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【三国志13】楼班 の武将能力値紹介

楼班(ロウハン) 統率65 武力76 知力39 政治31 遼西烏丸の単于・丘力居の子。【演義】記述なし。【正史】父・丘力居が死んだ際、楼班が年少だったため、蹋頓が後を継いだ。のち楼班が成長すると、峭王・蘇僕延に奉じられて単于となり、蹋頓は王となった。曹操に追われた袁煕・袁尚兄弟が頼ってくると、これに味方して柳城で曹操と戦うが大敗。遼東に落ち延びたが、公孫康に殺され、首を曹操に送られた。
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【三国志13】大喬 の武将能力値紹介

大喬(ダイキョウ) 統率57 武力11 知力73 政治78 孫策の妻。周瑜の妻・小喬の姉。【演義】喬国老の娘。周瑜に嫁いだ妹の小喬と共に「二喬」と称される絶世の美女。孫策の臨終の際、妹の夫である周瑜に後事を頼むよう遺言された。銅雀台を建てた曹操は二喬を側室に迎えることを夢見ていて、その心境を曹植が「銅雀台の賦」に詠んだ。このことを諸葛亮から聞かされた周瑜は激怒し、曹操軍との開戦に踏み切った。【正史】橋公の娘で、橋氏とするのが正しい。戯曲などでは橋公は喬玄(後漢の太尉・橋玄)と混同され、その娘は大喬、小喬とされている。
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【三国志13】関銀屏 の武将能力値紹介

関銀屏(カンギンペイ) 統率73 武力78 知力42 政治24 関羽の娘。民間伝承では、父親譲りの武勇の持ち主として登場し、諸葛亮の南蛮征伐に参加する。【演義】記述なし。孫権の息子と関羽の娘との縁談が持ち上がると、関羽は「虎の娘を犬の子にやれるか」と断った。これが孫権の怒りを買い、孫権軍の荊州侵攻を招く一因となる。【正史】名は不詳。孫権の息子との縁談話についての記述は演義と同じ。
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【三国志13】劉岱 の武将能力値紹介

劉岱(リュウタイ) 統率53 武力65 知力32 政治54 後漢の兗州刺史。劉繇の兄。前漢の斉の孝王の末裔。【演義】曹操が発した董卓打倒の呼びかけに応じた連合諸侯の1人。董卓との戦いの後、同じ連合の一員だった橋瑁に兵糧の借用を拒まれ、橋瑁を討って軍勢を奪った。後に曹操の配下となり、下邳で劉備が独立すると、王忠と共に討伐に向かう。張飛に生け捕られるが釈放され、曹操に劉備を擁護する進言をして、斬られそうになった。【正史】董卓から兗州刺史に任ぜられるが、袁紹らと共に反董卓の兵を挙げた。192年、青州の黄巾賊が兗州に攻め寄せると、持久戦を勧める鮑信を無視して出撃し、戦死。
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【三国志13】歩騭 の武将能力値紹介

歩騭(ホシツ) 統率72 武力51 知力84 政治86 呉の幕僚。【演義】赤壁の戦いの前、孫権と同盟を結ぶため呉を訪れた諸葛亮に論戦を挑むも敗れる。孫権が関羽の守る荊州を攻める際、曹仁と関羽を戦わせ、その間に荊州を奪う策を進言。これが当たり、荊州は孫権の手に帰した。夷陵の戦いでは、陸遜の指揮官就任に反対した。【正史】210年、交州刺史となり、蒼梧[ソウゴ]太守の呉巨を討伐。さらに、士燮[シショウ]を服従させ、呉の南方進出の足がかりを作った。孫権即位後は驃騎将軍、西陵都督に就任。陸遜の死後、丞相となった。
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【三国志13】文聘 の武将能力値紹介

