三国志13

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【三国志13】傅士仁 の武将能力値紹介

傅士仁(フシジン) 統率46 武力63 知力37 政治24 関羽の武将。士仁とも。【演義】関羽と共に荊州を守る。関羽が襄陽進攻を準備している最中、失火で物資を損なった。処罰を受けた後、公安の守備に残され、関羽を恨む。やがて呉軍に荊州を落とされると、虞翻の説得を受けて戦わずに降伏し、僚友の糜芳も投降させた。その後、関羽の仇討ちのため、劉備が荊州に侵攻してくると、関羽を捕らえた馬忠の首を持って糜芳と共に劉備の陣へ戻るが許されず、関興に斬られた。【正史】日頃から関羽と仲が悪かった。
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【三国志13】馬鈞 の武将能力値紹介

馬鈞(バキン) 統率22 武力17 知力71 政治60 魏の科学者。馬均とも。【演義】魏帝・曹叡の命で、宮殿造営の監督を務める。不老不死を願う曹叡の求めに応じ、前漢の武帝が長安に築いた承露盤を洛陽に運ばせる。その際、烈風が起きて柱が倒れ、多くの犠牲者が出た。【正史】若い時は遊び暮らしていたが、生活に苦しくなり織機を改良。発明の才能を開花させる。魏に仕えてからも様々な発明をし、曹叡に指南車、水車、機械仕掛けの人形などを献上した。投石車の改良などにも着手。晋の傅玄から「天下に名高い器用者」と評された。
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【三国志13】孫賁 の武将能力値紹介

孫賁(ソンフン) 統率56 武力62 知力42 政治23 孫堅の武将。孫堅の甥。【演義】記述なし。【正史】後漢に役人として仕えたが、孫堅が長沙で義勇の挙兵を行うと、これに参じる。孫堅の死後は、袁術に仕えて袁紹と戦うなど、各地を転戦した。孫堅の子である孫策が江東に勢力を広げると、孫策と協力して劉繇を撃破、駆逐したという。以降、袁術が皇帝を僭称したのちもその旗の下には戻らず、黄祖を討つなど孫策の陣営として活躍し続けた。後年、後漢の征虜将軍に任じられている。
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【三国志13】貂蝉 の武将能力値紹介

貂蝉(チョウセン) 統率20 武力26 知力81 政治65 後漢の司徒・王允に仕える歌姫。歌舞に優れる美女。【演義】16歳の時、王允が画策する「連環の計」に協力。董卓と呂布の前で歌舞を披露して両者の心を奪う。董卓の屋敷に連れ込まれるが、呂布に董卓殺害をうながし、ついに呂布に董卓を討たせた。その後、呂布の側室となる。呂布が下邳で曹操に包囲され、陳宮が呂布に出陣を要請した時、正妻の厳氏と共に呂布の出陣を引き留めた。呂布が敗死すると、その家族と共に許昌に送られた。【正史】記述なし。董卓殺害前、呂布は董卓の侍女と密通していた。この侍女が貂蝉の原型ともいわれている。
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【三国志13】范増 の武将能力値紹介

范増(ハンゾウ) 統率67 武力24 知力93 政治80 項羽の軍師。楚の歴陽侯。秦討伐戦の中、齢70にして項梁に仕え、楚王の遺児を推戴して人望を得ることを進言した。項梁死後は項羽を支え、「亜父」と尊称される。早くから劉邦の危険性に気づき、秦滅亡時には「鴻門の会」で劉邦暗殺を企むも失敗。項羽の決断の甘さを嘆いた。やがて項羽と劉邦の争いが激化すると、漢の陳平の離間の計にかかり、項羽に疎まれる。項羽と決別して故郷に戻ろうとするが、背中に腫瘍ができ、失意のうちに没した。真実を知った項羽は范増を疑ったことをひどく後悔したという。
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【三国志13】董襲 の武将能力値紹介

