三国志13

武将

【三国志13】張松 の武将能力値紹介

張松(チョウショウ) 統率25 武力6 知力88 政治82 劉璋の幕僚。張粛の弟。【演義】劉璋が張魯に脅かされると、使者となり曹操に援軍を要請しようとした。しかし、曹操からぞんざいに扱われたため、楊脩を言い負かし、曹操の「孟徳新書」を暗記して驚かせる。その態度が曹操の怒りを買い、交渉は決裂。帰途、劉備から歓迎を受け、劉璋に代えて劉備を蜀の統治者にしようと目論む。劉備に蜀の地図を渡し、張魯を防ぐ名目で劉備を蜀に入れることに成功。決起を促すが、張粛に計画を通報され、劉璋に処刑された。【正史】劉備と面会中に蜀の地図を書き、内情を知らせた。
武将

【三国志13】曹叡 の武将能力値紹介

曹叡(ソウエイ) 統率72 武力52 知力82 政治82 曹操の孫。曹丕と甄氏の子。魏の第2代皇帝・明帝。【演義】生母の甄氏が曹丕から死を命じられたため、郭皇后に育てられ、平原王に封ぜられた。曹丕の死後、帝位に即く。蜀の諸葛亮が北伐を起こすと、夏侯楙、曹真、司馬懿に迎撃させ、しのぎきった。また、諸葛亮が五丈原に進出した際は、自ら対呉戦線に赴き、陸遜の侵攻を食い止めた。諸葛亮の死後は重臣のいさめを無視して宮殿造営に没頭。司馬懿を重用し、公孫淵が反乱を起こすと討伐を一任、危篤に陥ると次帝・曹芳の補佐を託した。【正史】曹操に愛され、我が帝業を継ぐ者と認められた。
武将

【三国志13】州泰 の武将能力値紹介

州泰(シュウタイ) 統率71 武力64 知力71 政治64 魏の兗州刺史。鄧艾と同じ州の出身で同輩。【演義】諸葛誕が寿春で蜂起した際、司馬昭率いる鎮圧軍に加わり、右翼を担った。呉の朱異が諸葛誕の援軍として来援すると、鍾会の策でばらまかれた牛馬に呉の兵士が飛びつくところを石苞と挟撃して破った。【正史】荊州刺史の裴潜に登用される。宛に駐留していた司馬懿への使者として度々派遣されたため、司馬懿の知己を得た。司馬懿が孟達を討伐した際は先導を務めた。後に兗州、予州の刺史を歴任し、征虜将軍となって江南の軍事を統括した。
武将

【三国志13】耿武 の武将能力値紹介

耿武(コウブ) 統率12 武力44 知力53 政治71 韓馥の武将。【演義】長史を務め、袁紹に冀州を譲ろうとする韓馥に反対するが、受け入れられなかった。入城した袁紹を関純と共に暗殺しようとするが、顔良に返り討ちにされた。【正史】韓馥が袁紹に冀州を譲ろうとした際、閔純[ビンジュン](演義では関純)、李歴、沮授らと共に反対した。しかし受け入れられず、袁紹が入城すると、仲間が逃げ出す中、閔純と共に韓馥を護衛した。のちに袁紹は、田豊に命じて耿武と閔純を暗殺させたという。
武将

【三国志13】兀突骨 の武将能力値紹介

兀突骨(ゴツトツコツ) 統率79 武力86 知力1 政治3 烏戈[ウカ]国王。身長1丈2尺。生きた蛇や獣を食べ、身体は鱗で覆われ刀も矢も通らない。油を付けて日干しした藤の鎧をまとう藤甲兵を率いる。藤甲兵は鎧を着たまま川を渡り、刀も矢も通さないが、火が弱点。【演義】六度諸葛亮に敗れて解放された孟獲が、最後に頼った蛮族の王。象に乗り、藤甲兵を率いて蜀軍を圧倒。敗走する魏延を追って盤蛇谷[バンダコク]に誘い込まれ、諸葛亮が仕掛けた火攻めによって全滅した。この後、捕らえられた孟獲は諸葛亮に心服した。【正史】記述なし。
武将

【三国志13】牽弘 の武将能力値紹介

牽弘(ケンコウ) 統率70 武力74 知力66 政治65 牽招の次男。魏の隴西[ロウセイ]太守。【演義】沓水[トウスイ]にいる姜維を鄧艾が攻めた時、鄧艾の軍に加わる。鄧艾と鍾会による蜀討伐戦でも、鄧艾の指揮下で参戦。王頎と協力して諸葛瞻を破り、綿竹関を攻略した。鄧艾が成都を攻略した後、益州諸郡の太守となった。【正史】曹奐の代に隴西太守となる。晋代に揚州、涼州の刺史となり、辺境で戦死した。
武将

【三国志13】韓忠 の武将能力値紹介

韓忠(カンチュウ) 統率64 武力67 知力18 政治12 黄巾の武将。【演義】張角の死後、趙弘、孫仲らと共に数万の軍を率い、宛城を占拠。朱儁、劉備らに攻められ、乱戦の中、矢に当たって死んだ。【正史】南陽黄巾の張曼成が秦頡[シンキツ]に、趙弘が朱儁に討たれた後も、残兵を率いて宛城で抵抗を続けた。一度は降伏を申し出るが朱儁に拒否され、出陣したところを捕らえられる。最後は秦頡に斬られた。
武将

【三国志13】王匡 の武将能力値紹介

王匡(オウキョウ) 統率65 武力55 知力61 政治70 後漢の河内[カダイ]太守。【演義】曹操の呼びかけに応じた反董卓連合諸侯の1人。軍議の席で誰か盟主を立てるべきだと提案し、袁紹が盟主となる。虎牢関攻めの先鋒となるが大将の方悦を呂布に討たれ、窮地に陥ったところを橋瑁と袁遺に救われた。【正史】施し好きの親分肌として知られ、何進に召された。董卓に敗れた後、泰山に戻って張邈との合流を図るが、曹操に討たれた。
武将

【三国志13】龐統 の武将能力値紹介

龐統(ホウトウ) 統率86 武力34 知力97 政治85 劉備の参謀。司馬徽の門人。龐徳公の甥。「伏龍」諸葛亮と並び「鳳雛」と呼ばれる。風采は上がらない。【演義】赤壁の戦いでは、「連環の計」で曹操の船団を鎖でつなぎ、周瑜の火攻めを成功させる。劉備に仕え、耒陽県の県令となるが、最初は酒ばかり飲んで政務を執らない。しかし、執行を命じられると百日の仕事を半日でこなし、実力を認められる。益州平定戦では劉備の軍師として同行。落鳳坡で張任の伏兵に遭い、戦死した。【正史】劉備に耒陽県の県令を罷免された後、魯粛と諸葛亮の取りなしで劉備と語り合い、実力を認められる。
武将

【三国志13】董璜 の武将能力値紹介

董璜(トウコウ) 統率53 武力27 知力56 政治58 董卓の甥。【演義】董卓の死後、王允の命を受けた呂布、皇甫嵩らによって郿城を攻められ、一族と共に殺された。【正史】董卓の孫娘である董白が領地を与えられたとき、使者として董白に印綬を渡す役目を担った。
タイトルとURLをコピーしました