三国志13

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【三国志13】邵悌 の武将能力値紹介

邵悌(ショウテイ) 統率21 武力15 知力72 政治66 魏の官僚。【演義】263年、司馬昭が鍾会に蜀討伐戦を命じた際、「鍾会は野心家だから兵権を委ねるべきではない」と進言。鍾会と鄧艾が蜀を滅ぼした後、鄧艾に謀反の疑いがあると鍾会が上奏し、司馬昭が鄧艾逮捕の軍を起こすと、「鍾会に鄧艾逮捕を命じればよい」と進言する。司馬昭が「以前は鍾会が危険だと言ったではないか。今回の出兵は鍾会を討伐するためだ」と言うと、「以前の進言をお忘れかと思い、わざと言ったのです」と答えた。【正史】「以前の進言をお忘れかと云々」の記述はない。
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【三国志13】楊氏 の武将能力値紹介

楊氏(ヨウシ) 統率31 武力24 知力42 政治68 馬超の妻。【演義】渭水の戦いで曹操に敗れ、再起を図ろうとしていた馬超が涼州の冀城を占領すると、共に入城した。降伏させた楊阜、趙昂らが挙兵し、馬超がその鎮圧に向かっている間に、梁寛と趙衢[チョウク]に捕らえられ、帰城した馬超の目の前で三人の子と共に殺された。【正史】冀城に入城後、趙昂の妻・王異を信頼し、終日語り合う仲となる。これは夫の挙兵を助けようとする王異の策で、趙昂らが馬超に疑われずに挙兵の準備をするための足がかりとされた。
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【三国志13】卑弥呼 の武将能力値紹介

卑弥呼(ヒミコ) 統率93 武力32 知力91 政治57 倭国の女王。出自は不明。倭国の内乱に際して王に立てられ、邪馬台国を本拠として周辺の国々を治めた。魏に朝貢の使者を送り、皇帝の曹叡より金印を授けられて親魏倭王の封号を得た。夫は持たず、即位してからは誰にも姿を見せなかったという。鬼道を用いて民衆を導き、国政は弟が補佐した。倭国内での権勢は並々ならず、卑弥呼の死後は巨大な墳墓が築かれたとされる。
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【三国志13】樊氏 の武将能力値紹介

樊氏(ハンシ) 統率23 武力22 知力73 政治69 桂陽太守・趙範の兄嫁。美人。【演義】劉備の命を受けた趙雲が桂陽に進攻すると、趙範は趙雲に降伏。両者は義兄弟の誓いを立てる。その際、趙範は趙雲に、未亡人で美貌の兄嫁・樊氏を妻にするよう勧める。しかし、趙雲は劉備軍の風評に傷が付くことを危惧し、義兄弟の兄嫁を妻に迎えることを拒む。後に劉備が改めて趙雲と樊氏の仲を取り持とうとするが、趙雲は承知せず、劉備から「男の中の男だ」と称賛された。【正史】趙雲は趙範が劉備に心服していないことを危ぶんで縁談を断った。後に趙雲の予想通り、趙範は逃亡した。
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【三国志13】鮑信 の武将能力値紹介

鮑信(ホウシン) 統率77 武力67 知力81 政治73 後漢の済北の相。【演義】董卓が政権を握り非道な政治を行うと、袁紹や王允に董卓打倒を進言した。曹操が董卓打倒の号令を発すると、反董卓連合に参加。反董卓連合が解散した後、曹操と共に青州の黄巾賊を討伐中、寿陽で戦死した。【正史】反董卓連合に参加した時、他の諸侯が袁紹になびく中、曹操を英雄視し、親交を結んだ。192年、青州の黄巾賊との戦いで戦死した兗州刺史・劉岱の後任に曹操を迎える。しかし、戦場視察中に黄巾賊と白兵戦となり、曹操を救って自らは戦死した。
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【三国志13】費耀 の武将能力値紹介

費耀(ヒヨウ) 統率70 武力66 知力73 政治62 魏の武将。正史では費曜。【演義】228年、諸葛亮が第2次北伐で陳倉に攻め寄せると曹真の指揮下で要害を固める。そこへ蜀に寝返った姜維から魏に内応するという密書が届き、姜維を信じた曹真に代わって出陣。姜維の策略にはまって包囲され、降伏を拒み、自害した。【正史】220年、酒泉で張進が反乱を起こすと、張既、夏侯儒と共に鎮圧した。228年、陳倉で諸葛亮の攻撃を防ぎきる。231年、諸葛亮が祁山[キザン]に出陣すると、司馬懿の指揮下で張郃、戴陵、郭淮と共に参戦し敗退した。
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【三国志13】馬遵 の武将能力値紹介

馬遵(バジュン) 統率38 武力52 知力31 政治51 魏の天水太守。【演義】227年、諸葛亮率いる蜀の北伐軍が来襲すると、姜維の計略を用いて蜀軍を撃退する。しかし、諸葛亮の計略で姜維が蜀軍に降伏すると抵抗しきれず、夏侯楙と共に羌族の下へ逃れた。【正史】姜維、梁緒、尹賞、梁虔らと領内を巡察中に、諸葛亮の北伐軍来襲の報を受ける。近隣の諸郡が蜀軍に呼応したと聞いて、姜維らも信じられなくなり、夜半に単独で逃亡。姜維らが追ってきても城門を閉ざしたため、行き場を失った姜維らは蜀軍に降伏した。
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【三国志13】張良 の武将能力値紹介

張良(チョウリョウ) 統率71 武力40 知力100 政治95 漢三傑の1人、軍師。留侯。父祖代々韓の宰相の家柄。祖国・韓を滅ぼした秦への復讐のため、博浪沙で始皇帝暗殺を謀るが失敗。潜伏先の下邳で謎の老人・黄石公に出会い、太公望の兵法書を授けられる。やがて陳勝・呉広の乱が起こると、一軍を率いて参加し、劉邦と出会った。秦打倒後、項羽と劉邦の争いになると、その卓越した戦略手腕で項羽を追い詰め、漢の天下統一を実現させる。その才は「謀を帷幄[イアク]の中にめぐらし、勝を千里の外に決す」と絶賛された。また、容貌は美女と見間違うばかりだったと史記に記されている。
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【三国志13】孫震 の武将能力値紹介

孫震(ソンシン) 統率67 武力70 知力48 政治44 呉の武将。孫賁の孫。孫鄰の子。孫述の弟。孫歆の兄。【演義】記述なし。【正史】無難の督となる。晋が呉討伐戦を起こすと、張悌、沈瑩、諸葛靚と共に迎撃に当たり、版橋で張喬を包囲して降伏させる。しかし、張翰[チョウカン]、周浚と交戦中に、沈瑩の部隊が薛勝、蒋班、張喬の攻撃を受けて壊滅したため、総崩れとなり敗北。捕らえられて王渾に斬られた。
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【三国志13】謝旌 の武将能力値紹介

謝旌(シャセイ) 統率64 武力76 知力34 政治33 呉の武将。【演義】関羽の復讐のため、劉備が宜都[ギト]に攻め込んだ際、孫桓に従って迎撃。張苞と30余合渡り合うが、かなわず敗走する。翌日、孫桓を守るために張苞の前に立ちふさがり、ひと突きで討たれた。【正史】陸遜が関羽を破って荊州を制圧した後、李異と共に3千の兵を率いて蜀軍を攻撃。詹晏[センアン]、鄧輔、郭睦らを破り、陳鳳を捕らえた。さらに、陸遜の指揮下で文布、鄧凱を撃破した。荊州に攻め寄せた劉備と交戦したという記述はない。
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