文聘(ブンペイ) 統率81 武力82 知力69 政治69 劉表の武将。後に曹操に仕える。【演義】宴席で劉備暗殺を企む蔡瑁に従い、劉備の護衛役の趙雲を劉備から引き離した。劉琮が曹操への降伏を決めると、劉備に襄陽を譲ろうとする魏延と戦う。曹操が荊州に入城しても、国を保てなかったことを恥じて出頭しなかったが、かえって曹操の信用を得る。以後、長坂坡の戦い、赤壁の戦いなどに参加。224年、曹丕が濡須を攻めて徐盛に大敗した時、曹丕を救出した。【正史】魏将となってからは長く江夏に駐屯し、蜀呉の侵攻を防ぐ。尋口では関羽を、石陽では孫権を撃退した。
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【三国志13】卑衍 の武将能力値紹介

卑衍(ヒエン) 統率60 武力66 知力21 政治30 公孫淵の武将。【演義】公孫淵が魏から独立して燕王を名乗ると、元帥に任ぜられた。翌年、司馬懿が侵攻してくると、楊祚と共に遼遂で20里に渡る防衛線を張る。しかし、司馬懿が襄平を襲撃する動きを見せたため、追いすがったところを夏侯覇、夏侯威の伏兵に遭い、敗れた。一時は包囲を突破して公孫淵と合流するが、夏侯覇に一騎討ちを挑まれ、数合もせずに斬り落とされた。【正史】遼遂で20里に渡る防衛線を敷き、司馬懿軍を迎撃するが、胡遵らに撃破された。
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【三国志13】馬岱 の武将能力値紹介

馬岱(バタイ) 統率79 武力85 知力62 政治54 馬超の従兄弟。馬騰の兄の子。【演義】馬騰の上京に同行した際、曹操軍の襲撃を受けるが脱出。馬超に馬騰父子の死を伝える。馬超が曹操に復讐戦を挑むと従軍し、各地を転戦。最後は馬超と共に劉備の配下となる。その後は諸葛亮の南蛮遠征に加わり、忙牙長を1合で斬るなどして活躍。北伐の作戦を巡って魏延が諸葛亮に反抗するようになると、諸葛亮の意をくんで魏延の副将となり監視する。魏延が反乱すると、諸葛亮の遺計に従って魏延を斬り、魏延の爵位を受けた。【正史】魏延を斬る前、魏延の副将となる記述はない。
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【三国志13】董卓 の武将能力値紹介

董卓(トウタク) 統率87 武力86 知力73 政治59 事実上、後漢を滅ぼし、群雄割拠の時代を招いた梟雄。【演義】黄巾討伐では戦果なく、十常侍に賄賂を贈って地位を保つ。涼州で軍勢を整え、何進が宦官を一掃するために諸侯を召集した際に上洛。何進暗殺、十常侍壊滅の混乱の中で少帝を保護。最強の豪傑・呂布を従え、少帝を廃立するなど権勢を欲しいままにする。袁紹、曹操ら連合軍に攻められると、長安への遷都を強行。王允の連環の計で貂蝉を巡って呂布と対立し、呂布に討たれた。【正史】怪力を誇り、騎射に長けた。黄巾の乱後、西羌族の反乱鎮圧で活躍し、徐々に中央の統制に従わなくなる。
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【三国志13】田豫 の武将能力値紹介

田豫(デンヨ) 統率80 武力72 知力80 政治78 魏の武将。【演義】234年、諸葛亮の第5次北伐に呼応して呉が魏に攻め寄せた際、襄陽の守りに加勢した。【正史】劉備に仕え、高く評価されるが、母親が老齢だったため帰郷。その後、公孫瓚に仕官する。公孫瓚滅亡後は曹操に仕え、県令太守を歴任した。218年には曹彰の烏丸討伐に参加し、南陽太守に昇進。曹丕即位後も北方異民族の防衛に当たり、烏丸王・骨進を斬って威名を轟かせた。234年に呉軍が攻め寄せた際は汝南太守として防衛に当たる。曹芳の代には并州刺史、衛尉を歴任した。
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