦いに大将軍軍師として参戦し、司馬懿が諸葛亮との決戦を望んでも許さず、司馬懿はその指示を守った。
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【三国志13】諸葛瑾 の武将能力値紹介

諸葛瑾(ショカツキン) 統率75 武力34 知力81 政治89 呉の官僚。諸葛恪、喬の父。諸葛亮、均の兄。【演義】魯粛の推薦で孫権に仕える。赤壁の戦いの前、諸葛亮が劉備と孫権の同盟を結ぶため来訪した時、諸葛亮と再会し、孫権に仕えるよう勧めた。以後、荊州の領有などを巡って、孫権の使者として劉備や関羽との交渉に当たる。夷陵の戦いの直後、曹丕が呉を攻めた際、曹真と夏侯尚の軍勢を陸遜と共に撃退。後に諸葛亮が五丈原に出陣したのに呼応して襄陽を攻めるが、曹叡に敗れた。【正史】諸葛亮とは公の場では会っても、個人的に会うことは避けた。孫権とは生死を越えた信頼関係で結ばれた。
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【三国志13】荀諶 の武将能力値紹介

荀諶(ジュンシン) 統率34 武力25 知力78 政治78 冀州牧・韓馥の幕僚。後に袁紹に仕える。荀彧の弟。【演義】公孫瓚が冀州に来襲するという報せを受けた韓馥が袁紹を招こうとした際、辛評と共に善後策を練った。その後、冀州に入った袁紹にそのまま仕える。官渡の戦いの直前、袁紹が幕僚たちに曹操と戦うべきか否かを問うた時、交戦を支持し、袁紹は曹操との戦いを決断した。【正史】最初から袁紹の幕僚。冀州を袁紹に譲るよう、韓馥を説得した。「魏書」では荀彧の弟とあるが、「荀氏家伝」では荀彧の兄とされている。
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【三国志13】周旨 の武将能力値紹介

周旨(シュウシ) 統率65 武力85 知力41 政治29 晋の武将。【演義】279年、晋が呉討伐戦を起こすと、杜預の指揮下で参戦。江陵の戦いでは水軍8百を率いて巴山に伏兵し、杜預に敗れて落ち延びてきた孫歆を討ち取った。続いて迎撃してきた張悌、沈瑩、諸葛靚の軍とも戦い、乱戦の中、沈瑩を討ち取って晋軍の勝利に貢献した。【正史】正史「三国志」には記述がないが、「晋書」に演義とほぼ同内容の記述がある。魏の牙門将で、同僚の管定、伍巣らと奇兵8百を率いて、夜に船で長江を渡り、楽郷を襲撃。巴山に火を起こし、呉軍を驚かせた。
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【三国志13】施朔 の武将能力値紹介

施朔(シサク) 統率38 武力65 知力47 政治21 呉の武衛士。【演義】実権を握っていた孫綝が武昌に駐屯した際、魏邈と共に「孫綝に謀反の動きがある」と呉帝・孫休に奏上した。丁奉の計画で張布が孫綝を討った後、丁奉、魏邈と協力して孫綝の弟たちを捕らえた。【正史】孫綝が武昌に駐屯したいと願い出た時、孫綝が謀反を企てている証拠をつかんだと孫休に報告した。
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【三国志13】公輸般 の武将能力値紹介

公輸般(コウシュハン) 統率73 武力20 知力87 政治85 春秋末期の魯国の人。魯般とも呼ばれる。後世、「大工の神」「工聖」とされる伝説的な工匠。機械を作るのに巧みで、木と竹で作った鳥が3日も飛び続けたという。楚に居る際に「雲梯」と呼ばれる攻城兵器を作ると、楚王は雲梯を使って宋国を攻めようとした。この話を聞いた墨子は楚に出向いて公輸般に机上での戦いを挑み、公輸般の攻めをことごとく撃退してみせた。感嘆した楚王は、宋国を攻めないことを墨子に誓った。この故事から「輸攻墨守[シュコウボクシュ]」という四字熟語が生まれた。
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【三国志13】丘力居 の武将能力値紹介

丘力居(キュウリキキョ) 統率80 武力68 知力56 政治55 烏丸の首領。楼班の父。蹋頓は従子。【演義】記述なし。【正史】遼西の5千余の集落を配下に置き、王を自称した。中山太守・張純が「弥天将軍・安定王」を自称して漢王朝に対して反乱すると、これと手を組み、幽州、冀州、青州、徐州の四つの州を荒らしまわる。幽州牧・劉虞が赴任して懐柔策を示すと、張純らを見限り恭順した。初平年間に丘力居は死亡したが、子の楼班が年少のため、従子の蹋頓が後を継いだ。
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【三国志13】胡軫 の武将能力値紹介

胡軫(コシン) 統率65 武力74 知力12 政治15 董卓の武将。【演義】袁紹を盟主とする反董卓連合が来襲すると、華雄の副将となって汜水関を守る。連合軍の先鋒・孫堅と交戦中、程普に討ち取られた。【正史】陳郡太守。孫堅が陽人に進出すると、呂布と共に迎撃に向かう。しかし、呂布や諸将の反感を買って味方に偽情報を流され、満足に戦わないうちに敗走した。孫堅軍との戦いで討死したという描写はない。
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【三国志13】公孫瓚 の武将能力値紹介

公孫瓚(コウソンサン) 統率81 武力80 知力71 政治53 盧植門下で劉備の兄弟子。白馬義従と呼ばれる精鋭騎兵を率いて異民族を討伐し、「白馬将軍」の異名を取る。【演義】北平太守。曹操の呼びかけに応じ、劉備を伴って反董卓連合に加わるが、虎牢関の戦いで呂布に敗れた。連合解散後、袁紹と冀州を巡って争い界橋の戦いに臨む。劣勢だったが趙雲や劉備の協力を得て挽回し、董卓の仲裁で講和した。袁紹との戦いが再開すると次第に追いつめられ、易京に籠もって抗戦するが、力尽き自害した。【正史】董卓討伐軍には加わっていない。袁術と結んで袁紹と対抗し、袁紹派の幽州牧・劉虞を討った。
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【三国志13】厳輿 の武将能力値紹介

厳輿(ゲンヨ) 統率61 武力78 知力44 政治20 「東呉の徳王」を自称する厳白虎の弟。【演義】孫策が江東に進出した際に、厳白虎の先鋒として楓橋[フウキョウ]で迎撃し、程普、蒋欽、陳武に敗れる。かなわずと見て和睦を決めた厳白虎の使者となって孫策と面会。厳白虎と孫策で江東を共同統治する案を出し、孫策の怒りを買って斬り殺された。【正史】武勇と敏捷な身のこなしで知られていた。和睦の前に抗戦した記述はない。和睦の席上、孫策に手戟で討たれ、その報せを聞いた厳白虎は恐れおののいた。
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