三国志13

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【三国志13】高翔 の武将能力値紹介

高翔(コウショウ) 統率68 武力68 知力53 政治44 蜀の武将。【演義】諸葛亮の北伐に参加。街亭の戦いでは列柳城に駐屯し、街亭に進出した馬謖の後方支援を担当した。諸葛亮の第4次北伐では木牛流馬を使って兵糧輸送を担当。諸葛亮の計略に従って何度か魏軍に木牛流馬を奪わせ、図に乗った魏軍を伏兵で破った。【正史】第4次北伐で、魏延、呉班と共に張郃軍を破り、3千の首級、5千領の黒金の鎧、5千張の弩を奪う活躍をした。
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【三国志13】橋蕤 の武将能力値紹介

橋蕤(キョウズイ) 統率64 武力69 知力38 政治41 袁術の武将。【演義】袁術の呂布討伐戦で第2軍の上将となるが、楊奉と韓暹が呂布軍に寝返り、敗れる。その直後に寿春へ攻め寄せた曹操軍を県境で迎撃するが、夏侯惇に討たれた。【正史】袁術から大将軍に任命される。曹操軍に攻められた袁術が逃亡した際、楽就、李豊、梁綱らと苦で包囲され敗れて于禁に斬られた。同僚の張勳らと共に孫策を心から尊敬していた。
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【三国志13】韓遂 の武将能力値紹介

韓遂(カンスイ) 統率81 武力74 知力83 政治66 後漢の并州刺史。涼州軍閥の首領の1人。【演義】西涼太守・馬騰とは義兄弟。馬騰と共に、長安を占拠した李傕軍と戦うが敗れた。馬騰が曹操に暗殺されると、馬超と共に復讐の兵を挙げる。長安を落とし、潼関まで進出するが、賈詡の離間の計によって馬超と決裂。曹操に降る決意をしたところを馬超に乗り込まれ、左手を斬られた。馬超が敗走すると、西涼侯になった。【正史】黄巾の乱後、辺章と共に挙兵。張温、董卓らの討伐を受けるが、勢力を保ち続ける。渭水の戦いの後も曹操軍と戦い続け、西平の金城で殺された。病死とも。
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【三国志13】郭攸之 の武将能力値紹介

郭攸之(カクユウシ) 統率28 武力9 知力69 政治79 蜀の侍中。【演義】劉備に抜擢された。諸葛亮の出師の表で、「費禕、董允と共に誠実忠義の士である。宮中のことはすべてこの3人と相談するように」と評され、北伐に出立する諸葛亮から成都の留守を任された。【正史】大人しい性格で、人物と学識の高さから名を知られた。出師の表が上奏された後、費禕は参軍、董允は侍中兼虎賁中郎将に昇進して近衛隊を指揮したが、郭攸之が昇進したという記述はない。
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【三国志13】王淩 の武将能力値紹介

王淩(オウリョウ) 統率74 武力64 知力71 政治82 後漢の司徒・王允の甥。司馬朗、賈逵と仲がよかった。【演義】記述なし。【正史】王允が李傕に殺された時、脱出して郷里に帰る。曹操に任用され丞相府に入り、曹丕即位後、兗州刺史となった。張遼と共に孫権を牽制して功績を挙げ、征東将軍として対呉戦線で活躍。241年、芍陂[シャクハ]に侵入した全琮を破って司空となり、司馬懿が曹爽を倒すと太尉に昇進。甥の兗州刺史・令孤愚と共に、曹芳を廃して楚王・曹彪を擁立する計画を立てるが発覚し、降伏後、毒を飲んで死んだ。連座した者は三族ともども処刑された。
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【三国志13】閻行 の武将能力値紹介

閻行(エンコウ) 統率76 武力84 知力66 政治58 後に名を艶と改める。韓遂の女婿。【演義】記述なし。【正史】若くして韓遂配下に加わり、馬騰との戦いで馬超に圧勝した。209年、韓遂の使者として曹操を訪ね、戻ると曹操に帰順するよう韓遂を説くが聞き入れられなかった。211年、韓遂が馬超と組んで挙兵するのを阻止しようとするが果たせず、馬超の敗走後、韓遂と共に金城に入る。曹操との関係を絶とうする韓遂から末娘をめあわせられるが、結局は韓遂を攻め曹操軍に身を投じた。
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【三国志13】文醜 の武将能力値紹介

文醜(ブンシュウ) 統率88 武力93 知力28 政治25 顔良と並び、袁紹軍の双璧と呼ばれる猛将。【演義】汜水関の戦いには随軍しておらず、董卓軍の華雄に苦戦する袁紹は「顔良、文醜がいれば負けないものを」と嘆いた。界橋の戦いでは公孫瓚をあと一歩まで追いつめるが、趙雲に阻まれた。官渡の戦いの前哨戦で相方の顔良が関羽に斬られたことに怒り、仇討ちのために曹操軍を襲撃。延津[エンシン]で張遼、徐晃らを撃退し、曹操軍の物資を奪うが、関羽に斬り殺された。【正史】延津で曹操、荀攸の作戦にはまり、戦死。関羽に斬られたという記述はない。
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【三国志13】孫臏 の武将能力値紹介

孫臏(ソンピン) 統率83 武力1 知力98 政治79 斉の軍師、兵法家。春秋時代の孫武の子孫。若い頃に同門の龐涓[ホウケン]から魏に招かれるが、その才を妬まれて刑罰を受け、「濱」から「臏」に改名した。やがて斉の将軍・田忌[デンキ]に救出されると、その才を見込まれて斉の威王の軍師に抜擢される。魏が趙を攻撃した時には援軍として斉軍を率い、魏を急襲することで趙の囲みを解き、戻ってきた魏軍を桂陵で撃破した。さらに、その13年後には宿敵・龐涓率いる魏軍と対決。少しずつかまどの数を減らして偽退却することで油断を誘い、少兵で急行してきた龐涓を馬陵で討ち取った。
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【三国志13】孫尚香 の武将能力値紹介

孫尚香(ソンショウコウ) 統率76 武力86 知力70 政治63 孫堅の娘。母は呉国太。孫策、孫権、孫翊、孫匡の異母妹。孫朗の実妹。武勇に優れ、「弓腰姫」とも。【演義】209年、劉備を呉に囲い込むための策略で、劉備と結婚させられる。しかし、本人も母の呉国太も劉備を気に入り、劉備が荊州に帰還する際は付き従って、劉備を捕らえようとする呉将を退けた。212年、孫権から呉国太危篤との偽りの報を受け、劉禅を連れて呉に帰ろうとするが、劉禅は趙雲と張飛に連れ戻される。後に劉備が夷陵で戦死したと伝えられ、長江に身を投げた。【正史】呉に戻った後の記述はない。
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【三国志13】陳式 の武将能力値紹介

陳式(チンショク) 統率70 武力71 知力25 政治23 蜀の武将。正史「三国志」の著者・陳寿の父とも。【演義】曹操との漢中攻防戦では黄忠の部下として参戦。定軍山の戦いで魏軍に捕らえられるが、夏侯尚との人質交換で生還する。後に諸葛亮の北伐に参加。230年、蜀領に侵攻した曹真と司馬懿が長雨で撤退した時、諸葛亮の命令に背いて魏延と共に追撃し、敗北。処刑された。【正史】夷陵の戦いでは呉班と共に水軍を率い、229年の第3次北伐では武都、陰平を攻略。諸葛亮に処刑される記述はない。「晋書」で陳寿の父は街亭の戦いで馬謖に連座したとあり、演義の処刑はこれを題材にしている。
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