三国志13

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【三国志13】劉琮 の武将能力値紹介

劉琮(リュウソウ) 統率24 武力22 知力65 政治65 荊州刺史・劉表の次男。劉琦の弟。【演義】母は蔡氏。聡明さを劉表に愛された。劉表が死ぬと、蔡瑁と蔡氏がでっち上げた遺言により、後継者となる。しかし、後継の座を奪われた劉琦や劉備の攻撃を恐れ、傅巽らの策を入れて曹操に降伏。曹操が荊州に入った後、青州刺史に任ぜられる。赴任の途上、于禁に襲撃され、蔡氏と共に殺された。【正史】曹操に降伏後、青州刺史に任ぜられ、のち諫議大夫、参同軍事となる。劉琮は蔡氏の姪を妻にしていたので、劉表の後妻・蔡氏は劉琮を愛し劉琦を嫌った。
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【三国志13】鄧芝 の武将能力値紹介

鄧芝(トウシ) 統率73 武力52 知力81 政治85 蜀の官僚。漢の司徒・鄧禹[トウウ]の末孫。【演義】劉璋の配下。劉璋が劉備に降ると、劉備に従い尚書となる。劉備の死後、諸葛亮から呉との親善の使者に推され、孫権と面会。煮えたぎった大釜で脅かそうとする孫権を論破し、講和を締結した。諸葛亮の第1次北伐では趙雲を補佐。その後も北伐に参戦した。【正史】後漢末、益州に移り、龐羲に仕えた。劉備が益州を平定すると、広漢太守、尚書を歴任。呉との講和で孫権から高く評価され、その後も安否を気遣われた。諸葛亮の死後は車騎将軍に就任。姜維を高く評価していた。
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【三国志13】駱統 の武将能力値紹介

駱統(ラクトウ) 統率76 武力58 知力75 政治77 孫権の武将。陳国の相・駱俊の子。【演義】孫策の死後、孫権に招かれた。208年、諸葛亮が孫権と同盟を結ぶため呉を訪れた時、張昭らと共に諸葛亮を論破しようとするが、黄蓋に阻まれた。【正史】父が袁術に討たれ、母が華歆の側室になると、母と別れて会稽に戻った。212年、会稽太守の孫権に登用され烏程の相となり、行き届いた統治を住民から称賛された。凌統が死ぬと凌統配下の兵を指揮下に加える。夷陵の戦いでは陸遜の指揮下で功績を上げ、偏将軍に就任。直後、濡須に攻め寄せた曹仁も破り、濡須の督となる。
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【三国志13】陳武 の武将能力値紹介

陳武(チンブ) 統率72 武力84 知力44 政治41 呉の武将。陳脩、陳表の父。【演義】顔は黄色、目は赤で容貌怪異。孫策が江東に進出した際に登用され、劉繇配下の張英を討った。その後、赤壁の戦い、南郡攻略戦に参加。劉備と孫尚香が荊州に帰還した際、潘璋らと共に連れ戻そうとするが、孫尚香に一喝されて退いた。215年、濡須口で曹操軍と戦い、龐徳と激しく戦うが、上着が木にからまって身動きが取れなくなったところを討ち取られた。【正史】廬江の精鋭を指揮し、向かう所敵なしと称される。合肥攻撃中に戦死し、愛妾も孫権の命で殉死した。
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【三国志13】雷薄 の武将能力値紹介

雷薄(ライハク) 統率62 武力70 知力36 政治11 袁術の武将。【演義】紀霊率いる劉備討伐軍に参加するが、呂布に仲裁され兵を退く。その直後の呂布討伐戦では第4軍を率いて参加。味方の楊奉、韓暹が呂布に寝返り、大敗した。その後、袁術の贅沢ぶりに見切りを付け、陳蘭と共に嵩山[スウザン]に籠もる。袁紹を頼った袁術が劉備に敗退すると、袁術軍を襲撃して、金品を奪い取った。【正史】曹操に大敗した袁術が頼ってきた際、陳蘭と共に受け入れを拒んだ。そこで袁術は袁紹に帝位を譲り、青州の袁譚を頼ろうとするが、その途上で死んだ。
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【三国志13】張南 の武将能力値紹介

