三国志13

武将

【三国志13】馬邈 の武将能力値紹介

馬邈(ババク) 統率34 武力12 知力44 政治35 蜀の武将。江油城を守る。【演義】263年、魏の鍾会と鄧艾が蜀討伐軍を起こし、漢中が陥落するが、前線にいる姜維を頼みに防備を怠る。黄皓が政権を握った蜀の将来を悲観し、何もしようとしないので、妻の李氏から叱責された。間もなく、陰平の山岳を越えた鄧艾軍が来襲すると、進んで降伏して道案内を買って出る。これを恥じた李氏は自害した。【正史】蜀の守将。陰平を越えて江由に迫った鄧艾軍に降伏したとあるのみ。
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【三国志13】蒙恬 の武将能力値紹介

蒙恬(モウテン) 統率87 武力86 知力71 政治61 秦の将軍。祖父、父も秦の軍人。祖先は斉の出身。秦王・政(嬴政[エイセイ])の天下統一のため、父・蒙武を継いで将軍となる。楚攻略では楚の名将・項燕に敗れたが、斉攻略では大勝を収めた。統一後は30万の兵を率いて北上し、黄河を渡って匈奴を討伐。万里の長城を修復して連結し、辺境に駐屯して匈奴を迎え続けた。その功績から始皇帝の信頼も厚く、太子・扶蘇[フソ]の後見を任された。しかし、始皇帝が没すると、趙高と李斯の謀略によって胡亥が二世皇帝に即位。扶蘇は自決させられ、蒙恬も毒をあおって自害した。
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【三国志13】荀攸 の武将能力値紹介

荀攸(ジュンユウ) 統率73 武力26 知力94 政治88 曹操の幕僚。荀彧の従子(甥)だが、荀彧より6歳年長。【演義】何進政権下で黄門侍郎。帰郷した後、荀彧と共に曹操に仕える。下邳で呂布を包囲した際、撤退を考えた曹操に速攻を進言。以後も官渡、赤壁、渭水の戦いなどで従軍して献策した。王粲らが曹操の魏王就任を発議した際、名分がないと反発。それを聞いた曹操が激怒したと知って病死した。そのため魏王就任は沙汰止みとなる。【正史】孫権討伐の途上で病死し、曹操はその話をする度に涙を流した。荀攸が魏王即位に反対したという記述はなく、曹操との関係が悪化したという記述も見られない。
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【三国志13】孟建 の武将能力値紹介

孟建(モウケン) 統率73 武力31 知力80 政治86 諸葛亮の友人。【演義】石韜と酒を飲んでいた時、隆中の諸葛亮を再び訪れようとしていた劉備と出会う。【正史】諸葛亮、徐庶、石韜と共に荊州で遊学し、諸葛亮から「刺史か郡守の器」と評される。魏に仕え、温恢の死後涼州刺史となり、優れた政治手腕を発揮した。諸葛亮は北伐で祁山[キザン]に出陣した際、司馬懿からの書状の返答を持ち帰る杜襲に「公威によろしく」と伝えさせている。征東将軍まで昇進した。
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【三国志13】士武 の武将能力値紹介

士武(シブ) 統率47 武力42 知力64 政治70 士燮の弟。南海太守。【演義】記述なし。【正史】交州刺史の朱符が現地の人間から恨みを買って殺害される事件が起きた時、その混乱を収拾するため、士燮は弟たちを各地の太守にすることを朝廷に上奏した。それが認められたため、士武は南海太守となった。早くして病死したという。
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【三国志13】傅彤 の武将能力値紹介

傅彤(フトウ) 統率66 武力72 知力46 政治42 蜀の武将。傅僉の父。【演義】関羽の仇討ちのために挙兵した劉備に従軍し、荊州へ進攻する。夷陵沿岸を警備中、夜襲を仕掛けてきた淳于丹を撃退。陸遜の火攻めによって蜀軍が総崩れになると、張苞と共に劉備を護衛。白帝城に逃げる劉備の後詰めとなるが、呉軍に包囲される。降伏を呼びかける丁奉に「漢の大将が呉の犬に降れるか」と叫び奮戦するが、力尽き戦死した。【正史】夷陵の戦いでは輔匡、趙融、廖化と共に別督(個々の軍団の指揮官)となった。
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【三国志13】趙儼 の武将能力値紹介

趙儼(チョウゲン) 統率72 武力62 知力78 政治73 魏の武将。【演義】曹操が魏王、次いで帝位も狙うであろうと献帝に上奏し、これを聞いた曹操に死罪に処された。【正史】荊州に隠棲していたが、曹操が献帝を迎えて以降に仕官。統治、参謀両面に才を発揮した。特に馬超の反乱や関羽の討伐で、事後処理や家臣団の統制に功があり、曹操以降四代にわたって重用される。曹丕の代には、呉に対する戦略軍師として全軍を補佐し、前線で活躍。晩年、征西将軍、次いで司空まで昇進したのち死去した。
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【三国志13】蹋頓 の武将能力値紹介

蹋頓(トウトン) 統率82 武力84 知力61 政治36 遼西烏丸の首領。丘力居の従子。【演義】袁紹と誼を通じ、袁煕と袁尚が曹操に追われて北方に逃げてきた際は、かくまって曹操軍と戦う。だが、曹操の勇将・張遼に白狼山で大敗し、首を斬られた。【正史】丘力居が死ぬと、その子の楼班が年少で、蹋頓の武略が優れていたため、後を継いで部族を統率し、烏丸王を名乗った。白狼山の戦いに敗れると、曹純が督率する虎豹騎に捕縛された。
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【三国志13】馬騰 の武将能力値紹介

馬騰(バトウ) 統率80 武力83 知力63 政治58 涼州軍閥の頭首の1人。馬超、馬休、馬鉄の父。【演義】曹操の董卓討伐の号令に応じた諸侯の1人。董承の曹操暗殺計画にも参加するが、露見した時は西涼に逃れていた。赤壁での戦いの後、曹操は馬騰を討って後顧の憂いを絶とうと画策。馬騰は謀略と知りながら上京し、黄奎[コウケイ]と謀って逆に曹操を討とうとするが失敗。同行していた馬休、馬鉄と共に討たれた。【正史】董卓討伐軍には加わっておらず、韓遂らと共に朝廷からの独立勢力を保った。後に上京して衛尉となるが、馬超の反乱に連座し処刑された。
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【三国志13】滕脩 の武将能力値紹介

滕脩(トウシュウ) 統率44 武力32 知力31 政治71 呉の官僚。別名は滕循。【演義】孫晧の代に司空となる。杜預ら率いる晋軍が呉に攻め寄せた際、孫晧に招集され対抗策を問われた。【正史】孫晧の代に広州刺史となる。279年、司空に任ぜらそうになるが、就任直前に郭馬が反乱を起こし、広州牧として討伐に向かった。
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