三国志13

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【三国志13】曹髦 の武将能力値紹介

曹髦(ソウボウ) 統率54 武力61 知力59 政治75 魏の文帝・曹丕の孫。曹霖の子。高貴郷公。第4代皇帝。【演義】第3代皇帝・曹芳が司馬師に廃されると、新帝として即位した。司馬師の死後は司馬昭を大将軍に任じる。諸葛誕が司馬家打倒の兵を挙げると、司馬昭に親征を強要された。260年、王経、王沈、王業らと司馬昭討伐を謀るが、王沈と王業が司馬昭に密告して発覚。自ら親衛隊を率いて司馬昭を討とうとするが、司馬昭の腹心・賈充らに包囲され、成済に討ち取られた。【正史】若い時から学問を好み、英才で知られた。鍾会から、才能は曹植、武勇は曹操に匹敵すると評される。
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【三国志13】全懌 の武将能力値紹介

全懌(ゼンエキ) 統率60 武力63 知力38 政治43 呉の重鎮・全琮の子。全端の弟。全禕の叔父。【演義】257年、魏の諸葛誕が寿春で反乱を起こすと、孫綝の命令で救援に赴き、兄の全端と共に寿春城に入る。しかし、先に司馬昭に降伏した全禕から降伏を勧められ、魏に投降した。【正史】甥の全禕から、寿春で成果を上げられない全一門を呉が誅滅しようとしていると書状を送られ、兄の全端と共に降伏した。これは鍾会の策略で、実際には全禕らは一族の内紛で亡命していた。魏に降伏後は平東将軍となった。
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【三国志13】傅僉 の武将能力値紹介

傅僉(フセン) 統率73 武力85 知力76 政治46 蜀の武将。傅彤の子。【演義】四角の鉄簡(鉄鞭に似た武器)を使う。蒋舒と共に姜維のお気に入りで、姜維の北伐に参加する。長城の戦いでは李鵬、王真を討ち取った。その後は陽平関を守る。263年、鍾会率いる蜀討伐軍を迎撃するが敗退。陽平関に帰陣するが、僚友の蒋舒はすでに降伏していた。乱戦の中、「死して蜀の鬼とならん」と叫び、自害。【正史】傅彤の戦死後に左中郎となり、のち関中都督となる。鍾会が攻め寄せると陽安関に籠城したが、同僚の蒋舒が開城して魏軍に降伏。傅僉は戦って討死した。
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【三国志13】諸葛瞻 の武将能力値紹介

諸葛瞻(ショカツセン) 統率70 武力57 知力76 政治72 蜀の丞相・諸葛亮の長子。母は黄氏(月英)。諸葛尚の父。劉禅の娘を妻に迎え、父の爵位を受け継ぐ。【演義】261年、行軍護衛将軍に任ぜられるが、黄皓が政権を握っていたため、病と称して屋敷に籠もる。263年、蜀に侵攻した鄧艾を綿竹関で迎撃。緒戦は子の諸葛尚と共に諸葛亮の木像を掲げて撃退に成功する。鄧艾の降伏勧告を拒否し尚も戦おうとするが、要請していた呉の援軍を待ちきれずに再度出陣し、負傷して自害した。【正史】蜀を守ることはできなかったが、蜀を裏切らず亡父の志に従った忠孝を称えられた。書画に巧みだった。
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【三国志13】馬謖 の武将能力値紹介

馬謖(バショク) 統率61 武力67 知力87 政治68 蜀の武将。馬良の弟。【演義】南蛮征伐で「南蛮人の心を攻めよ」と説き、諸葛亮の信任を得る。南蛮から帰還後、謀反の噂を流して司馬懿を失脚させ、北伐の準備を整えた。228年、街亭の守備に自ら志願するが、諸葛亮の命に背き、魏の張郃に完敗。この敗戦で、蜀軍の長安攻略は不可能となり、諸葛亮の命で処刑された(泣いて馬謖を斬る)。劉備は臨終の際、「馬謖を重用するな」と諸葛亮に遺言していた。【正史】街亭の守りは経験豊かな魏延か呉懿が適任とされていた。敗戦後、馬謖逃亡を是認した向朗は失脚した。
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【三国志13】荀顗 の武将能力値紹介