董襲(トウシュウ) 統率72 武力85 知力50 政治48 呉の武将。身長8尺(190cm)。【演義】孫策が江東に進出した際、厳白虎を討って孫策に登用される。山賊に襲撃された孫権を守って周泰が負傷すると、華佗を推薦して看病させた。208年、孫権が黄祖を攻めた際は甘寧の副将として従軍。赤壁の戦いでは漢川から曹操の陣を襲撃した。以後は合肥[ガッピ]戦線で魏軍と対峙。215年、濡須口で徐盛と共に水軍を指揮するが、嵐で船団が壊滅し、戦死した。【正史】孫策に登用され、山賊の黄龍羅、周勃を討伐。208年の黄祖討伐戦では凌統と共に先陣で決死隊を率いた。
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【三国志13】濮陽興 の武将能力値紹介

濮陽興(ボクヨウコウ) 統率37 武力32 知力70 政治72 呉の丞相。【演義】孫休臨終の際、太子・孫吒[ソンワン]を即位させるように遺言されるが、万彧、張布らと共謀して孫晧を擁立した。即位後、暴虐な政治を行うようになった孫晧をいさめ、怒りを買って一族もろとも殺された。【正史】孫権の代に会稽太守となり、当時、会稽にいた孫休と親交を結んだ。孫休が即位すると、太常、衛将軍を経て、丞相に就任。孫休のもう1人の寵臣・張布と結託して政治を思いのままにした。孫晧即位後、万彧の謀略にかかり交州に流される途中、孫晧の命で殺された。
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【三国志13】陳蘭 の武将能力値紹介

陳蘭(チンラン) 統率66 武力69 知力40 政治24 袁術の武将。【演義】雷薄と共に紀霊の副将となって小沛の劉備を攻めるが、呂布に仲裁されて軍を退く。袁術が皇帝を名乗った後、呂布討伐戦で第5軍を率いるが、楊奉と韓暹が呂布に寝返ったため大敗を喫した。その後、袁術を見限って雷薄と共に嵩山[スウザン]に籠もり、袁術が劉備に攻められ敗走すると、袁術軍を襲って金品を奪った。【正史】曹操が袁紹と戦っていた頃、梅乾(梅成)、雷緒と共に数万の兵を率いて長江、淮河一帯を荒らし回る。後に張遼、張郃、于禁らに討伐されて斬られた。
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【三国志13】傅嘏 の武将能力値紹介

傅嘏(フカ) 統率44 武力35 知力81 政治82 魏の官僚。傅介子の子。傅巽の甥。【演義】曹芳の代に尚書となる。孫権の死に乗じて呉を攻めようとする司馬師をいさめるが聞き入れられず、魏軍は敗退した。毌丘倹が反乱を起こすと、司馬師が指揮する討伐軍に加わり、楽嘉、項城、寿春の三手から進軍する作戦を立て、採用された。【正史】陳羣に召し出され、仕官。礼法、官制に通じた。曹爽が実権を握ると、何晏らを非難して免職されるが、司馬懿が政権を得たことで返り咲く。何曾、陳泰、荀顗、鍾毓らと親しかった。死後、太常を追贈された。
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【三国志13】張布 の武将能力値紹介

張布(チョウフ) 統率31 武力24 知力71 政治66 呉の左将軍。孫休の側近。【演義】呉帝・孫亮を廃した孫綝が新帝・孫休をも害そうとしているのを察知し、丁奉と共に孫綝一党を討伐した。孫休の死後、万彧と共謀して遺言に背き、孫晧を皇帝に推す。その後、暴政を敷くようになった孫晧をいさめて怒りを買い、一族もろとも処刑された。【正史】孫休が王の時からの臣で、孫休が皇帝になると特別な待遇を受けた。孫綝討伐後、丞相の濮陽興と共に権勢を振るう。孫晧が暴政を行うようになると孫晧を即位させたことを後悔し、その言動を密告され、誅殺された。
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