三国志13

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【三国志13】趙雍 の武将能力値紹介

趙雍(チョウヨウ) 統率84 武力73 知力81 政治81 戦国時代の趙の君主。趙の武霊王。粛侯の子。群臣の反対を押し切って、北方異民族から「胡服騎射」を取り入れ、軍事力を強化。中山国を滅ぼし、林胡、楼煩[ロウハン]などの異民族を制して北方に一大強国を築いた。太子であった公子・章を廃して、寵愛する孟姚[モウヨウ]が生んだ公子・何に王位を譲る(趙の恵文王)。しかし、譲位後も「主父」と自称し、実権を握り続けた。廃嫡後、代に封ぜられた公子・章は、恵文王を殺して王位を奪おうとするが失敗、父の宮殿に逃げ込む。公子・章をかくまった趙雍は、恵文王の軍に包囲されて餓死した。
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【三国志13】韓信 の武将能力値紹介

韓信(カンシン) 統率100 武力73 知力93 政治73 漢三傑の1人、大元帥。楚王。淮陰侯。淮陰の貧家の出自で、若い頃はよく周囲から馬鹿にされていた。陳勝・呉広の乱が起こると、項梁・項羽の軍に参加するが、進言が聞き入れられないため脱走。漢中に左遷されていた劉邦軍に仕官し、蕭何[ショウカ]に見出されて「国士無双」と評される。やがて劉邦から大元帥を拝命すると、別働隊を預かり、項羽に味方する魏、殷[イン]、趙、代、燕、斉を平定。垓下[ガイカ]の戦いで項羽を破って漢の天下統一を成し遂げる。だが統一後は、その実力を劉邦に恐れられ、謀反の罪で処刑された。
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【三国志13】曹霖 の武将能力値紹介

曹霖(ソウリン) 統率46 武力50 知力48 政治44 魏の皇族。曹丕の子。曹叡の弟。曹髦の父。【演義】曹髦が帝に即位する際、その父として言及された。【正史】曹丕によって河東王、次いで館陶王に封じられた。性格は粗暴を極め、侍女や使用人に乱暴を働き、殺害に至ったこともあったとされる。のち曹叡によって東海王に封じられた。
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【三国志13】甯随 の武将能力値紹介

甯随(ネイズイ) 統率67 武力72 知力72 政治44 蜀の武将。【演義】姜維の副将。263年、鍾会と鄧艾が蜀討伐戦を起こした際は姜維と共に沓中で屯田していた。救援に駆けつけようとした姜維が諸葛緒に退路を断たれた時、雍州を攻撃する振りをして諸葛緒の注意をそらし、その間に剣閣へ向かう策を進言した。【正史】記述なし。
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【三国志13】孫魯班 の武将能力値紹介

孫魯班(ソンロハン) 統率56 武力58 知力73 政治64 孫権の長女。母は歩氏。孫魯育(朱公主)の実姉。全琮に嫁ぎ、全公主と呼ばれる。【演義】孫権の後継者争いに介入し、孫権に孫和の悪評を流して、孫和を遠ざけさせた。【正史】周瑜の長子・周循に嫁ぎ、周循が若死にすると全琮に嫁いだ。孫和と孫覇が孫権の後継を争っていた頃、孫和の母・王氏と対立し、悪評を流して孫和を失脚させる。孫権の死後、密通の相手だった孫峻を動かし、孫和を自害させた。孫亮とは親密で、後に孫亮の孫綝討伐計画に荷担するが、計画が漏れ、豫章郡に流された。
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【三国志13】卓膺 の武将能力値紹介

卓膺(タクヨウ) 統率63 武力62 知力38 政治45 蜀の武将。【演義】成都が劉備の攻略を受けると、劉璋の配下として登場し、張翼と共に張任の救援に向かった。張任が敵の罠にかかって捕縛されると、劉璋軍は総崩れとなり、趙雲に降伏。そのまま劉備陣営に加わり、黄忠の配下となって成都の攻略に戦功をあげた。【正史】劉璋の配下であったという記述はない。黄忠と共に劉備の入蜀へ貢献している。
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【三国志13】唐咨 の武将能力値紹介

唐咨(トウシ) 統率61 武力71 知力50 政治52 呉の武将。【演義】257年、魏の諸葛誕が反乱を起こすと、孫綝の命を受けて援軍に向かうが、魏軍に包囲され降伏。呉に残した家族は孫綝に殺害される。263年、鍾会が蜀に進攻する際、登州と莱州(東莱郡)で艦船の調達に当たった。【正史】魏の利城郡で郡民が反乱を起こした時、首謀者となる。しかし、曹丕の討伐軍に敗れ、呉に逃亡。左将軍まで昇進した。257年、魏で反乱を起こした諸葛誕の救援に駆けつけるが魏軍に捕らえられ、司馬昭から安遠将軍に任ぜられる。呉に残された家族は無事だった。
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【三国志13】管統 の武将能力値紹介

管統(カントウ) 統率65 武力69 知力27 政治28 袁譚の武将。【演義】記述なし。【正史】袁譚が袁尚と仲違いし反乱が相次いだ時、管統は妻子を顧みず袁譚に付き従った。内乱の隙を曹操に突かれ袁譚は戦死し、多くの将が降伏する中、楽安太守に任じられていた管統は抵抗を続けた。その後、先に曹操に降っていた王脩の計らいにより、曹操の元に出頭。その忠心を曹操に買われて罪を免じられた。
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【三国志13】陳泰 の武将能力値紹介

陳泰(チンタイ) 統率84 武力77 知力86 政治78 魏の重臣・陳羣の子。母は荀彧の娘。【演義】郭淮と共に、魏に造反した夏侯覇を撃退。以後、相次ぐ姜維の北伐軍と戦う。狄道[テキドウ]の戦いで王経の窮地を救った鄧艾を高く評価し、「忘年の交わり(年齢差を越えた交わり)」を結んだ。司馬昭の腹心・賈充の策謀で皇帝・曹髦が暗殺されると、魏臣の中でただ1人、司馬昭の招集を拒否。荀顗が迎えに来ると「叔父上は私以下の人間になられた」と嘆き、司馬昭に「賈充を斬らねば天下に示しがつかない」と言い切った。【正史】軍勢を統率し功績を立てる力は父以上と評される。
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【三国志13】徹里吉 の武将能力値紹介

徹里吉(テツリキツ) 統率83 武力67 知力52 政治63 西羌の王。【演義】曹操の時代より、毎年朝貢していた。郭淮の献策を容れた魏の大将軍・曹真の要請を受けて、越吉、雅丹の率いる鉄車兵を援軍として西平関に派遣する。しかし、西羌軍は諸葛亮の陥穽の計の前に大敗した。【正史】記述なし。
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