荀顗(ジュンギ) 統率16 武力13 知力70 政治74 魏の尚書。荀彧の第4子。陳泰の舅。【演義】司馬昭が曹髦を殺した際、参内を拒む陳泰を呼びに行き、陳泰に「義父上は私以下の人物になられたか」と嘆かれた。後に司空となり、晋王となった司馬昭が後継人事を迷うと、長幼の序を重視して司馬炎を推した。【正史】司馬懿に評価され、「荀彧の子だけのことはある」と言わしめた。毌丘倹討伐の功で司空となる。晋建国の功臣として侍中、太尉と昇進し、臨淮公に封ぜられた。博学多識で三礼、朝廷の儀礼に通じていた。何曾と並んで仁と孝を尽くした者として称賛されている。
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【三国志13】白起 の武将能力値紹介

白起(ハクキ) 統率100 武力88 知力70 政治14 秦の常勝将軍。武安君。一兵卒から名を上げた叩き上げの軍人。左庶長時代に頭角を現し、秦の宰相・魏冉[ギゼン]に抜擢される。韓、魏、楚を何度も打ち破り、常に数十万の敵兵を殺害して勝利。その度に出世を重ね、楚攻略時には、秦の昭襄王から武安君に封ぜられた。やがて韓の上党を巡って秦と趙が対立すると、長平で趙兵40万を生き埋めにして圧勝。しかし、魏冉に代わって宰相となった范雎[ハンショ]に進軍を止められ、これを機に自宅に籠もるようになる。最期は秦の昭襄王の命に逆らい、不興を買って自害した。
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【三国志13】司馬朗 の武将能力値紹介

司馬朗(シバロウ) 統率20 武力21 知力72 政治82 司馬懿、司馬孚の兄。司馬遺の父。【演義】曹操に仕え、丞相主簿となる。【正史】董卓の長安遷都によって洛陽が荒廃した際、一族を引き連れて難を逃れた。後に曹操に仕え、堂陽太守、兗州刺史などの地方官を歴任し、善政を敷いて領民から慕われた。217年、夏侯惇、臧覇と共に呉討伐戦に参加。疫病が蔓延すると、自ら巡察して医薬を与えたが、病気にかかって死亡した。曹叡の代、司馬孚の子・司馬望が後継者となる。崔琰と親しかった。
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【三国志13】木鹿大王 の武将能力値紹介

木鹿大王(ボクロクダイオウ) 統率65 武力71 知力39 政治6 南蛮の八納洞の洞主。白象に乗り、豹、狼、毒蛇、さそりなどの猛獣を操る。暴風を起こす妖術も使う。武器はふた振りの大刀。【演義】諸葛亮率いる蜀軍と孟獲が争っている最中、孟獲の援軍として駆けつける。一度は、趙雲、魏延の部隊を妖術で撹乱し、猛獣を突撃させて破った。しかし、その後に出陣した諸葛亮に妖術を破られると、形勢逆転。作り物の巨獣「木獣」の火炎放射で猛獣も逃げ帰り、乱戦の中、討死した。【正史】記述なし。
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【三国志13】蘇秦 の武将能力値紹介

蘇秦(ソシン) 統率90 武力47 知力97 政治90 縦横家。斉で張儀と共に鬼谷子[キコクシ]に学んだ。諸国を放浪した後、困窮して帰郷すると親族に嘲笑され、発奮して揣摩[シマ]の術を編み出す。はじめ周、秦、趙に遊説したが用いられず、のち燕の文公に任用される。その後に、趙・韓・魏・斉・楚の各国に合従[ガッショウ]策を説いて、成功。六国の連合により秦に対抗する体制を実現させた蘇秦は、その指導者として六国の宰相を兼任し、趙の粛侯から武安君に封ぜられる。のち、張儀に合従を崩され、斉に仕えたが、暗殺された。「鶏口となるも牛後となるなかれ」は、蘇秦の言葉。
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