三国志13

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【三国志13】鍾繇 の武将能力値紹介

鍾繇(ショウヨウ) 統率70 武力24 知力77 政治93 魏の重臣。鍾毓、鍾会の父。【演義】曹操に仕え、長安太守となる。211年、馬超と韓遂に攻められ、長安を奪われた。曹操が魏王になると相国に任ぜられ、曹叡の代には太傅となった。諸葛亮が北伐を起こすと、迎撃の指揮官に司馬懿を推薦した。【正史】李傕と郭汜の支配下にある長安で献帝に仕え、後に荀彧の推薦で曹操に仕えた。袁家との戦いでは馬超を指揮して郭援を撃破する一方、後方支援に尽力し、漢の蕭何[ショウカ]に匹敵する働きと称賛された。219年、謀反を起こした魏諷の推薦者として一時的に免職された。
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【三国志13】司馬炎 の武将能力値紹介

司馬炎(シバエン) 統率69 武力59 知力77 政治79 司馬懿の孫。司馬昭の長男。司馬攸の兄。晋の武帝。【演義】司馬昭の死後、晋王の位を継ぐ。間もなく、腹心の賈充らを使って魏帝・曹奐に譲位させ、帝位に即いた。呉の陸抗が罷免され、羊祜から呉討伐を上奏された際、賈充、荀勗、馮紞[フウタン]にいさめられ、出兵を見合わせる。羊祜が病死した後、王濬、杜預から再度、呉討伐が上奏されると出兵を決定。杜預、司馬伷、王渾、王戎、胡奮、王濬、唐彬、楊済らを派遣し、呉を滅ぼした。【正史】晋では皇族に兵権を与え各地に封じた。皇帝の力が弱まると、各地で皇族が独立し「八王の乱」を招いた。
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【三国志13】楽毅 の武将能力値紹介

楽毅(ガクキ) 統率98 武力75 知力92 政治89 春秋戦国時代、燕の将軍。昌国君。小国・中山の宰相の子に生まれたが、中山が趙の武霊王に滅ぼされると、諸国を流浪。燕の昭王にその才能を認められて臣となった。政務に手腕を発揮する一方、諸国に脅威を与えていた斉に対抗すべく、趙、魏、楚、秦との五カ国同盟を実現。連合軍を指揮して斉軍を撃破し、暴虐な斉王を追放して2都市を除く斉全土を制圧した。間もなく昭王が急逝すると、斉の田単の離間計によって恵王に疑われ、趙に亡命。恵王と和解した後も趙に留まり、趙と燕の両国で重きを成した。
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【三国志13】雅丹 の武将能力値紹介

雅丹(ガタン) 統率72 武力65 知力78 政治53 西羌の丞相。【演義】魏の曹真からの援軍要請を引き受けるよう、徹里吉に進言した。越吉元帥と共に羌兵15万を率いて西平関に向かうが、諸葛亮の陥穽の計の前に敗れ、馬岱に捕らえられる。諸葛亮から、魏の誘いには乗らぬよう説得され、西羌へ帰った。【正史】記述なし。
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【三国志13】国淵 の武将能力値紹介

国淵(コクエン) 統率50 武力19 知力71 政治86 魏の官僚。国泰の父。【演義】記述なし。【正史】学問に熱心で古学を好み、師の鄭玄[テイゲン]から「国家的人物になる」と評される。一時、戦乱を避けて遼東に移った後、帰還して曹操に仕えた。屯田政策を統括し、5年間で国庫を回復させた。曹操が馬超と韓遂の反乱を討伐した際に留守を任され、河間[カカン]で田銀と蘇伯が反乱を起こすとこれを鎮圧。その功績で魏郡太守となる。後に太僕に昇進し、在職中に死亡した。大臣の位にありながら粗衣粗食を続け、謙虚な態度を貫いた。
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【三国志13】厳政 の武将能力値紹介

厳政(ゲンセイ) 統率50 武力55 知力39 政治36 黄巾の武将。【演義】張宝の配下。朱儁と劉備が率いる討伐軍に陽城で包囲される。敗色濃厚となると張宝を討ち取り、朱儁に投降した。【正史】記述なし。
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【三国志13】丘建 の武将能力値紹介

丘建(キュウケン) 統率39 武力52 知力65 政治52 魏の武将。【演義】元は胡烈の配下。鄧艾と鍾会が蜀討伐戦を起こすと鍾会に従う。蜀が降伏した後、鍾会が姜維と共謀して独立を企てたことを耳にする。鍾会に従わなかった胡烈らが監禁されると、胡烈の子・胡淵に通報した。これによって鍾会と姜維の謀反は阻止された。【正史】胡烈から司馬昭に推薦され、鍾会の要請で蜀討伐戦に随軍する。
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【三国志13】関興 の武将能力値紹介

関興(カンコウ) 統率76 武力86 知力67 政治58 関羽の次男。関統の父。張苞の義弟。【演義】関羽が曹操軍の襄陽を攻め于禁を破ると、成都の劉備に戦果を報告した。関羽が孫権軍に敗死し、劉備が復讐の兵を挙げると戦列に加わり、先陣争いをした張苞と義兄弟になる。呉の李異、周平を斬り、関羽を捕らえた潘璋を討って青龍偃月刀を奪い返すが、蜀軍は敗れる。後に諸葛亮の北伐に参加。西羌軍との戦いでは越吉を斬るなど活躍するが、第5次北伐の直前に病死した。【正史】諸葛亮に才能を評価された。関羽の後を継ぎ、20歳で侍中、中監軍になるが、数年後に死んだ。
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【三国志13】郭汜 の武将能力値紹介

郭汜(カクシ) 統率64 武力76 知力13 政治14 董卓の武将。幼名は阿多。【演義】董卓の洛陽入りに従軍。董卓の死後、李傕と共に長安を攻め落とし、献帝を擁して政権を握った。しかし、嫉妬深い妻を楊彪の計略に利用され、李傕と反目するようになる。張済の取りなしで李傕と和睦するが、献帝は長安を脱出して曹操に保護された。その後、李傕と共に曹操に討伐され、部下の伍習に殺された。【正史】郭汜の妻は、夫が李傕の家に頻繁に泊まるのを見て夫の寵愛を失うことを恐れ、李傕と仲違いさせた。楊彪の計略ではない。
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【三国志13】王韜 の武将能力値紹介

王韜(オウトウ) 統率46 武力59 知力72 政治51 司馬昭の参謀。【演義】253年、司馬昭に従い、鉄籠山[テツロウザン]で姜維と対戦。包囲されて水不足になると、後漢の耿恭[コウキョウ]が祈って水を得た故事にならい祈ってみるように進言。司馬昭が祈ると泉が沸き出し、難を逃れた。【正史】記述なし。
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