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【三国志13】郝萌 の武将能力値紹介

郝萌(カクボウ) 統率62 武力67 知力42 政治34 呂布の武将。【演義】濮陽を巡る曹操との戦いで登場。曹操を濮陽城内に誘い込むが取り逃す。呂布が下邳で包囲された時、袁術に援軍を求める使者となった許汜、王楷の護衛となる。往路は曹操軍の突破に成功するが、復路で張飛に捕らえられ、曹操に斬られた。【正史】袁術と連絡を取って、下邳で呂布に反旗を翻すが、呂布には逃げられ高順に攻められる。配下の曹性に裏切られ、決闘で曹性を負傷させるものの自らも片腕を失った。最期は高順に斬られた。
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【三国志13】王惇 の武将能力値紹介

王惇(オウトン) 統率60 武力66 知力46 政治61 呉の武将。【演義】孫綝に殺された人物の1人として名が登場する。【正史】219年、孫権が曹操から荊州牧に任じられ、皇帝に献上物を捧げた際、馬の購入を命じられた。256年、孫綝に重用されないことを恨んだ孫慮から孫綝誅殺を持ちかけられるが、発覚して殺された。孫慮も毒をあおって死んだ。
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【三国志13】袁煕 の武将能力値紹介

袁煕(エンキ) 統率66 武力51 知力63 政治65 袁紹の次男。袁譚の弟。袁尚の兄。甄氏の夫。【演義】幽州刺史。曹操に敗れた袁尚を保護する。曹操が幽州に侵攻すると、袁尚と共に遼西の烏丸を頼って逃亡。曹操が烏丸を攻めると遼東の公孫康を頼るが、公孫康のだまし討ちに遭い、袁尚ともども斬られて首を曹操に送られた。【正史】烏丸の蹋頓[トウトン]は特に袁煕を助け、曹操と戦った。
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【三国志13】孟光 の武将能力値紹介

孟光(モウコウ) 統率21 武力25 知力83 政治77 蜀の官僚。【演義】劉備が皇帝に即位する際、諸葛亮に命じられて許慈と共に武典の準備を取り仕切った。第一次北伐では、諸葛亮不在の間、宮中を守る重臣の一人として、成都に留め置かれている。【正史】劉焉、劉璋に仕えたあと、劉備に仕えて議郎に任じられた。博学で漢王朝の古い制度に詳しく、宮中制度の制定を担当。劉禅の代には大司農にまで昇進したが、常に直言してはばかることがなかったため、周囲から嫌われ、爵位は上がらなかったという。
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【三国志13】文虎 の武将能力値紹介

文虎(ブンコ) 統率66 武力72 知力45 政治30 魏の武将。文欽の三男。文鴦の弟。【演義】父兄と共に、毌丘倹の反乱に参加して敗れ、呉に逃亡する。諸葛誕の反乱でも、父兄と共に呉からの援軍として参戦。しかし、文欽が諸葛誕に斬られたため、文鴦と共に魏に降伏した。【正史】諸葛誕の反乱鎮圧後、文鴦と共に文欽の遺体を収容して葬った。晋代、文鴦が司馬炎の不興を買って罷免され、司馬繇に反逆の罪を着せられると、一族と共に処刑された。
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【三国志13】杜襲 の武将能力値紹介

杜襲(トシュウ) 統率78 武力64 知力78 政治72 魏の武将。【演義】定軍山の戦いで夏侯淵が敗死すると、張郃と共に敗残兵をまとめて退却させた。【正史】小役人として曹操に仕えていたが、優れた政治手腕で頭角を現し、鍾繇や荀彧の推挙を得て重臣に取り立てられた。魏の歴代君主から信頼を受け、曹叡からは大将軍軍師に任じられている。
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【三国志13】甄氏 の武将能力値紹介

甄氏(シンシ) 統率35 武力4 知力72 政治66 甄逸の娘。甄家は漢の名門。袁煕の妻。後に曹丕の妻となり、曹叡、東郷公主を生む。絶世の美人。【演義】曹操が鄴を制圧した時、袁紹の妻・劉氏と共に曹丕に保護された。曹操から「我が息子の嫁にふさわしい」と称賛され、曹丕の妻となり曹叡を出産。後に皇帝となった曹丕が郭貴妃を迎えると寵愛を失う。曹丕が病気にかかった時、郭貴妃の寵臣・張韜[チョウトウ]から曹丕を呪ったと告発され、自害を命じられた。【正史】曹植の「洛神賦」に登場する水神・宓妃[フクヒ]とは甄氏のことで、曹植が甄氏を慕って詠んだとも。
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【三国志13】陳寿 の武将能力値紹介

陳寿(チンジュ) 統率12 武力22 知力60 政治75 蜀の官僚。後に晋に仕える。正史「三国志」の著者。【演義】記述なし。【正史】蜀の譙周に師事し、「史記」「漢書」などを学ぶ。蜀が滅亡した後、羅憲の推薦を受け、晋に仕えた。「諸葛亮集」「古国志」を著わして張華に評価され、「三国志」を編纂。父は陳式という説や、街亭で敗北した馬謖の参軍という説(いずれも諸葛亮に罰された)もあるが不明。また、諸葛亮の子・諸葛瞻に疎まれていたという説もある。これらのことから「三国志」では諸葛亮や諸葛瞻を低く評価しているともいわれている。
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【三国志13】張英 の武将能力値紹介

張英(チョウエイ) 統率75 武力74 知力41 政治34 揚州刺史・劉繇の武将。【演義】孫策が江東に進出した際、太史慈を差し置いて先鋒として迎撃するが、蒋欽、周泰らの火攻めに敗れる。激怒した劉繇に斬られそうになるが、同僚の笮融、薛礼らの取りなしで助かった。直後の秣陵の戦いで、孫策が矢に当たって戦死したと思いこみ、誘い出されたところを陳武に討たれた。【正史】当利口[トウリコウ]に駐屯し、袁術の勢力拡大を防ぐため、樊能と共に呉景、孫賁[ソンホン]らと戦った。孫策軍に敗れた後の消息は不明。
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【三国志13】臧洪 の武将能力値紹介

臧洪(ゾウコウ) 統率72 武力81 知力65 政治24 後漢の武将。【演義】記述なし。【正史】広陵太守の張超に才能を評価され、郡の功曹となって太守の実務を執った。董卓が洛陽を蹂躙した際、張超に決起を促す。決起に集まった諸侯が盟約を結ぶ際、誓約の言葉を述べる役割を担い、立派に果たした。のちに張超の窮地を袁紹が見逃したため袁紹と対立し、捕らえられて殺された。
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