三国志13

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【三国志13】法正 の武将能力値紹介

法正(ホウセイ) 統率84 武力47 知力94 政治78 劉璋の幕僚。後に劉備に仕える。【演義】張松、孟達と共に劉璋を見限り、劉備に益州を委ねようと画策。龐統と共に劉備の益州平定戦で参謀を務めた。劉備が益州を平定すると蜀郡太守となる。曹操との漢中攻防戦でも参謀として活躍。黄忠に計略を授け、夏侯淵を討った。その知謀は諸葛亮からも高く評価され、劉備が夷陵への出兵を強行した時、諸葛亮は「法正が生きていれば、出兵させなかっただろう」と嘆いた。【正史】ささいな恨みも根に持ち報復するなど欠点もあったが、その知謀を買われて諸葛亮に容認された。
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【三国志13】鄭度 の武将能力値紹介

鄭度(テイド) 統率22 武力29 知力60 政治68 劉璋の部下。従事。【演義】劉備が雒城を落として成都に迫ると、劉璋は諸将を集めて軍議を開く。そこで鄭度は、作物や各地の穀倉を焼き払い、守りを固めて劉備の兵糧が尽きるのを待つ策を進言。しかし劉璋はこの作戦を一蹴したため、実現されることはなかった。【正史】演義とほぼ同様。
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【三国志13】田続 の武将能力値紹介

田続(デンショク) 統率47 武力60 知力55 政治15 魏の武将。田疇の従孫。【演義】263年、鍾会と鄧艾の蜀討伐戦に参加。江油城[コウユジョウ]を攻め落とした際、兵士を休息させるように進言して鄧艾に斬られそうになる。蜀が滅亡し、鍾会が死んだ後、鄧艾の報復を恐れた衛瓘の命を受け、鄧艾父子を殺害した。【正史】田疇の徳義が高く評価され、曹丕が即位した際、後を継ぐように命じられた。蜀討伐戦に参加し、江油の戦いで進軍命令を拒んで、鄧艾に斬られそうになる。鍾会の死後、衛瓘の命で鄧艾父子を討った。
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【三国志13】張遵 の武将能力値紹介

張遵(チョウジュン) 統率63 武力68 知力66 政治59 蜀の武将。張飛の孫。張苞の子。【演義】尚書。魏の鄧艾が蜀に侵攻した時、綿竹関を守り、諸葛瞻の指揮下で戦う。諸葛瞻が呉の援軍を待たずに出撃して戦死した後、諸葛瞻の子・諸葛尚が後を追って出陣しようとするのをいさめる。しかし、諸葛尚は聞き入れずに出陣して戦死。その後、鄧艾の総攻撃を受け、同僚の黄崇、李球らと共に最後まで戦い、討ち死にした。【正史】演義の記述と同様。
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【三国志13】眭元進 の武将能力値紹介

眭元進(スイゲンシン) 統率52 武力68 知力45 政治32 袁紹の武将。【演義】官渡の戦いに参加。淳于瓊の指揮の下で、韓莒子、呂威璜、趙叡らと共に烏巣[ウソウ]の兵糧基地を守っていた。趙叡と兵糧を調達した直後、曹操軍の兵糧庫夜襲を知る。火の手が上がる中、曹操軍と戦ったが敗れ、戦死した。【正史】烏巣[ウソウ]で敗北し、首を斬られたとのみある。
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【三国志13】周倉 の武将能力値紹介

周倉(シュウソウ) 統率68 武力84 知力42 政治33 黄巾の大将・張宝の武将。後に関羽に仕える。【演義】黄巾の乱の後、臥牛山で山賊をしていたところ、関羽と出会い臣従した。以後、常に関羽と共に行動し、関羽の指揮下で荊州を守る。荊州返還を求める魯粛と関羽が会見した際は護衛となり、機転を利かせて会見を打ち切らせた。また、樊城で于禁、龐徳と戦った際は、龐徳を水中に落として捕らえた。関羽が麦城で敗死すると、自害して果てた。【正史】記述なし。架空の人物だが民間伝承に数多く登場。よく絵画などで関平と共に関羽の左右に描かれている。
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【三国志13】黄琬 の武将能力値紹介

黄琬(コウエン) 統率18 武力39 知力74 政治65 後漢の太尉。【演義】董卓の長安遷都に反対し罷免されたのち、王允と呂布による董卓暗殺に加わる。その後、架空の子・黄奎[コウケイ]より、李傕と郭汜の動乱の中で亡くなったことが語られている。【正史】幼少より才気煥発で、三公の孫であったことから童子郎に選ばれる。董卓の政権下で司徒、太尉になるが、演義と同様に罷免された。董卓の死後、長安を占拠した李傕と郭汜に捕らえられ獄死している。
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【三国志13】吾粲 の武将能力値紹介

吾粲(ゴサン) 統率68 武力41 知力78 政治75 呉の幕僚。【演義】孫策の死後、孫権の招きに応じて幕下に加わった。【正史】牧童の出。孫何に抜擢されて功績を挙げ、陸遜、卜静[ボクセイ]らと並ぶ名声を得る。孫権が車騎将軍になると、中央に招かれた。222年、呂範、賀斉と共に洞口で曹休の攻撃を防ぐ。その功績から会稽太守となり、呂岱と共に山越討伐で活躍。後に中央に戻り太子太傅となる。孫権が太子の孫和を廃して孫覇を立てようとすると、陸遜と連絡を取り合って強く反対し、孫覇と楊竺を地方に出すように進言。孫覇と楊竺の中傷を受け、処刑された。
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【三国志13】郤正 の武将能力値紹介

郤正(ゲキセイ) 統率42 武力23 知力68 政治75 蜀の官僚。元の名は郤纂[ゲキサン]。【演義】姜維が迷当大王と結んで北伐を起こした時、迷当大王から協力を取り付ける使者となった。姜維が黄皓と対立して兵権を奪われた際は、沓中に屯田して一時の難を避けるように勧めた。263年、鄧艾が江油城を占拠すると、諸葛瞻に迎撃させるよう劉禅に勧める。蜀が滅亡すると劉禅と共に洛陽に移り、劉禅に「先祖の墓がある蜀の地が恋しいと言えば、蜀に帰ることができる」と入れ知恵するが、司馬昭に見破られた。【正史】蜀を代表する学者。後に晋の巴西太守となる。
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【三国志13】韓暹 の武将能力値紹介

韓暹(カンセン) 統率69 武力66 知力36 政治18 黄巾の武将。白波の頭目。【演義】長安を脱出した献帝を護衛し、征東将軍に任ぜられる。李楽と共に権勢を誇るが、間もなく離反。曹操が献帝を保護しにやってくると楊奉と共に戦いを挑み、敗れて袁術を頼る。後に袁術の呂布討伐戦に従軍するが、陳珪の計略で呂布軍に寝返る。その後、徐州近隣で略奪を働いていたところを、関羽と張飛に討たれた。【正史】楊奉が劉備に捕縛されると孤立。并州に逃げようとするが、張宣に殺された。
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