三国志13

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【三国志13】万彧 の武将能力値紹介

万彧(バンイク) 統率21 武力25 知力71 政治65 呉の官僚。【演義】264年、孫休が病没すると、嫡男の孫吒[ソンワン]が年少であることを理由に、孫晧を即位させるよう主張。孫晧即位後に丞相となるが、孫晧の暴政をいましめて怒りを買い、殺された。【正史】烏程の役人だった頃、孫晧と親しくなる。孫晧即位後は右丞相となり、巴丘を守備。271年、孫晧が民衆に多大な犠牲を強いて各地を巡幸した際、丁奉、留平と都への帰還を相談。孫晧の怒りを買い、毒酒を飲まされそうになって、自害した。
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【三国志13】張済 の武将能力値紹介

張済(チョウセイ) 統率70 武力66 知力55 政治53 董卓の武将。張繍の叔父。妻は鄒氏。【演義】董卓が王允と呂布に討たれると、李傕、郭汜、樊稠と共に長安を占拠し、王允を討って献帝を擁立。驃騎将軍となり、弘農に駐屯する。馬騰と韓遂が攻め寄せると樊稠と共に迎撃して追い払った。195年、李傕と郭汜が争うようになると、長安に赴いて調停に当たり、献帝を長安から脱出させた。翌年、南陽を攻撃中に流れ矢に当たって死亡。残存勢力は甥の張繍が率いることになる。【正史】長安に駐屯後、兵糧が尽きたため南陽に移る。穰[ジョウ]を攻撃中に流れ矢に当たって死亡した。
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【三国志13】朱治 の武将能力値紹介

朱治(シュチ) 統率71 武力56 知力72 政治73 呉の武将。姉の子・朱然を養子とする。【演義】孫堅の代から仕える。孫堅の死後、袁術の保護下にあった孫策に、江東に進出して自立するように勧めた。孫策が呉郡を制圧すると、呉郡太守に就任。赤壁の戦いでは呂範と共に四方巡警使を務めた。【正史】202年、孫権の代に呉郡太守となり、山越や黄巾賊の残党の陳敗、万秉[バンペイ]らを平定した。223年、安国将軍となる。孫権が呉王となった後も、朱治が目通りに来ると孫権自ら迎えに出るほど厚遇された。また感情のままに振る舞いがちな孫翊をよくいさめた。
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【三国志13】公孫恭 の武将能力値紹介

公孫恭(コウソンキョウ) 統率39 武力17 知力69 政治61 公孫度の子。公孫康の弟。公孫淵の叔父。【演義】曹操に敗北した袁尚と袁煕が公孫康を頼った際、2人の首を斬って曹操に届けるよう公孫康に勧めた。公孫康が死んだ時、公孫康の長男・公孫晃が幼かったため、代わりに遼東太守となる。曹丕が即位すると車騎将軍に任ぜられるが、228年、公孫晃の弟・公孫淵に位を奪われた。【正史】国を治める能力には欠けていた。公孫晃のために官位を得て、洛陽に住まわせていた。
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【三国志13】何植 の武将能力値紹介

何植(カショク) 統率15 武力24 知力26 政治27 呉の司徒。孫和の側室・何氏の弟。孫皓の叔父。【演義】279年、晋が呉討伐戦を起こすと、孫皓に召され対策を問われるが、何も答えられなかった。【正史】孫皓が即位すると政権を意のままに操り、姉の何氏ともども、民衆から憎まれた。晋の大軍が迫った時、孫皓から書状で対抗策を問われている。呉が滅亡すると共に晋へ降伏した。
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【三国志13】馬良 の武将能力値紹介