張南(チョウナン) 統率57 武力71 知力46 政治34 袁煕の武将。【演義】曹操が袁譚を滅ぼすと、同僚の焦触と共に曹操に降り、幽州に逃れた袁煕と袁尚を攻めた。その後、曹操の荊州侵攻に従軍。長坂坡の戦いでは劉禅を抱いて逃げる趙雲を阻もうとするが、突破される。直後、赤壁の戦いの緒戦で曹操に先鋒を願い出て、焦触と共に孫権軍に挑み、呉の周泰に斬り倒された。【正史】袁譚が曹操に攻められ滅亡すると、寝返って袁煕と袁尚を攻め、幽州に追い払った。その後の記述はない。
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【三国志13】楊弘 の武将能力値紹介

楊弘(ヨウコウ) 統率33 武力15 知力77 政治60 袁術の幕僚。演義では楊大将。【演義】袁術が独立を宣言した孫策を討とうした時、先に劉備を討つよう進言。その際、呂布を味方に引き入れるため、食糧を送ることを献策する。しかし、袁術は呂布を手なずけようとせず、劉備に敗れた。その後、曹操が領内に侵攻すると、淮水を渡って逃げるよう袁術に勧め、自らも同行した。【正史】袁術が死ぬと、張勳らと共に孫策を頼る。しかし、その途上で劉勳に待ち伏せされ、捕虜となった。
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【三国志13】張既 の武将能力値紹介

張既(チョウキ) 統率74 武力35 知力76 政治88 魏の官僚。【演義】渭水の戦いで曹操が馬超を討伐した後、夏侯淵の推挙で京兆尹となり、夏侯淵と共に長安を守った。【正史】曹操が司空になると召還された。袁尚軍との戦いでは鍾繇の命で馬騰を説得し、馬超らに郭援を討たせた。曹操が荊州攻略に動き出すと、後顧の憂いを絶つために馬騰に出仕を促して馬超に軍勢を統率させる。馬超が反乱を起こすと、曹操に従い鎮圧に当たった。魏建国後は尚書、雍州刺史となり、張魯討伐、劉備との漢中攻防戦に参加する。曹丕即位後は異民族の反乱平定に奔走した。
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【三国志13】羊祜 の武将能力値紹介

羊祜(ヨウコ) 統率90 武力64 知力84 政治87 晋の武将。姉は司馬師の妻。妻は夏侯覇の娘。【演義】呉の陸抗と対抗し、襄陽に駐屯。互いの才覚を認め合い、陸抗が病気になると薬を送った。陸抗が孫皓に晋への内通を疑われ左遷されると、呉を討つ好機と上表。しかし、賈充らに反対され、出兵は見送られる。間もなく病気になり、杜預を後任に推薦して死亡。領民はその死を嘆いて廟を建て、後に「堕涙の碑」と呼ばれた。【正史】272年、晋に投降した歩闡を救うため西陵を救援したが、陸抗に阻まれた。呉討伐のため、王濬に軍船の建造を命令。船は杜預が呉を討伐した際に使用された。
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【三国志13】孫韶 の武将能力値紹介

孫韶(ソンショウ) 統率77 武力76 知力77 政治67 呉の武将。孫河(兪河。孫策から孫姓を得る)の甥。【演義】孫権が兪家からもらった養子。224年、曹丕が呉に侵攻すると、徐盛に従って迎撃する。しかし、命令に従おうとしなかったため徐盛に処刑されそうになり、孫権の取りなしで助かる。徐盛の交戦中に単独で魏軍を奇襲して曹丕の水軍を壊滅させ、徐盛に次ぐ功績を得た。【正史】17歳で孫河の兵を受け継ぎ、京城を守った。孫権が帝位に即くと、鎮北将軍として魏に備え、数十年間、国境を守る。斥候を巧みに使って敵の動静をつかみ、ほとんど敗戦しなかった。後に幽州牧となる。
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