馬良(バリョウ) 統率53 武力23 知力88 政治91 蜀の幕僚。馬謖の兄。眉が白く、「白眉」と称される。【演義】劉備が南荊州を攻略した後、伊籍の推薦で劉備に仕える。諸葛亮が蜀に移ると、荊州を守る関羽の補佐を命じられる。関羽の襄陽進攻に従軍し、負傷した関羽が華佗の治療を受けた時は、碁の相手を務めた。荊州が呉の呂蒙に奪われると、伊籍と共に援軍を求めに成都に向かうが、その間に関羽は敗死する。夷陵の戦いでは劉備に従い、敗北。諸葛亮の南蛮征伐の最中に死亡した。【正史】諸葛亮と親しく、兄事した。夷陵の戦いで、武陵の異民族に協力を取り付けるなど活躍するが、戦死した。
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【三国志13】張任 の武将能力値紹介

張任(チョウジン) 統率83 武力80 知力78 政治59 劉璋の武将。【演義】劉璋が劉備を蜀に入れ張魯を防がせようとすると、反対するが聞き入れられなかった。劉璋が開いた劉備歓迎の宴では、剣舞の振りで劉璋を斬ろうとする魏延を阻止する。劉備が劉璋への攻撃を始めると、劉璝、冷苞、鄧賢らと雒城[ラクジョウ]で迎撃。落鳳坡で龐統を射殺するなど劉備軍を苦しめた。最後は、諸葛亮の計略によって金雁橋で捕らえられ、降伏を拒んで刑死した。【正史】劉備の侵攻を1年近く食い止めるが雁橋で捕らえられ、「老臣は二主に仕えず」と言い放ち、斬られた。
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【三国志13】朱然 の武将能力値紹介

朱然(シュゼン) 統率79 武力69 知力71 政治60 呉の武将。元の名は施然。朱治の養子となる。【演義】呂蒙が荊州の関羽を攻めた際、従軍した。関羽の復讐のために劉備が荊州に来襲すると、孫桓と共に迎撃するが、蜀の呉班の計略によって副将の崔禹[サイウ]を討たれ、一時的に退却。新たに迎撃の指揮を執った陸遜の命で火攻めを仕掛け、敗走する劉備を追撃する。しかし、行く手を遮った趙雲にひと突きで討たれた。【正史】夷陵の戦いの後も、魏の夏侯尚を撃退するなど江陵を守った。孫権とは共に勉学した仲で、陸遜の死後、呉の重鎮となり、左大司馬、右軍師まで昇進した。
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【三国志13】公孫淵 の武将能力値紹介

公孫淵(コウソンエン) 統率65 武力70 知力60 政治35 公孫康の次男。公孫恭の甥。公孫晃の弟。公孫脩の父。【演義】父の後を継いだ公孫恭の位を奪い、曹叡から揚烈将軍、遼東太守に任ぜられる。呉帝・孫権からも燕王に封ぜられるが、使者の張弥[チョウビ]と許宴を殺害し、首を曹叡に送る。その後、与えられた大司馬の位に不満を持ち、結局自ら燕王を自称。賈範や倫直の忠告を無視して挙兵するが、司馬懿に大敗する。降伏を願い出るが拒否され、公孫脩と共に逃走を図るも、捕らえられ殺された。【正史】燕王を自称後、毌丘倹率いる最初の討伐軍は撃退している。公孫淵の滅亡後、倭は魏に遣使する。
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【三国志13】賈充 の武将能力値紹介

賈充(カジュウ) 統率54 武力31 知力89 政治85 賈逵の子。晋の恵帝の后・賈南風の父。司馬昭の腹心。【演義】司馬昭の政権掌握のために暗躍し、反抗的な諸葛誕らを討伐。魏帝・曹髦の司馬昭暗殺計画を察知して、成済に曹髦を討たせた。司馬昭が後継者選びに悩んだ際は司馬炎を推挙し、司馬昭の死後、晋王となった司馬炎に帝位を奪う決意をさせた。羊祜や杜預が呉討伐作戦を奏上した時は反対する。孫皓が降伏すると残虐な行いをなじるが、逆に曹髦を暗殺したことを指摘され、恥じた。【正史】晋では侍中、司空、尚書令などを歴任し、晋律の制定に当たる。晋建国最大の功臣として太宰まで昇った。
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